『流れ着いた怪異 前編』
七月のこと。海開きを目前にした砂浜に、あるものが流れ着いた。丸くて、赤黒い。腐ってはおらず、においは全くしない。スイカほどの大きさ。定期的にくる波に押されて、右往左往している。そしてその時は、突然訪れた。
パンッ
鮮血をまき散らしながら、それは爆ぜた。丸いそれが割れ、周辺の砂浜を血に染める。断面の肉は、ビクビク と震えており、そのグロテスクなスイカの中には、怪異が入っていた。
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八月の中旬。太陽が一番活発に動くこの季節に、
駐車場はかなり大きなものになっているが、この季節になると空いている場所は一つもない。近くの道路も渋滞になり、バスや電車も満員になる。だが、海水浴客が多く来るということは、それだけ救われる人も多い。現にこの市は海のおかげで、成り立っている。
砂浜には多くの海の家なるものがある。シャワー室と着替えをする大きな脱衣所の横に、それは建っていた。木製で作られた床板には、砂浜の砂が散らばっている。ベランダと室内に木製の白い椅子と机があり、天井付近の壁にメニューが書かれた、木の札がかけられている。メニューはかき氷やラーメンなど様々だ。店の名前は『オーシャン鎌苅』、看板はつけられているが、錆びてしまい何と書いてあるかは読み取れない。
そんな店で
このアルバイトの時給は非常によく、その理由を店長の
今の時刻は昼の一時。島津と仲間たちは休憩の時間だった。仲間といっても島津の他に二人だけで、一人はギターを買いたい
笹垣はバンドをやるためにギターが欲しかった。バンドはモテル、と風のうわさで聞いたためである。形から入るために髪の毛を金髪にしたり、ピアスを開けたりしたが、まだメンバーは一人も集まっていなかった。
入江は島津の高校の同級生であり、大学に一緒に上がってきた唯一の友達だった。何に対してもやる気を出せないやつで、高校の時のあだ名は『仏像』だった。身長も高く体も大きいところが、さらに『仏像』感を増させている。三人は大学の入学式で知り合い、そこからよくつるむようになっていた。
三人は『オーシャン鎌苅』の隣にある店で、フランクフルトを買い、その店の邪魔にならない所で座りながらそれを食べていた。三人全員が同じ服装をしており、『オーシャン鎌苅』のロゴ(と言っても鎌苅と書いてあるだけだが)が入ったアロハシャツと、ジーパンの半ズボンをはいていた。店の授業員だとわかりやすくするためである。すると島津の右で、フランクフルトを食べていた笹垣が突然言った。
「なぁ、俺ずっと気になってたんだけどさ。あの子なんかおかしくね?」
笹垣が食べかけのフランクフルトで前方を指し、空いている手で頭頂部が黒くなった金髪の頭をかく。ピアスは鎌苅に許されなかった。
島津と入江はスマホから視線を外し、その方向を見てみると、たくさんの人がいたが、一発で見つけられるほど一人異質な子がいた。何歳かはわからないが、おそらく幼稚園児くらいだろう。二十メートルほど先、その子は体育座りで、こちらに背を向けてじっと座っている。微動だにしていない。黒色の海パンをはき、上には何も着ていないので男の子だと推測した。
そしておかしなことに、その子はパラソルやレジャーシートの下に、座っていないかった。周りにスコップなどのおもちゃもなく、保護者のような人も見当たらない。ただ座っているのだ。ほかの人が動き回っているせいか、その子は水と油のように浮いて見えた。
「ああ、あの子?確かにな・・・・迷子なんじゃね?」
と島津の左隣りにいる入江も、めんどくさそうに言う。入江はもうフランクフルトを食べ終えてしまい、何もついていない竹串を砂に突き刺して遊んでいた。笹垣が
