第18話:魔界の盤上に置かれし者
玉座の間には、まだ緊張の余韻が残っていた。
その中央で、淫魔セレネは静かに膝をつき、深く頭を垂れている。
流れるような銀髪、磨き抜かれた肢体、そして完全な服従を示す姿勢。
あまりにも整いすぎたその光景に、ゼルファスは一瞬、言葉を失った。
「……顔を、上げてくれ」
わずかに声が硬い。
自分でも意識していなかったが、視線を正面に据えることができない。
「は。ゼルファス様」
セレネは静かに顔を上げ、淡く微笑んだ。
その仕草ひとつひとつが、仕える者として完成されている。
その様子を見ていたディアブロが、突如として大声で笑い出した。
「はははははは!
なるほど……これは愉快だ。
ゼルファス、お前がそんな反応を見せるとはな!」
ゼルファスは一度、深く息を吐き、冷静さを取り戻す。
「……お戯れは、お控えください。ディアブロ様」
その声音には、まだ硬さが残っていたが、明確な敬意が込められていた。
「はは、すまぬすまぬ」
ディアブロは笑みを浮かべたまま、肩をすくめる。
「だが安心せよ。 今の反応は、弱さではない。
お前が自我を失っていない証だ」
その言葉に、ゼルファスの眉がわずかに動く。
「……」
「闇に呑まれきった者は、他者を前に何も感じぬ。
だが、お前は違う。
それは闇のオーラを制御できる器を持つ者の反応だ」
ゼルファスは何も答えなかったが、その沈黙は否定ではなかった。
ディアブロは満足げに頷くと、セレネへと向き直る。
「セレネ。 ゼルファスの部屋を用意してやれ。
しばらくの間、あやつの世話はお前に任せる」
「御意」
セレネは恭しく一礼し、ゼルファスに向き直る。
「こちらへ、ゼルファス様。お部屋までご案内いたします」
ゼルファスは一度だけ玉座を振り返り、軽く頭を下げると、そのままセレネの後に続いた。
二人の姿が玉座の間から消え、重い扉が閉じられる。
その瞬間、空気が変わった。
「――さて」
ディアブロの声は、先ほどまでの戯れを完全に失っていた。
「出てこい、ダルマス」
柱の陰から、一人の悪魔が姿を現す。
年の頃は壮年。
整えられた髪と口ひげ、紳士然とした衣装。
しかしその細身の体躯の内側には、無駄のない筋肉が張り詰めている。
剣を取らせれば一流、策を巡らせれば百戦錬磨――
彼こそが、ディアブロの側近にして参謀、ダルマスであった。
「お呼びでしょうか、ディアブロ様」
「見ていたな?」
「……はい」
ダルマスは静かに頷く。
「率直に申し上げます。
あれほどの存在は、魔界広しといえど初めてです」
「ほう」
「人間の肉体を保持したまま、 あの闇のオーラ……
理屈が通りません。唯一無二と呼ぶほかない」
ディアブロは愉快そうに口角を上げた。
「どこから連れてきたと思う?」
「……魔界では、ないのでしょう」
「人間界だ。もとは、人間だった」
ダルマスの表情が、わずかに強張る。
「人間……」
「人間を憎み、世界を憎み、 失ったものへの怒りと絶望が、
あやつの心で“黒炎”へと変質したのだろう」
ディアブロの声は低く、確信に満ちていた。
「ゼルファスはな、ダルマス。
我ら悪魔の力が再び表舞台に立つための、象徴となる存在だ」
「……ディアブロ様が、そうおっしゃるのであれば」
ダルマスは深く一礼する。
「疑う余地はありません」
「皇帝陛下にも、他の上位悪魔どもにも、必ず認めさせる」
ディアブロの瞳に、妖しい光が宿る。
「間違いなく、皇帝陛下はゼルファスを 上位悪魔として叙爵される。
それも……高位の爵位だ」
「……高位、ですか」
ダルマスは思わず声を漏らした。
「実績もなく、いきなりその地位。 悪魔の世界では力こそが全てとはいえ、
反発は避けられないでしょう」
「闇のオーラを見れば、納得せざるを得まい」
ディアブロは笑う。
「前代未聞だがな。 ひと波乱は、確実に起きる」
「……荒れるでしょう」
「構わん」
ディアブロは断言した。
「奴ならば、心配はない。 セレネを付けた」
ダルマスは、すぐに理解したように目を細める。
「なるほど…… あれは、単なる執事ではありませんな」
「帝都へ使いを出せ」
ディアブロは命じる。
「皇帝陛下への謁見の願い。 そして、上位悪魔どもの招集だ」
ダルマスは即座に片膝をついた。
「――御意!」
その声が玉座の間に響いたとき、 すでに歯車は大きく回り始めていた。
人間であり、悪魔であり、
黒炎を宿す者――ゼルファス。
その存在は、
やがて魔界全土を揺るがす“異物”となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます