第2話 深夜0時にホームに現れる赤い女

三神高校オカルト研究部、通称“オカケン”。その部室には、今日も奇妙な空気が漂っていた。


「なあ、優希。聞いたか? 三軒茶屋駅の“赤い女”の噂」


部長の或鍵修が、いつものように不敵な笑みを浮かべながら、成田優希に話しかけた。


「もちろん。終電間際のホームに現れる、全身真っ赤な女の霊。見た者は精神を病んだり、最悪の場合……死ぬってやつだろ?」


「さすがオカケンのエース。話が早いな」


「それ、ただの都市伝説でしょ?」


と、巫女が口を挟む。


「そんなの、誰かが作った作り話に決まってるよ」


「でも、実際に目撃情報はあるんだよ」


と、岸梛優が静かに言った。


「私のところにも、最近“視た”って人が相談に来たわ」


「マジかよ……」


と優希が身を乗り出す。


「それって、どんな人?」


「大学生の女の子。三軒茶屋駅で終電を待ってたら、向かいのホームに赤い服の女が立ってたって。目が合った瞬間、頭の中に“死ね”って声が響いたらしい」


「それって……」


優希は喉を鳴らした。


「呪い、か?」


「可能性はあるわね」


と岸梛が頷く。


「でも、まだ断定はできない。だから、調査が必要」


「よし、決まりだな」


或鍵が立ち上がる。


「今夜、三軒茶屋駅で調査を行う。優希、巫女、岸梛、俺の四人で行くぞ」


「えっ、私も?」


と巫女が目を丸くする。


「当然だろ。オカケンの一員なんだからな」


「……優希くんが行くなら、行くけど」


その夜、三軒茶屋駅。終電が過ぎ、人影もまばらになったホームに、四人は立っていた。


「なんか……空気が重いね」


と巫女が不安げに呟く。


「霊的な気配は確かにある」


と岸梛が目を閉じて集中する。


「でも、まだ姿は見えない」


「噂によると、0時ちょうどに現れるらしい」


と優希が時計を見た。


「あと3分だ」


そのとき、ホームの反対側に、ふと赤い影が現れた。


「……来た」


それは、真っ赤なワンピースを着た若い女性だった。髪はショートで、眼鏡をかけている。だが、その顔はどこか虚ろで、目の焦点が合っていない。


「佐藤茜……?」


と優希が呟いた。


「知ってるの?」


と巫女が尋ねる。


「いや、ただ……この噂の元になった女性の名前が、佐藤茜って言うんだ。20歳で、本屋のバイトをしてたらしい。ある日、三軒茶屋駅で飛び込んだって」


「でも、記録には残ってないのよ」


と岸梛が言う。


「警察にも、そんな事件の記録はない。まるで、誰かが意図的に消したみたいに」


赤い女は、ゆっくりとこちらを向いた。


「目を合わせないで!」


岸梛が叫ぶ。


だが、巫女が一瞬、目を合わせてしまった。


「巫女っ!」


優希が駆け寄ると、彼女はその場に崩れ落ちた。


「大丈夫、気を失っただけよ」


と岸梛がすぐに駆け寄り、巫女の額に手を当てる。


「でも、精神に直接干渉されたわ。これは……強い怨念」


「俺が行く」


と或鍵が一歩前に出た。


「お前たちはここにいろ」


或鍵は赤い女の前に立ち、懐からお札を取り出した。


「成仏できない魂よ。ここに縛られし理由を語れ」


赤い女は、口を開いた。


「……わたしは……殺された……」


「やはり、事故じゃなかったか」


と或鍵が呟く。


「誰に殺された?」


「……あの人……好きだったのに……裏切られた……」


「ストーカーか?」


と優希が問う。


「違う……彼は……私を……」


そのとき、赤い女の姿が揺らぎ、ホームの空気が一変した。冷気が辺りを包み、視界が歪む。


「まずい、強制的に引き戻される!」


岸梛が叫ぶ。


