第3話  ルナート

教会の中庭に差し込む陽は、白い石畳の上で柔らかく砕けていた。

高い尖塔の影が長く伸び、まるで神の指が地上をなぞっているかのようだ。


その影の中で、ひとりの青年が落ち着かない様子で行き来していた。


ルナート。

この街を治める司教の息子であり、リオットの幼なじみだった。


司教と同じ、透き通るような金髪。だが父のそれが神像のような厳しさを帯びているのに対し、ルナートの髪は陽光を素直に受け止め、風に揺れている。整った顔立ちは同じでも、纏う空気はまるで違った。人を遠ざける美ではなく、自然と近づかせる美――そういう類のものだ。


「まだかな……」


小さく呟き、教会の扉を見る。

リオットが戻ってくるのを、彼はここで待っていた。


来月の収穫祭。

その日に、ルナートは助祭から司祭へと昇進することが決まっていた。


神の世界において、それは名誉であり、祝福であり、そして――責務だった。

特にこの街は、神の世界でも古い血統を持つ領主により治められている。父の持つ司教という位は、単なる宗教職ではない。法と信仰と美、そのすべてを統べる象徴である。


ルナート自身も、それを分かっている。

それでも彼は、その知らせを最初にリオットへ伝えたいと思っていた。


処刑人として、街の汚れを切り落とし続ける友へ。

血に濡れた剣を握るその背中を、誰よりも近くで見てきた相手へ。


「……驚くかな」


そう言って、少しだけ笑う。

その笑みは屈託がなく、育ちの良さがにじみ出ていた。


そのとき、教会の重い扉が軋む音を立てて開いた。


リオットが、戻ってきたのだ。


ルナートは思わず背筋を伸ばし、声をかけようとした。

だが、リオットの表情を見た瞬間、その言葉は喉の奥で止まった。


剣を携えたその姿は、いつもと変わらない。

けれど、どこか――ほんのわずかに、影が濃い。


胸の奥で、何かがざわめく。


それでもルナートは歩み寄る。

この街の未来を担う者として。

そして、友として。


「リオット。待ってたんだ。君に、話したいことがあって――」


リオットは振り返り、


「……終わったよ、ルナート」


ルナートは一瞬だけ、リオットの手元――剣を見る。

だが、それ以上は何も言わなかった。


「リオット、僕は来月の収穫祭で司祭になることが決まったんだ」


リオットの顔の影は濃いままである。


「そうか、ルナートもようやく司祭になるのか。

これからは祭事を取り仕切る立場になるから、大変だな」


淡々とした声だった。


喜びも、祝福も、そこにはなかった。

事実を確認し、必要な言葉を並べただけのような――そんな響き。


ルナートは一瞬、言葉に詰まる。


(……おかしい)


いつもなら、リオットはもっと不器用に喜ぶ。

剣しか知らない彼なりに、「すごいじゃないか」とか、「お前なら向いてる」とか、照れたように言うはずだった。


「……ありがとう」


そう答えながら、ルナートは無意識に自分の胸元へ視線を落とす。


そこには、まだ簡素な助祭の装いしかない。

だがその内側には、この街の領主の家に代々受け継がれてきた家紋が刻まれている。


円環の中に描かれた、三重の光輪。

神の世界において、それは「祝福」を意味する紋章だった。


豊穣、秩序、美。

神がこの血統に与えたとされる三つの加護。


この街が長く繁栄してきた理由であり、司教という位が単なる役職以上の意味を持つ理由でもある。


(父上は……この祝福を、正しく使っているんだろうか)


そんな考えが、一瞬だけ胸をよぎる。


そのときだった。


「リオット」


低く、よく通る声が中庭に響いた。


振り返ると、そこに立っていたのは父――

この街の司教のアウグストだった。


白と金を基調とした法衣。

年齢を感じさせない背筋の伸びた姿。

そして、どこまでも澄んだ瞳。


人々が「神に最も近い」と称する男。


「執務室へ来なさい」


アウグストは、リオットだけを見て言った。


理由の説明はない。

拒否の余地もない。


「……承知しました」


リオットは短く答え、ルナートを一度だけ見た。


その視線には、言葉にできない何かがあった。

忠告のようでもあり、別れのようでもある。


アウグストとリオットが去っていく背中を、ルナートは見送る。


「……」


胸の奥のざわめきが、消えない。


収穫祭。

司祭への昇進。

祝福された家紋。


そして、隣の街で現れたという――ヴィランズ。


それらが、どこかで一本の線に繋がっている気がしてならなかった。


教会の鐘が鳴る。

それは祈りの時間を告げる音だったが、ルナートには、別の合図のように聞こえた。


何かが、静かに動き出している。

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