第4話 アウグスト
司教アウグストの執務室は、教会の最上階にあった。
高い天井。白と金で統一された壁面。
差し込む光は計算された角度で床に落ち、そこに一切の影を許さない。
――美しい。
そして、息が詰まる。
リオットは部屋の中央に立ち、剣を携えたまま頭を垂れていた。
玉座のような椅子に腰掛けているのが、司教アウグストだ。
透き通る金髪は微動だにせず、彫刻のような顔立ちは人間離れした静けさを保っている。
「処刑任務、ご苦労だったな」
低く、よく通る声だった。
それは労いであり、同時に命令の延長でもある。
「……務めは果たしました」
リオットはそう答えた。
胸の奥で、鈍い痛みが脈打つ。
アウグストはわずかに視線を上げ、窓の外――街を見下ろした。
「隣の街で、異端が確認された」
その言葉に、リオットの指先がわずかに強張る。
「ヴィランズだ」
名を告げられた瞬間、胸の痛みが一段強くなった。
「正義を害する者たち。世界の秩序を根底から侵す存在だ」
アウグストの声には怒りも恐れもない。
ただ“断定”だけがあった。
「彼らは自らを“悪”と称するが、それすら欺瞞だ。
悪であることを選んだのではない。
正義から逃げただけの存在だ」
リオットは何も言わない。
「いいか、リオット。彼らと対話は不要だ」
アウグストの視線が、真っ直ぐに突き刺さる。
「見つけ次第、処刑せよ。迷いは美しくない。
疑問は秩序を汚す」
胸の痛みが、刃のように疼いた。
「……承知しました」
それでも、リオットはそう答えた。
「よろしい」
アウグストは満足そうに頷いた。
「君はこの街の“美”だ。
汚れを切り落とすための剣。
それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉を背に、リオットは執務室を後にした。
教会の中庭に出ると、そこには孤児たちが集まっていた。
「ほら、今度はこっちだよ」
小さな子どもが、宙を指差す。
そこには何もない。
――騙し騙しの妖精の遊び。
見えないものを“いることにする”遊び。
だがいつもより元気がないように見える。
「……元気ないな」
リオットが声をかけると、子どもたちは曖昧に笑った。
「だいじょうぶ。司教さまが、見てくれてるから」
その言葉に、なぜか胸が痛んだ。
石造りの建物の影を曲がる、一人の孤児の姿が目に入った。
手には庭から集めたであろう野花の束を持っている。
その先にあるのは墓地だ。
リオットはその孤児を追う。
孤児は一つの墓の前に腰を下ろす。そして手に持った野花を置いて
祈りを捧げていた。
最近、孤児院に入った兄妹の女児である。
亡くなっているのは兄の方。
「……どうした」
声をかけると、子どもは顔を上げた。
目の下に濃い影が落ちている。
「騙し騙しの妖精さんにお願いしたら、お兄ちゃんはいることにならないのかな」
そう言って笑うが、その笑顔はどこか歪んでいた。
それは無理だろうとリオットは思った。騙し騙しの妖精はあくまで伝承であり、
いたとしても神でもなければ生命を思い通りにはできないのだから。
だが最近、孤児達の死が多すぎる気がする。とくに入りたての孤児達の死が。
最初からはやり病にかかっていたのだと教会の医官は言っているのだが。
そのとき、鐘楼の方から衛兵の駆け足が響く。
「リオット!
ヴィランズが――街の外れで発見された!」
空気が、一変した。
リオットは剣の柄に手をかける。
司教の言葉が、頭の中で反響する。
――迷いは美しくない。
リオットは女児に背を向け、走り出した。
リオットは走りながら、司教の言葉を反芻していた。
――正義から逃げただけの存在。
本当にそうなのだろうか。
胸の奥で疼く痛みが、その断定を拒んでいる気がした。
――ヴィランズ。
司教の言葉が脳裏をよぎる。
正義を害する者たち。
秩序を汚す存在。
だが、なぜだろう。
“怖い”という感情の奥に、ほんのわずかな――期待のようなものを感じてしまう。
リオットはそれを振り払うように立ち上がった。
「ここにいろ。すぐ戻る」
女児は不安そうに頷く。
走り出したリオットの視界の端で、教会の尖塔が見えた。
その最上階、アウグストがいる場所。
完璧な美。
完璧な正義。
そこには、痛みなど存在しないはずだ。
――なら、この胸の痛みは何だ。
処刑人として剣を振るうたびに、
命令に従うたびに、
正しさを疑うたびに、強くなるこの感覚は。
「……ヴィランズ」
初めて、その名を口に出した。
それは呪いのようであり、
救いのようでもあった。
遠くで、警鐘が鳴る。
リオットは剣を抜く。
その刃は、いつも通り美しく磨かれている。
だが――
その剣が、今日も“正義”のために振るわれるのか。
それとも。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ確かなのは、
この街に、
この世界に、
“ひび”が入り始めているということだった。
そしてそのひびの名が、
ヴィランズであるなら――
リオットは、その先に進むしかなかった。
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