「優希くん!彼女の名前を呼んで!」


「佐藤茜! 君は……君は、もうここにいるべきじゃない!」


赤い女の目が、ほんの一瞬だけ優希を見た。その瞳に、涙が浮かんでいた。


「……ありがとう……」


次の瞬間、赤い女の姿は霧のように消えた。


静寂が戻ったホームで、巫女が目を覚ました。


「……優希くん……大丈夫?」


「ああ、無事だよ。巫女こそ、大丈夫か?」


「うん……ちょっと、怖かったけど……優希くんがいてくれたから」


「ふふ、やっぱり優希くんはすごいわね」


と岸梛が微笑む。


「でも、まだ終わってないわ」


「えっ?」


「この事件、何か裏がある。佐藤茜の死は、ただの事故じゃない。誰かが、彼女をこの世に縛りつけてる」


「つまり……呪いをかけた存在がいるってことか」


「そう。次は、その“誰か”を突き止める必要があるわね」



翌日、オカケンの部室では、昨夜の出来事をもとに調査が進められていた。


「佐藤茜が働いていた本屋、まだあるみたいだ」


と優希が地図を指差す。


「下北沢の“古書堂アカネ”って店」


「名前が……」


巫女が眉をひそめる。


「彼女の名前と同じじゃない?」


「偶然じゃないだろうな」


と或鍵が頷く。


「今夜、そこに行ってみるか」



古書堂アカネは、古びた木造の建物だった。店内には、古書の香りとともに、どこか懐かしい空気が漂っていた。


「いらっしゃいませ」


現れたのは、白髪混じりの老婦人だった。


「佐藤茜さんのことを……ご存じですか?」


老婦人は、しばらく黙っていたが、やがて静かに語り始めた。


「茜は……私の孫でした。とても本が好きな、優しい子でした。でも……ある日、突然変わってしまったのです。誰かに付きまとわれていると怯えるようになって……」


「ストーカー……?」


「ええ。でも、警察は取り合ってくれませんでした。そして……あの日、駅で……」


老婦人の目に、涙が浮かんだ。


「茜の死は、事故ではありません。あの子は、誰かに追い詰められて……」


「その“誰か”の正体、心当たりはありますか?」


「……茜が最後に書き残した日記があります。よろしければ、それを……」



日記には、こう記されていた。


『彼は優しい人だった。最初は、ただの常連さんだった。でも、ある日から、私の帰りを待つようになった。怖かった。でも、断れなかった。彼は、私のことを“運命の人”だと言った。逃げても、逃げても、追ってくる。助けて。誰か、助けて』


「……これは」


優希が呟いた。


「完全にストーカーだな……」


優希の声が震えていた。日記に綴られた佐藤茜の恐怖と絶望が、ページを通してこちらにまで伝わってくる。


「この“彼”って誰なんだろう?」


巫女が日記を覗き込みながら言った。


「名前は書かれていないわね」


と岸梛がページをめくる。


「でも、ここ……“彼は高校生だった”ってある」


「高校生?」


優希が眉をひそめた。


「じゃあ、年下ってことか?」


「それだけじゃないわ」


岸梛が指を止めた。


「“彼は、私の話をよく聞いてくれた。オカルトの話も、霊の話も、全部信じてくれた”……」


「オカルト……?」


巫女が顔を上げた。


「まさか……」


「……或鍵先輩?」


優希が呟いた。


部室に戻った四人は、重苦しい沈黙の中で向かい合った。


「或鍵先輩……」


優希が切り出す。


「佐藤茜さんのこと、知ってましたよね?」


或鍵はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「……ああ。知ってる。俺が……彼女にオカルトの話を教えた。彼女は熱心に聞いてくれて、よく本屋で話し込んだよ」


