第2話:光に選ばれぬ者



王都アレシアの中心街から少し外れた石畳の道に、奴隷商(ソーマ)の巨大な石造りの建物が堂々と構えている。

今日、この地では年に数度しか開かれない特別オークションが、

行われる予定だった。

代表であるドミナスは、早朝から上機嫌で店内を歩き回っていた。


「ふふ……王都の有力貴族どもが、今日ばかりは我が店に頭を下げに来る。

 なんとも愉快なことよ。」


灰色の髭を撫でながら、満足げに笑う。

しかしその笑みの裏にあるのは、今回の目玉商品──つまりノアの存在だった。


不死の奴隷。

決して死なない少年。


その噂はすでに、ドミナスの手によって王都のあらゆる上流階級へと流されていた。

信じる者、半信半疑の者、純粋に希少性に興味を示す者──反応はそれぞれだったが、少なくとも今日のオークションが話題性に満ちていることは間違いなかった。


控え室の最奥。

薄暗い部屋の中に、ノアは鎖につながれたまま静かに座っていた。

額には熱が残り、身体の節々が痛む。昨日まで続いた拷問の余韻だった。


(……今日は、何が始まるんだろう)


ノアは小さく息を吐く。

生きている実感さえ曖昧な中、ただ時間だけが過ぎてゆく。

人間として扱われることはとうに諦めていたが、それでも胸の奥で僅な希望を探してしまう自分が嫌だった。


控え室の薄暗がりの中で、

ノアはふと、鎖の擦れる音に気づいた。


視線を上げると、

少し離れた場所に、同じように鎖につながれた少女が座っていた。


年の頃は――自分と同じくらいだろうか。


煤けた服ではあったが、

背筋は自然と伸び、所作にはどこか育ちの良さが滲んでいる。

村で一緒に泥だらけになって遊んでいた女の子たちとは、

明らかに違って見えた。


少女は、ノアの視線に気づくと、

一瞬ためらうように唇を噛み――

それから、小さな声で話しかけてきた。


「……あなたも、奴隷になったの?」


ノアは一瞬、言葉に詰まる。

だが、隠す意味もないと思い、静かに答えた。


「うん。村が……盗賊に襲われて。それで、捕まって……ここに」


少女は小さく頷いた。


「……そう」


その一言に、

同情とも、諦めともつかない感情が滲んでいた。


「私は……隣の国から、連れてこられたの」


声は震えていない。

だが、それがかえって、彼女がどれほど必死に平静を保っているかを物語っていた。


少女は少し間を置いてから、名乗った。


「……わたしは、リュシア。あなたの名前は?」


「……ノア。僕は、ノア」


名を交わした瞬間、

二人の間に、わずかなが生まれた気がした。


リュシアは、改めてノアの顔を見つめる。


「……あなたの髪、白いのね。それに……目も、紅い」


恐る恐る、しかし失礼にならないように言葉を選んでいるのがわかる。


「……めずらしいわ」


ノアは小さく笑った。

それは、自嘲にも似た、弱い笑みだった。


「……変な水を、飲まされてさ。それから、こんな風になったんだ」


リュシアは目を見開く。


「……さっき、奴隷商が言っていたわ。

 あなたのこと……って」


その言葉に、ノアは答えなかった。


数秒の沈黙。

鎖の音と、遠くから聞こえる店内のざわめきだけが、

二人の間を満たす。


やがてノアは、視線を伏せたまま、低く答えた。


「……そうみたいだ」


それだけで、十分だった。


リュシアは小さく息を呑み、そして、ぽつりと呟く。


「……そうなんだ」


その声には、安堵も、羨望もなかった。

ただ、理解しようとする気配だけがあった。


しばらくして、

彼女はとうとう、感情を抑えきれなくなった。


「……これから、どうなるのかな……」


震える声。

そのまま、ぽろりと涙が頬を伝った。


音を殺そうと唇を噛み、それでも止まらない涙。


ノアは、その姿を見つめながら、何も言えずにいた。


自分には、答えがなかった。