「俺接客だったから外の様子も見れたんだけどさ。ずっといるんだよ、あの子。おんなじ姿勢で。今日の朝からいたかな・・・・・」
今日のアルバイトでは、島津と入江は厨房で洗い物や調理。笹垣は店内で接客をしていた。『オーシャン鎌苅』にはテラス席もあるため、外の様子も接客なら気軽に見ることができる。島津が
「まじ?ずっとあの状態なの?声かけてあげたほうがいいんじゃない」
「やっぱそう思う?俺も最初はさ、誰か声かけるかなとか思ってたんだけど・・・・・・何というか誰も見えてない感じなんだよ。ほら、あの人も今あの子の前横切ったけど、全然見なかった」
笹垣が言った。確かに何人もの人が、あの子の前を横切っているが、誰もそっちのほうに視線を向けようとしない。何も見えていないかのように。入江がボーっとその子を見ながら言った。
「たまたまだろ。ほら、そろそろ休憩終わっちまうぞ。あの子もきっと近くに親がいるさ」
入江がスマホを見る。フランクフルトを食べ終えた島津も立ち上がり、伸びをしながら言った。
「じゃあ戻るかぁ・・・・・あの子も迷子なら、その内誰かに声かけてもらえるよ」
と男の子の方を気にしている笹垣に話かけた。笹垣も
「ま、そうだよな」
食べ終わったフランクフルトのごみを、近くにあったゴミ箱に捨てる。そのまま三人は、楽しそうな海水浴客を、なるべく見ないようにしながら、『オーシャン鎌苅』へと戻っていった。
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「よーし、今日はこれで終わりにするか。お疲れ様でした!」
日も落ち、砂浜にほとんど人がいなくなった状況で、鎌苅は入り口のシャッターを閉めながら、従業員達に言った。鎌苅はガタイがよく、アロハシャツから覗く腕は筋肉質で日によく焼けている。髪は短く刈り上げ、堀の深い顔がよく見えた。吹き出物などはなく、肌にハリがあるため、実年齢よりかは十歳近く若く見えた。
店内には島津たちの他に、二人の従業員がいた。どちらともこの地域に住んでいる人で、長年『オーシャン鎌苅』で働いている従業員だった。歳は三十代。それぞれ男と女で、浜中と柴咲。すると柴咲が
「疲れ様でした~~」
と言いながら、店の裏口から出ていった。それに浜中も続いていく。鎌苅が
「じゃあ、島津君たちも帰ろっか」
と言った。島津たちは鎌苅の家で、住み込みをしながら働いていた。今日でその生活も四日目。ようやく鎌苅家の仕組みや雰囲気にも慣れてきたところだった。
鎌苅が店の裏口に向かっていく後ろを、島津たちもついていく。全員が裏口から出たのを確認した後、鎌苅はポケットから柴犬のキーホルダーがついた鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで鍵を閉めた。ノブを二,三回まわして、鍵が閉まったかを確認すると、島津たちの方を向き言った。
「えーっと・・・・この後、会の集まりがあって帰り遅れるから、三人で先に帰っといてくれない?家までの道はわかるよね?」
島津たちは顔を見合わせた。島津は帰りまでの道のりには自信があった。基本的に一本道だし、この海水浴場から近い場所にあるからだ。島津は笹垣と入江達に向かって軽くうなずき、鎌苅に言った。
「分かります」
「そっか、良かった。妻には伝えてあるから、心配しなくていいよ。それじゃ、またあとで」
鎌苅は島津と入江の間を通り、こちらに背を向けながら手をひらひらと降った。そのままサンダルで、砂浜の上を歩いて行ってしまった。
「鎌苅さん、何であっちのほうから行ったんだろ」
笹垣が鎌苅の背中を見ながら言った。鎌苅が向かった方向は、住宅街に上がるための、石階段がある方向とは反対だった。今の島津たちは、『オーシャン鎌苅』の背の部分と、海水浴場を区切るためのコンクリート塀に挟まれている。そのコンクリート塀を超えると住宅街に出られるのだ。
