第3話:競り落とされる命

王都アレシアの奴隷商ソーマ。

その大広間は、蝋燭の揺らめく灯りに照らされ、異様な熱気と重い空気で満たされていた。

壁には古びた絵画やタペストリーが飾られ、まるで社交場のような華やかさを演出しているが、その実態は人間を売り買いする闇の市場である。


貴族たちはワインを手に取り、富裕商人たちは帳簿を片手に

値踏みの準備をしている。

今日のオークションは、年に数度しかない特別開催であった。


壇上に現れたのは、

十八歳ほどの、しなやかな体つきをした若い女性だった。


栗色の髪は艶やかに波打ち、 青い瞳は怯えながらも気品を失っていない。

簡素な布衣を着せられていながらも、

隠しきれないが漂っていた。


会場の視線が一気に集まる。


「お待たせいたしました!

 こちらは 王都アレシアの名門商家(ラディエ商会)の娘、

 ……しかし父親の事業失敗により負債を抱え、

 やむなく身売りとなった娘でございます!」


男たちがざわめき、貴族たちでさえ興味を示す。


「容姿はご覧の通り。 さらに幼少より読み書き、会計、礼法を学んだ教養人。

 貴族屋敷の侍女、側仕えにしても申し分なし!」


女性は震える手を胸に当て、声を震わせる。


「……お、お願いです……どこか……優しい方に……」


その弱々しい声音が、逆に男たちの欲望をあおった。


「開始は――アレシオン金貨五枚!」


「六枚だ!」

「いや、八枚!」

「十枚出す!」


歓声と怒号が飛び交い、

競りは一気に白熱する。


売り手は満足げに笑い、女性の肩に手を置いた。


「価値ある娘ですぞ。家事も礼儀も心得ておりますし、

 なにより――従順でございます。」


女性は小さく震えた。


やがて落札の槌が鳴り響く。


女性は膝をつき、涙をこらえながら連れて行かれた。


しかし会場に残ったのは哀れみではない。

ただ、手に入れ損ねた“商品”を惜しむような視線 だけだった。


「次の出品だ! 東方方出身の戦士奴隷、ハルガン!」


巨大な鉄格子が開き、鎖につながれた大男が姿を現した。

肩幅は扉いっぱいに感じられ、全身に刻まれた傷跡がその戦歴を物語っている。


「素手で熊を倒したという猛者だぞ! 闘技場でも高値で売れよう!」


「ほう……確かに骨格が違うな」


「闘わせれば金になる」


「開始はアレシオン金貨五十枚から!」


「六十!」「七十五!」「八十!」


会場はすぐに活気づき、ハルガンはアレシオン金貨百二十枚で落札された。

拍手が鳴り響き、客たちの興奮はさらに高まってゆく。


続いて、別の扉が静かに開く。

そこから現れたのは、薄いドレスに身を包んだ少女だった。

十代半ば、金髪を編み込み、背筋はか細いが気品のある佇まいを崩していない。


「次にご覧いただくのは、隣国フェルゲン王国の没落貴族──エーデル家の三女

 リュシア嬢でございます。」


ざわり、と会場全体が揺れた。


「貴族の娘だと……?」


「処刑された家の……?」


ドミナスは満足げに頷き、観客の期待を煽るように話した。


「政争に敗れ、一族は処刑。唯一生き残ったのがこの少女にございます。

 幼い頃より貴族教育を受け、礼儀作法・舞踏・話術はいずれも一級品。

 サロンの飾りとしても、後宮の侍女としても、申し分ない逸材でございます。」


リュシアは俯いたまま、細い肩を必死に震わせている。

その哀れな姿は、彼女がどれほど無力かを示すと同時に、

貴族たちの欲望を刺激した。


「……美しいな」

「あれが噂のエーデル家か……」


「開始はアレシオン金貨三十枚!」


「四十!」「五十!」「七十!」


金貨の数字が跳ね上がるたび、

リュシアの肩が小さく跳ねる。


(……やめて……)


その声は、誰にも届かない。


「百枚!」


最後の声が上がると、 一瞬の静寂の後、ドミナスが高らかに告げた。


「――落札!アレシオン金貨百枚!」


その瞬間、すべてが決まった。


使用人たちが近づき、

少女の腕を取り、舞台裏へと連れて行く。


リュシアは抵抗しなかった。

抵抗する力など、もう残っていなかった。


その横顔は、今にも崩れ落ちそうなほど蒼白で―― そして、その時だった。

彼女が、ふと顔を上げた。

その視線の先に、 控え室の奥から覗いていたノアがいた。


一瞬。

ほんの一瞬だけ、 二人の目が合った。

言葉はなかった。

声も、叫びも、届かない。


だが―― その一瞬で、すべてが伝わってしまった。


(……ノア……)


そう言った気がした。

あるいは、ただの錯覚かもしれない。


ノアは息を呑み、身体が凍りついたように動かなかった。


(……行くな)


(……助けて、なんて……言えない……)


(……僕には……何も……)


リュシアの瞳には、

恐怖と絶望、そして――

微かな、期待の残骸が浮かんでいた。


それが、ノアの胸を、深く抉った。

次の瞬間、彼女の姿は人波に呑まれ、完全に見えなくなった。

鎖の音だけが、耳に残る。


ノアは、ただ立ち尽くしていた。


(……僕は……見ていただけだ)