やがて、絞り出すように言う。


「……僕にも、わからないよ」


それ以上、言葉は続かなかった。


二人は黙ったまま、それぞれの不安と恐怖を抱え、

鎖の冷たさを噛みしめていた。


その頃、店の応接室ではドミナスが客の対応に追われていた。


「ドミナス殿、本当になど存在するのですか?」


「もちろんでございますとも、リヴァーロ卿。

 わたくしが虚言で貴族を招くと思われますか?」


「ふむ……興味深い。」


そんな会話がひっきりなしに続いている。


だが、ひときわ独特の雰囲気を纏う人物が店に入ってきた瞬間、ドミナスはすぐに気づいた。


白い法衣に金の縁取り。胸元にはセラフィア聖光教団の紋章。

柔らかく微笑みながらも、その瞳は鋭く人心を見透かすようだった。


「……これはこれは。ルイジ光導司様ではありませんか。」


ドミナスは、慌てて深く頭を下げた。


ルイジ・カルダーノ

セラフィア聖光教団の光導司こうどうしの一人である。


光導司とは、各地の教会に必ず配置される現場担当の聖職者である。


「突然の訪問をお許しください、ドミナス殿。」


ルイジは微笑みを浮かべつつ歩み寄る。


「例のの噂……興味深いと思いまして。」


「光導司様にもお耳に入っておりましたか。

 いやはや、商人としてこれ以上の名誉はございませんな。」


ドミナスは誇らしげに胸を張った。


「さて、ドミナス殿。不死というのは、人ならざる何か──あるいは神の御業の

 名残である可能性があります。もしが宿っているならば、

 我々セラフィリア聖光教団としても見過ごせません。」


「魔力……でございますか?」


「はい。そこでお願いがございます。」

ルイジは穏やかに言った。 

「その少年に会わせていただきたい。そして神光石しんこうせきに触れさせ、

 魔力の有無を確かめたいのです。」


ドミナスは一瞬だけ眉を上げ、すぐににやりと笑った。


「なるほど……神光石とは、啓光けいこうの儀で使用する

 あの石でございますね? 魔力があると淡く光を放つ、聖なる石……と。」


啓光の儀は、六歳の子供が神光石に触れ、 魔力の有無を見極めるための

儀式である。

光を宿した子は教団の学校へ迎えられ、神の使いとなる未来を約束される。


「ご存じで何よりです。」

ルイジは頷いた。

「教会では魔力の適性を測る際、必ず神光石を用います。」


「ふむ……しかし光導司様。もし魔力が見つかった場合、その少年は?」


ルイジは少しだけ目を細めた。


「もちろん教会が引き取ります。──しかし、代価については

 相応の額をご用意します。」


ドミナスの顔が露骨に綻んだ。


「おお……それはそれは……! では、光導司様。ご案内いたしましょう。」


ドミナスに連れられ、ルイジは奥の部屋へと進んだ。

鉄扉が軋み、ノアのいる薄暗い牢のような部屋へ。


ノアは突然入ってきた白い法衣の男を見て目を瞬いた。

これまで見てきた人間とは明らかに違う。

「力」ではなく「権威」を纏った人間──そんな印象だった。


「君が……例の少年だね。」


ルイジの声は穏やかだった。

ノアは怯えながらも、小さく頷く。


「ルイジ光導司様。どうぞ、お試しください。」


ドミナスが促すと、ルイジは懐から丸い白石を取り出した。

透明感のある乳白色の石──神光石だ。


「これは何……?」


ノアが呟くと、ドミナスが得意気に説明した。


「神光石はセラフィア聖光教団が儀式で使用する聖なる石だ。啓光の儀という、

 魔力の有無を測り、神の恩寵を示す儀で使われるものでな。

 魔力を持つ者が触れれば淡い光を放つ。

 逆に、魔力なき者が触れても……ただの石よ。」


ルイジは石を差し出し、ノアに微笑んだ。


「怖がらなくていい。手を、この石に添えてごらん。」


ノアは震える指でそっと石に触れた。


(光る……のか? そんなわけ……)