石階段は脱衣所の隣にあった。『オーシャン鎌苅』は脱衣所の隣に建てられている。つまり島津たちの近くに石階段があるのだ。島津が反応する。
「向こうにも階段あんじゃない?それかそのまま砂浜で何かするとか」
「何でもいいでしょ。早く帰ろうぜ」
入江が眠そうに言った。三人はその言葉を皮切りに、一斉に歩き出した。『オーシャン鎌苅』と脱衣所の間を抜けると、日がほとんど沈み、わずかな陽光によって穏やかな波の動きが見えた。砂浜にいる人は、ほとんどいない。
だがよく見ると、蛍光色のベストを着た人たちが二人、波打ち際でしゃがみこんでいる。あのベストを着ている人たちは監視員であり、何かトラブルが起きた時に駆けつけたり、巡回をして海水浴場の安全を保ったりする仕事をしている。ベストには『亥麩海水浴場監視員』と書いてあるのを、島津たちも見ていた。島津が
「何してんだろうね、あの人たち」
「珍しい蟹でもいたんでしょ」
笹垣がおどけながら言った。その言葉に島津と入江も笑った。ふと、島津は昼に見た男の子を探した。昼にいた場所やあたりを見回しても、それらしい人物はいない。おそらく保護者が連れ帰ったのだろうと、島津は勝手に解釈した。そのまま三人は脱衣所のほうへと回り、石階段を上る。潮風に吹かれながら、舗装された道路を歩いていると、日は完全に落ちてあたりを暗闇が包み込む。そのため、あの監視員たちも見えなくなった。
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二人の監視員は、波打ち際にしゃがみこんでいた。ただし一人は砂浜に膝をつき、波が常に届く場所に頭をこすりつけている。ときどき海水から顔を上げて、呼吸をしている。一人の監視員が震える声で言った。
「なあ・・・・・・・・もうやめとけよ!」
もう一人の監視員が ジャバッ っと音を立てて海水から顔を上げた。
「いや・・・うまいんだよ。ホントに。コクというか・・・・何というか・・・・・・。今まで海の水って、ちゃんと飲んだことなかったけど、こんなにうまいんだな」
そう言うと再び バシャッ っという音を立てて、顔を海水につけた。直後、喉を鳴らす音が聞こえてくる。もう一人の監視員が、その監視員を起き上がらせようと、無理矢理脇腹をつかみ引っ張る。だが、すごい力でそれを拒んでくる。びくともしない。その間にも喉を鳴らす音が、いやというほど聞こえてくる。 ジャバッ っと顔を上げて言った。
「海の水はしょっぱいという先入観があったが、飲んでみると全然そんなことない!この事実を教えてくれたあの子に感謝だ。ほら、お前も飲んでみろよ」
バシャッ
「だから!あの子って誰なんだよ!一人で座ってた子なんていなかったんだよ!・・・・お前おかしくなってるよ!」
もう一人の監視員は、半泣きになりながら言う。もう相方が海水を飲む音を聞きたくなかった。辺りは完全に暗くなり、闇に頭を飲み込まれているように見えた。
「お、俺ほかの仲間呼んでくるから」
一人ではどうすることもできないと判断したため、他の人に助けを求めようと思ったのだ。この声が相手に聞こえているのかは怪しかった。頭がおかしくなった相方を尻目に、砂浜をかけていく。
ジャバッ
「あ~ありがとう。教えてくれて。うまいよ~。ありがとうございます。本当に。感謝します」
バシャッ
ジャバッ
「なんだろうな、何と言ったらいいのかわからない旨さ。ただ今は満たされる感じがする。周りが海水に・・・・・・」
バシャッ
ジャバッ
「あ、君!ありがとう。本当に。海水はこんなにうまかったんだね。君も飲んだら?
・・・・・ん?・・・・・何してるの?