「じゃあ、やっぱり……」


巫女が身を乗り出す。


「でも、俺は彼女に手を出したりしてない。確かに、彼女は俺に好意を持っていたかもしれない。でも、俺は……」


或鍵の声が震えた。


「俺は、彼女の気持ちに応えられなかった。だから、距離を置いたんだ。そしたら……彼女は、ある日、店に顔を出さなくなった」


「それって……」


優希が言葉を選びながら続けた。


「彼女が“裏切られた”って言ってたのは……」


「俺のことだろうな」


或鍵が苦笑した。


「でも、俺は彼女を傷つけるつもりなんてなかった。ただ、彼女の気持ちに応えられなかっただけだ」


「でも、それだけで……あんな強い怨念になる?」


岸梛が首をかしげる。


「何か、他に原因がある気がする」


「……日記の最後のページ、見て」


巫女が震える指でページをめくった。


そこには、こう書かれていた。


『彼が来た。私の部屋の前に立っていた。笑っていた。私のことを“呪ってやる”って言った。私が拒んだから。私が逃げたから。彼は、私を許さないって』


「……これ、或鍵先輩じゃない」


優希が断言した。


「先輩がそんなこと言うわけない」


「ありがとう、優希」


と或鍵が微笑む。


「でも、俺が彼女に関わっていたのは事実だ。責任はある」


「この“彼”は、別人だと思う」


と岸梛が言った。


「彼女がオカルトに興味を持っていたなら、他にも話せる相手がいたかもしれない。例えば……ネットで知り合ったとか」


「調べてみよう」


優希が立ち上がる。


「彼女のSNS、まだ残ってるかもしれない」



数時間後、優希は彼女のSNSアカウントを見つけた。そこには、オカルトに関する投稿がいくつもあり、ある一人のアカウントと頻繁にやり取りしていた。


「“幽玄の旅人”……?」


「ハンドルネームね」


と岸梛が画面を覗き込む。


「この人、かなりディープなオカルトマニアみたい。茜さんと、かなり親密だったみたいね」


「この人が……」


優希が呟く。


「彼女を追い詰めた?」


「可能性は高いわね。会話の内容を見る限り、彼女が距離を置こうとしたら、急に攻撃的になってる」


「この“幽玄の旅人”って、誰なんだろう?」


巫女が不安げに言った。


「調べてみる価値はあるな」


と或鍵が頷く。


「IPアドレスを辿れば、ある程度の場所は特定できるかもしれない」



数日後、優希たちは“幽玄の旅人”の正体を突き止めた。


「……まさか、同じ学校の生徒だったなんて」


「2年の……佐久間翔太」


岸梛が先生から借りた名簿を見ながら言った。


「図書委員で、成績優秀。でも、あまり目立たないタイプ」


「彼が……赤い女の呪いの元凶?」


巫女が信じられないという顔をする。


「直接、話を聞いてみるしかないな」


と或鍵が立ち上がる。


「俺が行く」


「俺も行きます」


と優希が言った。


「これは、俺たちの問題ですから」



放課後、図書室。佐久間翔太は、静かに本を読んでいた。


「佐久間くん、ちょっといいかな?」


或鍵が声をかけると、彼は顔を上げた。


「……何か用ですか?」


「佐藤茜さんのこと、覚えてるか?」


その名前を聞いた瞬間、佐久間の表情が凍りついた。


「……知りません」


「嘘だな」


と優希が一歩前に出る。


「君が“幽玄の旅人”だってこと、もう分かってる」


「……証拠は?」


「SNSのやり取り、IPアドレスのログ、全部ある」


佐久間はしばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。


「……あの女が、俺を裏切ったんだ。俺は、あんなに優しくしてやったのに。オカルトの話も、全部教えてやったのに。俺のことを“気持ち悪い”って……!」


「それで、呪ったのか?」


或鍵が低い声で問う。


「呪った? 違うよ。俺は、ただ……彼女に“後悔させてやりたかった”だけだ。だから、あの夜、駅で……」


「やめろ!」


優希が叫んだ。


「もういい!」


「……彼女は、まだ苦しんでる。君のせいで、成仏できずにいるんだ!」


「……ふん。だったら、俺も……」


その瞬間、佐久間の背後に、赤い影が現れた。


「……茜……?」


赤い女は、静かに佐久間に手を伸ばした。


「やめて!」


岸梛が飛び込んで、結界を張る。


「これ以上、彼女を穢さないで!」


赤い女は、岸梛の結界に阻まれ、静かに消えていった。


「……彼女は、もう怒ってないわ」


と岸梛が言った。


「でも、あなたの罪は消えない」


佐久間は、その場に崩れ落ちた。



数日後、佐久間は自主的に警察に出頭し、佐藤茜へのストーキング行為を自白した。茜の死の真相は、ようやく明るみに出た。


「これで、彼女も……安らかに眠れるかな」


と優希が呟いた。


「ええ、きっと」


と岸梛が微笑む。


「でも、まだまだ都市伝説は尽きないわよ」


「次はどんな事件が待ってるのかな?」


と巫女が不安げに言う。


「どんな事件でも、俺たちで解明してやるさ」


と優希が笑った。


「……優希くんがいれば、どんな呪いも怖くないよ」


と巫女が小さく呟いた。



後日談:赤の残響(レッド・レゾナンス)