期待とも不安ともつかない感情が胸を掻きむしる。


……しかし。


闇。


石は微動だにせず、冷たく沈黙したままだった。


ルイジの表情が静かに落ちる。


「……光らない、か。」


ノアの胸が、ぎゅっと締めつけられた。


(……やっぱり、何の価値も……)


ルイジは立ち上がり、冷静な声で告げる。


「魔力の兆候はありません。ではドミナス殿、私は失礼します。」


「おや、お引き取りで?」


「ええ。魔力なき者に教会の用はありませんので。」


その言葉は、ノアの存在そのものを切り捨てる宣告だった。


ルイジが踵を返そうとした、その時――


「ま、待ってください……!」


控え室の一角から、か細い声が上がった。


「光導師様……!」


ルイジは足を止め、声のした方を見た。


そこに立っていたのは、

先ほどノアと話していた少女――リュシアだった。


不安と必死さを滲ませた表情で、

鎖につながれたまま、一歩前に出ている。


ルイジは視線を彼女に向け、そしてドミナスに問いかけた。


「……あの少女は?」


ドミナスは肩をすくめ、事もなげに答える。


「ああ、あの子ですか。隣国の貴族だった少女ですよ。

 親が政争に敗れて処刑されましてな。」


その言葉に、リュシアの指先がきゅっと握りしめられる。


ルイジは短く息を吐き、 少女へ向き直った。


「……啓光の儀は、受けられましたか?」


「……はい。」


小さく、しかしはっきりとした返事。


ルイジは頷く。


「ここにいるということは…… 神光石は、光らなかったのですね。」


その瞬間、 リュシアの心の奥に張り詰めていたものが、音を立てて崩れた。


「……っ……!」


彼女は一歩、前へ踏み出す。


「光導師様……!お、お願いします……助けてください……!」


縋るような声。

誇りも、礼節も、すべてを置き去りにした叫び。


「このままじゃ……私……どこへ行かされるか……!」


涙がぽろぽろと頬を伝う。ルイジは、しばらく彼女を見つめていた。

その瞳には、哀れみがないわけではなかった。

だが、それ以上に――揺るがぬが引かれていた。


「……私には、どうすることもできません。」


静かな、断定の言葉。


「神の光に選ばれぬ者を、教会は救えないのです。」


それだけ言い残し、

ルイジは今度こそ部屋を後にした。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


リュシアはその場に立ち尽くし、

流れる涙を拭うこともできず、ただ呆然としていた。


希望は、確かにそこにあった。

だが、それは光らなかった石と同じように、

冷たく、沈黙したまま消えていった。


ノアはその光景を、何も言えずに見つめていた。


(……光に、選ばれないって……)

(こういうこと、なんだ……)


二人の胸に残ったのは、

同じ言葉だった。


――選ばれなかった。


それが、この世界で生きる価値を決める、 残酷な答えだった。


その言葉は無慈悲に響き、ノアの心に深い影を落とした。

教会の人々──神を扱う存在でさえ、自分を必要としていない。


ルイジは冷たいほどあっさりと背を向け、部屋を後にした。

ノアの胸の奥に、黒く重いものが沈んでゆく。


「気にするな少年。」ドミナスが鼻で笑う。

「光ろうが光るまいが、儂にとっては商品にすぎん。珍品であればそれで良い。」


その言葉は優しさではなく、残酷な事実の宣告だった。


ドミナスはすぐに係の者を呼びつけた。


「さあ、準備だ。奴隷どもを整えろ。オークションの幕を開けるぞ。」


部屋の外では、すでに王都中から有力貴族や商人たちが続々と集まり始めていた。

ノアは薄闇の中でただ、冷えきった神光石の感触だけを指先に残したまま、静かに目を伏せた。


(……誰も、俺なんか必要ないんだ)


その思いは、ノアの胸の奥で静かに燃えていた黒炎へと、新たな闇を注ぎ込んでいった。



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