・・・・・・・何で拍手してるの?」
バシャッ
暗い海に一人。監視員は海水を飲み続けた。
数分後、複数人が砂浜を踏みしめる音が響いた。監視員が仲間を連れて元の場所に戻ってきたときには、海水を飲んでいた監視員はもういなくなっていた。
元々いた場所には、監視員が膝をついてできた跡。そしてその手前の砂浜には、子供のものと思われる足跡が残っていた。その後、翌日まで懐中電灯を使い捜索されたが、彼が見つかることはなかった。
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島津たちが鎌苅邸の玄関を開けると、ものすごい勢いで柴犬の
「あらあら、おかえりなさい。お疲れ様でした。お風呂沸いてますよ」
奥から鎌苅の妻である、
島津たちは靴を脱ぎそろえてから、足に付いている砂を手で払った。玄関を上がり、代美子に礼を言う。小豆は未だに、三人の足元をクルクルと回っている。
島津たちはとりあえず二階に上がることにした。二階には島津たちの部屋(客間)がある。かなりの広さで、鎌苅が言うにはこの建物自体、鎌苅が建てたものではなく、親からもらい受けたものだと言う。鎌苅の両親は、すでに亡くなってしまっている。
木で出来た廻り階段を上っていくと、左側の手前に一つ、奥に一つ
「風呂、誰から行く?」
島津が聞いた。笹垣と入江は何も言わず、こちらに目線を向ける。今は行く気がしないという、意思表示だと島津は受け取った。
「じゃ、俺行くわ」
「「うーい」」
二人が同時に返事をした。島津は部屋の角に、押し込められた荷物のほうに行く。そして一番大きいボストンバックのチャックを開けて、中からパジャマと上下の下着を取り出した。それを抱えて、近くの襖から出る。階段から見たときに、奥側にあった襖である。
階段を下りて右に進むと、食事をするダイニングと、洗面所に続く扉が出てくる。風呂場はその洗面所の奥。廊下を歩き、ダイニングの横を通ると、晩御飯のにおいがしてきた。揚げ物の匂いだったため、晩御飯はコロッケかとんかつだろうと、島津は予想を立てた。
木製の扉を開けると、洗面所が出てくる。洗面所と風呂場は、一度作り替えたらしく、汚れは一つもない。もちろん代美子が、掃除をしっかりしているからだろう、とも思っていた。
扉に鍵を閉め、服を脱ぎ始めた。脱いだ服を洗濯かごに入れて、着替えは足ふきマットレスの近くに置いておいた。バスタオルは、棚の上に乗せられている。すりガラスの引き戸を開けると、蓋が閉められている浴槽が見える。島津はシャワーを浴びることにした。
バイトの期間は、今日を入れないで残りニ日。亥麩海水浴場の海開きをする期間も、全く一緒である。バイクを買うお金は、これで集まるはずだった。大学の夏休みは長いので、このバイトが終わっても、遊ぶ時間は残されている。
シャワーを止め、そのままシャワーフックにかけた。下にあるボトルから、シャンプーを探す。その時だった。
クワァーー クワァーー クワァーー
突如、無音の浴室にカモメの鳴き声のようなものが響いた。外にいるカモメたちの鳴き声が、家まで聞こえているのだろう、と島津は考えた。海の家にいるときも、集団で飛来するカモメを見た。
カモメのフォルムが、島津は好きだった。目も鋭くて、かっこいい。ただ、鳴き声はあまり好きではない。それはあの高い声が、人間の悲鳴に聞こえるからだった。─────────────────────
島津たちは食卓に着いた。三人とも風呂に入り終え、パジャマ姿になっている。木でできたダイニングテーブルの上には、それぞれの取り皿と箸、真ん中には大きい皿に積まれた揚げ物、その横に煮物などがあり豪勢だった。島津たち三人と代美子は席につき、食事を始めた。鎌苅はまだ帰ってきていない。小豆は食べ物が落ちてくるのを待っており、隙あらば食ってやろう、と椅子の間でふせをしている。
大皿の揚げ物を取り皿に乗せた島津は、失敗したと思った。形がクリームコロッケだったからだ。予想を外したことを悔しがった。いくつかを皿に乗せたところで、笹垣が誰彼構わず言った。
「鎌苅さん、遅いですね」
代美子が箸を止めて言った。
「今日は清掃のついでに、会議もあるらしいからね。だいぶ遅いと思うよ」
「亥麩海の会でしたっけ」
島津が聞く。
「そうそう。海の家を出してる人は、大体参加してるよ。海岸・砂浜の清掃。今後の相談。海水浴客の問題。色々やってるよ」
