第5話 邂逅

美の国の外れに、その教会はあった。


白い石は黒ずみ、尖塔は途中で折れ、壁面の装飾は削り取られている。

かつては祝福の場だったはずのそこは、「美しくない」という理由だけで打ち捨てられ、今では誰も訪れない廃墟となっていた。


割れたステンドグラスの下、黒い影が二つ、身を屈めている。


「……まだ残ってるわね」


ルミナは床に散らばった紙片を拾い上げた。

破れ、汚れ、文字の半分が失われた聖書のページ。


「正義の力が微量だけど反応があるみたい」


黒衣の裾を揺らしながら、彼女は淡々と告げる。


ガロウは、砕けた聖人像の破片を手に取っていた。

顔の部分だけが欠け、誰の像だったのかも分からない。


「……正義ってのは、随分と捨てられやすいんだな」


「神の世界だからこそよ。

“完全な正義”以外は、正義と認められない」


ルミナは破片を布に包みながら言う。


「だから、こういう場所に正義の残滓として遺物が溜まる」


そのときだった。


教会の扉が、軋む音を立てて開いた。


二人は同時に振り向く。


逆光の中に立っていたのは、一人の男。

黒を基調とした処刑人の装束、腰には長剣。


――リオット。


神の世界の処刑人。

正義を執行するための戦士。


「……やはりここか」


低く、抑えた声。


ガロウは一歩前に出る。


「よう。随分と早いな」


「異端の痕跡があれば、必ず“美しくない場所”に行き着く」


リオットの視線が、床に散らばる聖書の破片と像の欠片を捉える。


「それを漁るとは……冒涜だ」


「拾ってるだけだよ」


ガロウは肩をすくめた。


「捨てられた正義をな」


次の瞬間、リオットが踏み込んだ。


剣が唸りを上げ、空気を裂く。


ガロウは咄嗟に受け止めるが、その衝撃に膝が沈む。


「……っ!」


重い。

迷いがない。

これが、正義の戦士。

リオットの剣は、ただ重く速いだけではなかった。

振るわれる軌道そのものが正確で、無駄がない。

一太刀ごとに「ここに立つな」「その動きは許されない」とでも言うように、空間を切り分けてくる。


ガロウは後退を余儀なくされ、瓦礫を蹴散らしながら体勢を立て直す。

反撃の拳は、剣の腹で容易くいなされ、逆に衝撃が腕へと跳ね返ってきた。


「……っ、化け物かよ……!」


リオットは答えない。

剣を振るうその表情には、感情がない。

あるのはただ、正しさを執行するための動作だけだった。


ルミナが援護に回ろうとするが、剣圧がそれを許さない。

床に刻まれる斬撃の跡は、まるで「ここから先は踏み込むな」と刻まれた境界線のようだった。


ルミナが距離を取って支援に回るが、リオットは一切の隙を見せない。


剣が振るわれるたび、教会の壁が砕け、床が割れる。


「強い……!」


ガロウが歯を食いしばる。


そのとき――


その完璧さの中で――

リオットの呼吸が、わずかに乱れ、動きが、ほんの一瞬、鈍った。


胸元を押さえるような仕草。


「……くっ」


ガロウはそれを見逃さなかった。


一気に距離を詰め、体当たりで押し倒す。


二人は床に転がり、ガロウが上から押さえ込む形になる。


「終わりだ」


リオットは抵抗しようとするが、力が入らない。


剣が床に落ち、乾いた音を立てた。


天井を見上げたまま、彼は小さく笑った。


「……そうか」


目を閉じる。自分は殺されるのか……

死を前に今まで留めていたリオットの思いが溢れ出る。


「頼む」


その声は、処刑人のものではなかった。


「俺を……止めてくれ」


ガロウが眉をひそめる。


「は?」


リオットは、苦しそうに言葉を探す。


「俺は正義を行っている。

命令にも、信仰にも、何一つ背いていない」


それなのに――


「……胸が、ずっと苦しいんだ」


沈黙が落ちる。


ルミナが、ゆっくりと近づいた。


リオットの顔を覗き込み、その胸元に手を当てる。


「それは“異常”じゃない」


リオットが、かすかに目を開ける。


「あなたが正しいからよ」


その言葉に、彼は息を呑んだ。


「正義を疑いながら、正義を行っている。

切り捨てることに痛みを感じて、それでも剣を振るっている」


ルミナは続ける。


「それは、壊れているんじゃない。

“正しすぎる”の」


ガロウは押さえ込む力を、少し緩めた。


「……聞いたことないな。そんな悪口」


ルミナはリオットに視線を戻す。


「だから提案するわ」


彼女は、穏やかに微笑んだ。


「私たちと、悪いことをしましょう」


「……悪、だと?」


「ええ」


ルミナは頷く。


「正義を壊すために。正義を救うために」


リオットの喉が鳴る。


「そんな……ことが……」


「あるわ」


彼女は断言した。


「あなたのその痛みは、正義を疑える証拠。

それを持たない者に、世界は変えられない」


ガロウが、リオットを見下ろす。


「選べ」


その声は低く、だが強かった。


「そのまま正義に殺されるか。

それとも――俺たちと一緒に、正義と戦うか」


リオットは、床に落ちた剣を見る。


磨き抜かれた、美しい刃。


そして――ゆっくりと、目を閉じた。


胸の痛みが、確かにそこにあった。


それは、初めて“救われたい”と思った証だった。


そして同時に――

剣を振るわずに済む道を、初めて思い描いた瞬間でもあった。

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2026年1月18日 21:00
2026年1月25日 21:00
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