第5話:壊れぬ体、壊れゆく心
ヴァルガロス・エーヴェルト子爵の屋敷。
その豪奢な門が閉じられた瞬間、ノアの新たな地獄が幕を開いた。
扉の向こうで、使用人たちの視線が一斉に集まる。
ひそひそとした囁きが、刃のように飛び交った。
「不死の奴隷だってさ……」
「髪も肌も白い。瞳は紅……気味が悪い」
「近寄るな。人じゃない」
(……また、ここでも)
ノアは視線を落とし、言葉を飲み込む。
否定する力も、怒る気力も、もう残っていなかった。
与えられた仕事は、誰もやりたがらない雑役ばかりだった。
厩舎の糞掃除。
重い水桶の運搬。
厨房の裏で捨てられた骨や皮の始末。
夜明け前の中庭での石畳磨き。
「遅い!」
「そんなこともできないのか!」
些細な失敗ひとつで、罵声が飛ぶ。
女の使用人は桶を投げつけ、
男の使用人は背中を蹴り上げる。
激痛が走る。
だが、裂けた皮膚はすぐに塞がる。
「ほら見ろ!」
「笑えるほどすぐ戻るじゃないか!」
「壊れねぇなら、どれだけ痛めてもいいってことだろ?」
(……戻るから、殴っていい?)
(……戻るから、壊していい?)
胸の奥に、黒いものがひたひたと溜まっていく。
それが何なのか、ノアにはまだ分からなかった。
屋敷の主の子息は、ノアを遊び道具にした。
「お前なんか人間じゃない! 怪物だ!」
「痛いか? 痛いよな? でも死ねないんだろ?」
殴られ、蹴られ、床に叩きつけられる。
視界が歪み、血の味が広がる。
(……やめて……)
(……もう……)
声に出せない言葉が、喉の奥で潰れる。
「……死ねないなら……」
「……心だけでも……消えてしまいたい……」
夜になると、ノアは屋敷の裏へ追いやられる。
彼に与えられた寝床は、物置小屋だった。
割れた板の床。
隙間風が吹き込み、冬の夜気が骨に染みる。
毛布は一枚だけ。
湿った藁の匂いが、鼻を刺した。
(……ここが、寝る場所……)
食事は一日一度。
冷え切った黒パンの端と、薄い水のようなスープ。
具はほとんどなく、脂の膜が浮いているだけだった。
(……生きるって……これ?)
腹は満たされない。
だが、それ以上に心が空っぽだった。
そして、夜が深まると――
地下室の扉が開く。
昼間の豪奢さとは無縁の、石と鉄の冷たい空間。
ヴァルガロスはノアを連れ込み、鎖で拘束し、
壊れない体を愉悦の道具として扱った。
行為のすべては語られない。
だが、ノアの瞳から光が薄れていく様子が、すべてを物語っていた。
「壊しても戻る……最高だな」
「苦しめ。泣け。絶望しろ。その顔が見たい」
(……これが……人の、楽しみ……?)
「……やめて……お願い……」
震える声は、石壁に吸い込まれて消える。
肉体は何度でも再生する。
だが、そのたびに、心だけが削られていった。
両親を失い、兄を失い、友を失い――
そして今、自尊心までも踏みにじられていく。
朝になる。
何事もなかったかのように、体は元に戻っている。
だが、鏡に映る自分の目だけが、昨日とは違った。
(……戻ってるのは、体だけだ)
再生した体を引きずり、また仕事へ向かう。
奇異の目。
冷たい蔑み。
粗暴な命令。
執拗な暴力。
それらが積み重なり、
ノアを永遠の闇へと追い込んでいく。
泉の水面に映った自分の姿が、脳裏に浮かぶ。
あのとき、確かに何かが変わった。
(……もう……人じゃない)
少年は心の奥で、静かに呟いた。
「……もし永遠が呪いなら……」
「……僕は、その呪いを……背負って生きるしかないのか……」
その言葉は、
誰にも届かない暗闇へと溶けていった。
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