入江は、黙々と食事をしていた。島津も煮物を食べた。美味い。四日ほど代美子のご飯を食べているが、どれも美味しかった。特に海鮮を使った料理が美味い、それは海が近くあるからだろうと島津は考えていた。すると
「ただいまー!」
玄関の鍵を開け、扉を開ける音と鎌苅の快活な声が聞こえた。代美子がそれに反応する。席を立ち、キッチンへ向かう。ダイニングへの扉が開かれ、鎌苅が入ってきた。帰ってきた鎌苅は、汗をかいており、首にタオルを巻いている。代美子が
「遅かったわね。お風呂とごはん、どっちにする?」
と、どこかで聞いたことのあるセリフを口にした。鎌苅が
「これでも早く抜けて来たんだよ~?・・・・・・ん~。お腹空いたし、ごはんにしようかな」
鎌苅は空いている席に座った。代美子が取り皿と箸を持ってきて、鎌苅の前に置き、席に戻った。鎌苅は手を合わせると、揚げ物を取ってほおばった。
「鎌苅さん、今日はどこの清掃をしてたんですか?」
入江が言った。バイトが終わった後に、鎌苅が近くの階段から上がらなかったことを、島津たちは直接聞いてみようと、帰り道で決めていたのだ。ただ、入江が聞くと思っていなかったので、島津も笹垣も驚いた。鎌苅が口に入れたものを、飲み込んでから言った。
「今日は石碑の清掃。海岸の端っこまで行くとあるよ。何で?」
「え?」
入江がこちらを向いて、助けを求めた。別に隠すことでもないので、島津たちはそれぞれ思ったことを話した。
「あ~そういうことね。はははっ。別にそんな深いことはないよ。あっちから行った方が早いだけ。君たちも行ってみれば?特に面白いものでもないけど」
謎は思ったよりも単純だった。まぁ、特に期待していたわけでもなかったが。それよりもこの広い海岸の端に、石碑があったことのほうに、島津は興味がわいた。まだここに来て少ししか経っていないので、島津たちはこの海岸や、町について詳しく知らなかった。笹垣が
「何の石碑なんですか?」
「えーっと、だいぶ前だけど。津波が来たんだよ。かなりでかいやつで、人が大量に死んだ。そのための石碑だね」
島津にも、その津波は聞いたことがあった。かなり有名なもので、高校の時の社会のおじいちゃん先生が、実際に被災し、過去の思い出を授業中に長々と話していた。
島津たちの会話が途切れ、箸を動かす音だけが響く。人が死ぬ話が出ると、一旦場には沈黙が訪れる。仕方ないことだ。島津はその沈黙を破るように、思い切り揚げ物にかぶりついた。
突如、違和感が島津を包み込んだ。その違和感の正体は、揚げ物の中身にあった。揚げ物の中身は、クリームではなく、カキだった。海鮮の方から行ったら、解けたなと悔しがるのと同時に、島津は晩御飯を予想するのは、もうやめようと思った。
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翌日。その日も同じように、亥麩海水浴場は賑わっていた。多くの人が、海に入ったり砂浜で遊んだりしている。島津たちは、その人たちの間を通りながら、石碑がある方に向かっていた。海水浴場はものすごい熱気で、何度か人とぶつかりそうになった。これだけ人がいると、海で泳いでいる人も、ゴチャゴチャしていそうだなと想像し、島津は少しめまいがした。
鎌苅からは長めの休憩時間をもらっていた。鎌苅も毎日バイト漬けなのは、さすがにかわいそうだと思ったのかもしれない。
しばらく歩いていると、砂浜に硬い岩などが混じり始めた。段々と人の数が少なくなってきて、目の前の視界が開かれる。目の前には石階段があり、錆びた手すりがついていた。左手にも脱衣所と同じ形の石階段があるため、ここからでも道路に出られるのだろう。『オーシャン鎌苅』から出て、しばらく歩いたが、近くにはぼちぼち人がいた。
「はぁはぁ・・・ここが石碑の階段?」
笹垣が息を切らしながら言った。笹垣は最近タバコを吸い始めたため、体力がない。かくいう島津はもとから体力がなく、隣で同じくらい息を切らしていた。落ち着いていたのは入江だけである。その入江が
「そうじゃね?行くか」
三人は岩壁に沿った、石階段を上り始めた。錆びた手すりで休憩していたカモメ達は、島津たちがこっちに近づいてくるのに気づくと、どこかに飛んで行ってしまった。石階段を上っていき出てきたのは、獣道。左側には林があり、道を歩くと時々枝が頭に当たる。少しその道を歩くと、再び開けた場所に出た。