(……同じだ……)


(……選ばれなかった者は……)


(……誰も、救えない……)


胸の奥で、小さな何かが、確かに軋んだ。


控え室の奥。

再び、重たい沈黙が降りてきた。


ノアは鎖につながれたまま、

粗末な椅子に座らされている。


遠くから、まだオークション会場のざわめきが聞こえていた。

金貨がぶつかる音、笑い声、値を吊り上げる怒声。

それらは、すべて別の世界の出来事のようだった。


(……次は……)


考えなくても分かっている。

次は、自分だ。

ノアは俯き、自分の両手を見つめた。

白い指。

鎖に擦れて、赤くなっている手首。


(……この手で……)


(……何も……掴めなかった……)


リュシアの顔が、脳裏に浮かぶ。

泣きそうで、必死で、それでも最後に見せた――あの目。


(……助けられなかった……)


(……声も……出せなかった……)


喉の奥が、ひりつく。

叫びたいのか、泣きたいのか、 自分でも分からなかった。

控え室の外で、使用人たちの声が聞こえる。


「次の準備はいいか?」


「不死の奴隷だ。見世物にするんだ、慎重にな」


その言葉に、ノアの胸が小さく波打つ。


(……見世物……)


(……僕は……商品……)


(……人じゃない……)


目を閉じると、

暗闇の奥で、かすかな熱が揺れた。


(……どうして……)


(……生きてるんだろう……)


死ねない体。

終わらない苦しみ。

選ばれない運命。


(……だったら……)


(……最初から……)


考えかけて、ノアはぎゅっと唇を噛みしめた。


外では、別の奴隷が競り落とされたらしい。

拍手と笑い声が、一瞬だけ大きくなる。

それが、まるで自分への前奏のように感じられた。


やがて―― 控え室の扉が、軋む音を立てて開く。


光が、差し込んだ。


「――次だ」


低く、無感情な声。


ノアは顔を上げる。

心臓が、ゆっくりと重く脈打つ。


(……来た……)


立ち上がると、 鎖が床を引きずる音が、やけに大きく響いた。


(……僕の番だ……)


その一歩は、舞台へ向かうためのものだった。


だが同時に―― もう戻れない場所へ踏み出す一歩でもあった。


ノアは、何も言わなかった。

ただ、静かに前を見つめて歩き出す。

その胸の奥で、名もなき黒い何かが、 ゆっくりと、確かに、息づいていた。


そして──いよいよ特別出品の番が来た。


ドミナスが壇上に立ち、両手を広げた。


「さて諸君……ここからが本日の目玉でございます!」


後方の控室で、ノアは係の者に腕を掴まれ、

引きずられるように舞台へと出された。


「本日の特別出品──不死の少年、ノア!」


蝋燭のゆらめく光が、ノアの白い髪と赤い瞳を際立たせた。

一瞬で会場が沸き立つ。


「噂の……!」


「髪は白く、紅い瞳……やはり呪われているのか?」


ドミナスは誇らしげに観客へ告げる。


「この少年は死にません! その証拠をお見せしましょう。」


係の男が短剣を抜いた瞬間、ノアの心臓が跳ねた。


「や、やめ──!」


刃が肩に突き立ち、鮮血が溢れる。

観客が息を呑んだ。


だがすぐに──

裂けた皮膚がみるみるうちに閉じ、血が止まり、完全に元通りになった。


「おおおっ……!」


「本当に治った……!」


「これが“泉の呪い”か?」


「不死の奴隷……恐ろしいが、価値は計り知れん」


ノアは震えながら、その言葉をただ聞くしかできなかった。


「それでは競売を開始する! 開始価格はアレシオン金貨二百枚!」


「二百五十!」「三百だ!」「三百二十!」


「四百!」「四百五十!」


興奮した声が飛び交い、ノアは呆然と競り合いを見つめていた。

自分の人生が金額として放り投げられる光景は、胸を締めつけるような恐怖だった。


(……僕は、人間じゃないのか)


やがて会場を切り裂くような、濁った声が響いた。


「五百五十だ。」


その瞬間、空気が一変した。


紫の外套に身を包んだ細身の貴族──

ヴァルガロス・エーヴェルト子爵。


観客たちは一斉に萎縮した。


「ヴァルガロス子爵だ……」


「もう勝てん」


司会者が高らかに告げた。


「五百五十金貨! 他にありませんか!?

……ないようですね! 落札はヴァルガロス・エーヴェルト子爵!」


拍手が鳴る中、ヴァルガロスがゆっくりと壇上に上がる。


ノアの顎を掴み、冷たく微笑んだ。


「ふむ……髪が白く、瞳が紅いのか。まるで呪われた小鳥だな。」


指先が頬をなぞり、ノアの身体が強張る。


「君がどう鳴くのか……楽しみで仕方がない。」


ぞっとするような囁き。

逃げ場はどこにもなかった。


「良い買い物をした。お前は今日から私の屋敷で働くのだ。

壊れない程度に……大切に扱ってやろう。」


ノアの胸に、深い絶望の影が落ちた。


(……まただ。どこにも……逃げられない)


死よりも恐ろしい未来が、静かに迫っていた。

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