第1章:黒炎が名を持つまで  第1話:闇の取引

ノイセル共和国の北に隣接する大国、エルトリア王国。

その王都──アレシアは、ノアが生まれて初めて見る“巨大な街”だった。


城壁は空を切り取るほど高く、門をくぐった瞬間、耳を打つのは人の声、車輪の軋み、金属が触れ合う音。

石畳を埋め尽くす人波。

香辛料と鉄、香油と汗が混じった匂い。


(……なんだ、ここ……)


村とは比べものにならない。

すべてが多すぎて、目も耳も追いつかなかった。


「きょろきょろするな」


背後から、低い声が落ちる。


ノアの腕を掴んでいたのは、レジオだった。

鉤爪旅団の副首領。

兄と同じように冷たい目をしている男。


「王都だ。弱そうな顔をすれば、それだけで食い物にされる」


(……もう、食い物なのに)


そう思ったが、口には出せない。


ノアは鎖につながれ、馬車から降ろされて歩かされていた。

通り過ぎる人々の視線が、一瞬だけ彼を掠める。


「……白い髪?」

「子どもだぞ……」


ひそひそとした声。

だが、誰も止まらない。

誰も助けない。


(……見られてるのに、いないみたいだ)


王都は賑わっていた。

だが、その賑わいの中に、ノアの居場所はなかった。


やがて、石畳の通りから外れた一角に、重厚な石造りの建物が現れる。

窓は少なく、扉は分厚い。

装飾は抑えられているが、妙な威圧感があった。


「ここだ」


レジオが言う。


奴隷商ソーマ


(……ここに、売られるんだ)


胸の奥が、ひくりと縮む。


扉の前に立つと、レジオは見張りの男に短く告げた。


「用がある。代表に会いたい」


「名前は?」


「レジオだ。ノイセル共和国から来た」


男は一瞬だけノアを見て、無言で奥へ消えた。


待つ間、ノアは扉の装飾を見つめる。

人の形を模した彫刻が、どれも鎖につながれていた。


(……最初から、決まってたんだ)


やがて、奥から足音が響く。


「ふむ。珍しい客人だね、ノイセルの人間とは」


現れた男は、艶やかな衣服を身にまとっていた。

白髪混じりの長い髪を後ろで束ね、仕草は優雅。

笑みは柔らかいが、瞳の奥は底知れない。


ソーマ代表──ドミナス・ヴェルディオル。


(……この人が……)


「あなたが……ドミナス様で?」


「ええ。わたくしが〈ソーマ〉の主。

さて……今日はどんなを?」


その言葉に、ノアの胸がひりつく。


レジオは一礼し、慎重に言葉を選んだ。


「遠方より参りました。ノイセル共和国の者です。

 我々は……とあるをお持ちしました」


「ほう……?」


合図とともに、ノアは前へ引き出される。


「……子ども、ですか?」


ドミナスの声は穏やかだが、視線は鋭かった。


「ただの子どもではありません」

「この子は——の水を飲んでも死ななかった」


その瞬間、ドミナスの眉が、わずかに動いた。


「……呪いの泉……確か、ノイセル共和国にあるという泉で

 水を飲めば、必ず死ぬと噂の」


レジオは、

「そうです、この子に兄がいましたが、泉の水をのんで死にました」

「ですが弟は死なない。さらに、傷が……瞬く間に塞がるのです」


「……不死、か」


ドミナスの声が、わずかに低くなる。


「だが面白い。泉の水はと聞く。

 それを越えたとなると……水ではなく、器に問題があるのか」


(……器……)


ノアの胸に、黒い何かが沈む。


「実際にお見せしてもよいですが」

「この場が血で汚れると、困るでしょう?」


「ふふ……言い回しが上手いね」


ドミナスは笑う。

だが、その視線はすでに値踏みしていた。


「で、そのを……いくらで?」


「金の話の前に……一つお願いがございます」


「お願い?」


「我々は、ノイセル共和国で……新たな組織を立ち上げるつもりです」


「ほう。野心家だ」


「資金と……が必要となる」


「繋がりとは……ソーマとの?」


「はい。兄は……鉤爪旅団の首領。

 勢力は拡大中です。

 我々と繋がれば、ソーマの供給網も強化できる」


ドミナスは、ノアの顎を指で持ち上げた。


「……つまり」

「この子を売りたい。

 だがそれ以上に……我々は、ソーマと関係を持ちたい」


「……ということだね?」


「はい。どうか——契約を」


沈黙。

ノアは、その間ずっと観察されていた。


(……人じゃない……)

(……物だ……)


やがて、ドミナスが口を開く。


「いいだろう」


その一言は、重かった。


「その子は価値がある。有力貴族も興味を示すだろう」


レジオが深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


「だが——」


ドミナスの声が鋭くなる。


「ソーマと繋がるということは、王国の闇に踏み込むということだ。

 間違えば、首は簡単に落ちる」


「承知しております。ですが我々には——上り詰める野望がある」


「ふふ……よかろう」


ドミナスは手を叩いた。


「では、改めて。わたくしが買い取ろう——そのを」


その瞬間、

ノアの胸の奥で、黒炎がふつりと揺れた。


道具として売られ、

価値だけを見られ、

人ではなく“商品”と呼ばれた。


胸の奥で、小さな黒い灯が——

ゆっくりと、確実に燃え広がっていく。

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