三軒茶屋駅の“赤い女”事件から一週間が経った。


三神高校のオカルト研究部では、いつものように放課後の部室にメンバーが集まっていたが、どこか空気が違っていた。事件の余韻が、まだ誰の心にも残っていたからだ。


「……あの夜のこと、夢に出てきたの」


巫女がぽつりと呟いた。


「赤い女が?」


優希が顔を上げる。


「ううん。違うの。あの子……佐藤茜さんが、笑ってたの。『ありがとう』って言ってた。すごく、穏やかな顔だった」


「成仏できた証拠だな」


と或鍵が頷いた。


「岸梛の結界が効いたんだろう」


「でも……」


岸梛が窓の外を見つめながら言った。


「あの夜、彼女が最後に残した言葉、覚えてる?」


「……“ありがとう”だったよな」


「ええ。でも、そのあと、もう一言……“まだ、終わってない”って、聞こえた気がしたの」


部室に一瞬、沈黙が落ちた。


「つまり……?」


巫女が不安げに尋ねる。


「彼女の呪いは解けた。でも、彼女を縛っていた“何か”は、まだこの街に残ってる。そんな気がするの」


「都市伝説の根って、深いからな」


と或鍵が腕を組む。


「一つ解決しても、また別の形で現れる。まるで、地下に張り巡らされた根のように」


「それって……この街自体が、何かに囚われてるってこと?」


優希が眉をひそめる。


「可能性はあるわね」


と岸梛が静かに頷いた。


「この世田谷には、古くからの“結界”がある。神社や寺、古井戸、道祖神……それらが張り巡らせていた結界が、どこかで歪んでいるのかもしれない」


「それって、つまり……」


巫女が顔を強張らせる。


「また、ああいう事件が起きるってこと?」


「ええ。だから、私たちがいるのよ」


岸梛の言葉に、部室の空気が少しだけ引き締まった。



その日の夜、優希は自室でノートを開いていた。


「赤い女事件、解決。佐藤茜、享年二十。怨念の発生源は、ストーカーによる精神的圧迫と孤独。だが、彼女の霊は最後に“まだ終わっていない”と告げた。これは、個人の呪いではなく、都市そのものに根差した“何か”の兆候かもしれない」


ペンを走らせながら、優希はふと窓の外を見た。


隣の家の窓が開いていて、巫女がこちらを見ていた。目が合うと、彼女はにっこりと笑って手を振った。


「……まったく、油断も隙もないな」


優希は苦笑しながら手を振り返した。



翌日、登校中の道すがら。


「ねえ、優希くん」


巫女が隣を歩きながら言った。


「最近、また変な夢を見るの」


「どんな夢?」


「知らない女の人が、私の名前を呼ぶの。“おりべ みこ”って、何度も。しかも、夢の中で私は……神社の境内にいるの」


「神社……?」


「うん。見覚えのない場所。でも、どこか懐かしい感じがするの。あれって、もしかして……」


「何かの“呼び声”かもしれないな」


と優希が真剣な顔で言った。


「岸梛先輩に相談してみよう」



その日の放課後、オカケンの部室で巫女の夢の話を聞いた岸梛は、すぐに反応した。


「それ、たぶん“夢見の導き”よ」


「夢見の導き?」


優希が首をかしげる。


「霊的な存在が、夢を通してメッセージを送ってくる現象。巫女のように感受性が高い人に起こりやすいの」


「じゃあ、その神社に行けば、何か分かるかも……?」


「ええ。でも、夢の中の場所を現実で特定するのは難しいわ。何か手がかりがあれば……」


「……あったかも」


巫女が思い出したように言った。


「鳥居の横に、“三”って文字が刻まれてたの。あと、石灯籠に“神”って……」


「三神……?」


優希が目を見開いた。


「まさか、“三神神社”? うちの学校の名前の由来になったっていう、あの廃神社か!」


「そこ、今は立ち入り禁止になってるけど……」


或鍵が腕を組む。


「昔は、強力な結界の中心だったらしいな」


「じゃあ、次の調査場所は決まりね」


と岸梛が微笑んだ。


「“三神神社”。そこに、何かがある」



こうして、オカルト研究部の新たな調査が始まろうとしていた。


赤い女の事件は終わった。しかし、それは始まりに過ぎなかった。


世田谷の街に潜む“見えざる力”と、都市伝説の根に潜む真実。


それに挑むのは、オカルトを愛し、真実を追い求める高校生たち。


そして、彼らの絆は、次第に深まりながらも、複雑に絡み合っていく。



夜。優希の部屋の窓辺に、ふと風が吹いた。


その風に乗って、どこからか微かな声が聞こえた。


「……まだ……終わってない……」


優希は静かに目を閉じ、ノートに新たなページを開いた。

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