第17話:闇に膝を折る銀の執事
魔法陣が闇に沈むと同時に、空間が裏返った。
世界が一瞬、上下も前後も失い、
次の瞬間――
ゼルファスとディアブロは、巨大な玉座の間に立っていた。
天井は見えない。
いや、存在しないと言ったほうが正しい。
遥か上空には闇そのものが渦を巻き、
黒曜石の柱が無限に連なり、虚空を支えている。
床は赤黒い光を脈動させ、
それはまるで、この城自体が“生きている”かのようだった。
空気は重く、粘つき、吸い込むだけで魔力が肺に絡みつく。
(……ここが、魔界……)
ゼルファスは静かに周囲を見渡す。
だが、不思議なことに圧迫感はない。
むしろ――
(落ち着く……?)
自分の内にある闇と、この空間の闇が、自然に溶け合っている感覚。
「ここは魔界にある、我が屋敷だ」
ディアブロが淡々と言った。
「お前が己の力を制御し、
この世界の理を知るための場所でもある」
ゼルファスは一度、深く頷いた。
(制御……か)
(確かに、今のままでは力が溢れすぎている)
玉座の間の空気が、彼のオーラに反応して微かに震える。
柱の表面に刻まれた魔紋が、淡く光った。
ディアブロは片手を上げる。
その瞬間――
空気が、裂けた。
――コォォォ……ッ
低く、深い音。
闇の粒子が引き寄せられるように集束し、
そこから、ひとりの女が姿を現した。
淫魔の執事・セレネ。
漆黒のドレスは身体の線を過不足なく際立たせ、
長い脚は一切の無駄を排した立ち姿を形作っている。
銀色の瞳は冷たく澄み、
そこには感情の揺らぎがほとんど存在しなかった。
美しい。
だがそれは、欲を煽るための美ではない。
刃のように研ぎ澄まされた、
理性と威厳の美だった。
「……ディアブロ様。お呼びにより、参上いたしました」
セレネは音もなく膝を折り、深く頭を垂れる。
その所作はあまりにも洗練され、
数千年という時を“執事”として生き抜いてきた完成形だった。
(……無駄がない)
(この女……相当、出来る)
ゼルファスがそう評価した、その瞬間。
ディアブロは目線だけで合図し、微笑む。
「顔を上げよ、セレネ。……お前の新たな主、ゼルファスだ」
セレネは命令に従い、ゆっくりと顔を上げる。
そして――
ゼルファスを見た瞬間。
空気が、潰れた。
圧倒的な闇が奔流となり、
彼女の身体と魂を一気に貫く。
(……っ……!?)
胸の奥が焼けるように熱を帯びる。
だが、それは恐怖ではない。
理解だった。
——王ではない。
——魔王でもない。
——だが、それらすべてを凌駕しうる“可能性”。
(……未完成……だが……)
淫魔として、
悪魔として、
魔界の理を知る者として――
セレネは一瞬で悟ってしまった。
抗えない、と。
次の瞬間、
彼女は意識よりも早く、床に手をついていた。
完全なる平伏。
それは命令でも、恐怖でもない。
魂が、自ら“正しい”と判断した結果だった。
唇が、わずかに震える。
「……ゼルファス……様……」
氷のように冷静だったはずの声が、
熱を帯び、微かに掠れている。
彼女の銀の瞳は、
畏怖と、そして――恍惚で濡れていた。
(……そこまでか)
ゼルファスは、内心でわずかに息を吐く。
(だが……悪くない)
ディアブロは満足げに笑った。
「セレネは淫魔の中でも最古の一人だ。
魔界の理、悪魔の法、階級制度を知る」
「お前がこの世界を学ぶための執事であり、案内人だ」
セレネは伏したまま、震える声で続ける。
「……このお力……あまりにも……崇高にございます……」
彼女は祈るように言葉を紡ぐ。
「ゼルファス様……どうか……この身を……
すべてを……お使いください……」
それは誘惑ではない。
知性ある悪魔が、誇りをもって差し出す忠誠だった。
ゼルファスは一歩、前に出る。
闇のオーラが淡く揺れる。
そのたびに、
セレネの身体はわずかに跳ね、呼吸が乱れた。
恐怖ではない。
快楽でもない。
――仕えることを許された存在だけが知る、静かな陶酔。
ゼルファスは、静かに告げる。
「……よろしく頼む、セレネ」
短く、だが確かな言葉。
その瞬間、セレネの魂が、完全に彼へと向いた。
「――はい。この命、すべてをもって、お仕えいたします」
闇は、静かに。
だが確実に――
彼女を支配していた。
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