第6話:壊れぬ盾、壊れる心

数年後ノアは、戦場にいた。


――そこはノアにとって、ヴァルガロス邸とはまた別の地獄だった。


ヴァルガロスに飽きられたノアは、エルトリア王国東部の領主、ガーダン・レオネス伯爵に売られた。


ガーダン伯爵の領地は、フェルゲン王国と国境を接し、

小競り合いが絶えない土地だった。

ノアは「不死」という理由だけで、一般奴隷兵とともに最前線へ送られた。


彼に与えられた役割はただ一つ。


盾となること。


敵の矢が飛び、槍が突き、炎が上がり、仲間が逃げ惑うたび――

ノアの体は前に出され、傷つき、倒れ、それでも立ち上がった。


どれだけ深い傷も、骨が砕けたとしても、瞬く間に元へ戻ってしまう。


その異常さは、味方にとって救いであり、同時に恐怖でもあった。


「おい、ノア! 前に出ろ!」


背後から怒鳴り声が飛ぶ。

盾を構えた兵士が苛立ったように叫んだ。


「お前は死なねぇんだろ! 矢を受けろ! 俺たちを守れ!」


ノアは黙って前へと歩み出る。


鋭い矢が胸を貫き、血が噴き出した。だが彼は倒れない。

ふらつきながらも踏みとどまり、矢を引き抜いて次の攻撃に備える。


兵士たちはその姿に歓声を上げた。


「見ろよ! あいつ、本当に死なねぇ!」

「化け物め……だけど便利な盾だ!」


ノアはただ黙って矢を受け止め続ける。

心の奥で、黒い炎がゆらりと揺れた。


――守るために立っているのに。

――誰も自分を“守られる仲間”として見てはいない。


戦の合間、兵士たちは焚き火を囲んで休んだ。

ノアもそこに座ったが、誰も彼に近寄らない。




「なあ……あいつ、眠るのか?」

「さあな、見たことがねえ。傷はすぐ塞がるし……」

「人じゃねぇって。呪われてる。」

「いつか俺たちを裏切るんじゃねぇのか?」

「裏切る? もう裏切ってるようなもんだろ。仲間じゃねぇ。」


焚き火の赤い光が、ノアの瞳に潜む黒炎の色と重なる。


(僕は……なぜ、ここにいるんだろう)


答えはどこにもなかった。


翌日の戦闘。

敵軍の突撃が迫り、混乱が広がる。


「ノア! 前に出ろ! お前が盾だ!」


いつものように命令が飛ぶ。


ノアは前へ出て、槍を受け、矢を浴び、血を流し、肉を裂かれた。

だが倒れない。立ち続ける。


兵士たちはその背に隠れ、生き延びる。


戦闘が終わった頃、一人の兵士がノアに近づいた。

恐怖と嫌悪が入り混じった目をして。


「……助かったよ。だが……お前がいると気味が悪い。

死なないなんて……神の呪いだ。」


ノアは黙ってその言葉を受け止める。


「ノア……お前は仲間じゃない。俺たちの盾だ。

だが……いつかその盾が俺たちに牙をむくんじゃないかと思う。」


その言葉は、鋭い刃のようにノアの胸に突き刺さった。


彼は守った。仲間を救った。


なのに――彼らはノアを“恐怖の対象”として見ている。


孤独は深まり、心の底で黒炎が一際大きく揺れた。


夜。

焚き火の前に一人で座るノアを、兵士たちは遠巻きに眺めた。


「化け物……」

「呪われた泉の子……」

「いつか俺たちを滅ぼす……」


囁きは夜風に乗ってノアの耳へ届く。


ノアは焚き火を見つめながら、胸に広がる黒炎を感じた。

温もりではなく、孤独と憎悪が作り出す暗い熱。


(……僕は、どうせ誰にも見られない。誰にも理解されない。

 なら……)


黒炎が、ゆっくりと、しかし確実にノアの心を支配し始めた。


世界を焼き尽くすための炎へと。


数年もの間、ノアは戦場で戦った。


エルトリア王国とフェルゲン王国との間に停戦講和条約が結ばれた。


領主のガーダン伯爵は、ノアはもう必要ないと、取引のある


王家御用達宝石商ラモン・ヴァルディネスに売る。


青年となったノアは、

王家御用達宝石商ラモン・ヴァルディネスの一団に加えられ、

街道を往く荷運びと護衛の任を担っていた。


その日、王都郊外の石畳を進む馬車の列が、突然足を止めた。


「――待て」


ノアの低い声に、御者が手綱を引く。


他の護衛たちは怪訝な顔をした。


「どうした?」


ノアは答えず、 ゆっくりと馬車の前に出た。


次の瞬間―― 茂みの奥から、矢が飛んだ。


鋭い音。

避ける間もなく、矢はノアの肩を貫いた。


「ノア!?」


悲鳴が上がる。

だがノアは一歩も退かず、

矢を受けたまま前へ進んだ。


続けて放たれる二本目、三本目。

胸、腹、脚――矢は次々と突き刺さる。


それでも、ノアは倒れなかった。


「……伏せろ」


淡々と告げ、

敵の潜む方向へ歩を進める。


やがて矢は止み、盗賊たちは悲鳴を上げて逃げ散った。


静寂が戻る。


護衛の一人が、恐る恐る近づいた。


「……だ、大丈夫か……?」


ノアは無言で、 肩に刺さった矢を引き抜く。


肉が裂ける音。

血が流れる――が、それはすぐに止まり、傷は塞がっていく。


護衛は、思わず一歩下がった。


「……やっぱり……人間じゃないな……」


その言葉に、ノアは反応しなかった。


ただ、地面に落ちた血の跡を見つめ、

静かに呟く。


「……仕事は、続けられる」


それだけだった。


馬車は再び動き出す。

誰も、ノアの隣には立たなかった。


彼は隊列の先頭を歩きながら、

胸の奥に残る、かすかな虚しさを感じていた。


(……守ったのに)


(……それでも……)


(……やっぱり、違う……)


戦場でも、商隊でも、彼は同じだった。


盾となり、道を切り開き、生き残らせる。


だが――決して、仲間にはならない。


青年ノアは、そのことを、もう理解していた

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