そこには石碑と金属でできた説明板があった。左手にも道があり、林を切り開いて、おそらく道路とつながっているのだろう、と島津は考えた。そうすると、鎌苅が言っていた遠回りになるというセリフが、理解しやすくなるからだ。奥には手すりと、綺麗な海が広がっている。ここは高台のようになっているのだ。島津が
「これか?はぁはぁ・・・」
三人は石碑の前に行った。説明板には昨日聞いた津波の内容や、この石碑を建てた経緯などが書かれていた。説明板は潮風により、角の部分が少しだけ錆びてしまっている。
石碑のほうにも文字が彫ってあるが、時間が経ちすぎているのか、何と書いてあるのかは部分部分でしか読み取れない。石碑には
『母なる海・・・・・・魂は・・・・・・・・我々・・・・・・・眠れ。』
「読めんね」
入江が言った。来たのはいいが、鎌苅が言った通り面白いものではなかった。島津は視線を石碑から外して、海水浴客がたくさんいる砂浜に目をやる。ここからだと大勢の人が、ひしめき合っているのがよく見える。その瞬間あるものを見つけ、島津は絶句した。
二十メートルほど先。はっきりと分かった。たくさんの人が動いている中で、水と油のように浮いている。異質。なぜその子を見つけられたのかはわからない。黒い海パンをはき、体育座りで微動だにしていない。その周りでは家族が砂の城を作っていたり、炎天下に肌を焼いている男がいたりするが、気にもしていないように見える。昨日見た子とは、違う子なのかもしれないが、島津の第六感は同じ人物だと告げている。
前回は後ろから見たため、顔はわからなかったが、今回は横から見ているので顔が見える。その顔は幼く、何の感情も沸いていなさそうだった。気のせいか、段々男の子の顔が、こっちを向いている気がする。島津は急いで顔を背けた。
その瞬間だった。
「うわっ!」
笹垣が叫んだ。島津の心臓がつぶれそうになった。
この場所から見る海は絶景。笹垣は海を近くで見ようと、石碑と説明板の間を通り抜けた。その瞬間、目の端で黒い何かをとらえたのだ。
石碑の後ろ。手すりの下から足を出して、海を眺めている男がいた。男は高台の端に、腰掛けるように座っていた。そのため正面からは見えず、笹垣はここに人がいると思わなかったため驚いたのだ。男はすぐにこちらを向いた。年齢は二十歳前後に見え、髪の毛は鼻までかかっているほど長い。男は目を見開き、こちらを見つめている。笹垣は大きな声を出したことを謝った。すると男は
「いえいえ、大丈夫ですよ。私も見えづらいところにいましたからね。こちらこそ驚かして申し訳ない」
男は軽く頭を下げた。変な人じゃなくて良かった、と笹垣は安心した。島津たちは笹垣が急に叫んだため、何事かと思ったが、状況を把握すると落ち着いた。男は続けて言った。
「海、綺麗ですよ。私は帰りますんで、ゆっくりどうぞ」
というと手すりから足を抜き、立ち上がった。そのまま説明板と手すりの隙間を通り、こちらに背を向けて、あっという間に行ってしまった。笹垣が
「海水浴客かな?まぁなんでもいいけど、ビビったぁ」
島津は男の件が終わると、さっき自分が見たものを話した。昨日見た微動だにしない不気味な男の子を、再び見つけた話。入江も笹垣も砂浜のほうを向き、男の子を探しているようだが、見つからないらしい。入江が
「いなくない?」
「いないね。島津、俺らのことビビらそうとしてるんじゃないの笑?」
笹垣が島津のほうに向きなおり、ニヤニヤしながら言った。島津も恐る恐る砂浜のほうを見る。だが、先ほどいた場所には誰もいない。砂の城を作っている家族の人数が増えているわけでも、日に焼いている男の隣に人が増えたわけでもない。男の子はどこに行ったのか。島津は
「いや、ほんとにいたんだって!まじで!」
「でもいないしな~~」
入江が言う。笹垣が
「ま、見間違えたんだろ。そろそろ戻らないと」
とポケットからスマホを取り出して言う。入江と笹垣は、行きに使った道を戻り始めた。島津は少しだけ、男の子を探したが見つからない。
もしかしたら本当に錯覚だったのではないかと、島津は考えた。別に見つけなければいけないものでもない。忘れてもいいもの。何なら忘れたほうがいいもの。島津はあの子のことは、忘れようと思った。だがそれに反して、今日の出来事のせいで、あの男の子の顔と姿は、島津の頭に張り付いてしまった。─────────────────────
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