闇より生まれし黒炎
放棄された古い砦が、森の中に沈むように佇んでいた。
かつて国境防衛のために築かれた石造りのその建物は、
今や苔むし、砦門は半ば崩れ、闇を吸い込んでいる。
そこが——
“血塗れの鉤爪旅団” の本拠地だった。
焚き火の明かりが砦の中庭をぼんやり照らし、
武器を磨く音、酒の匂い、粗暴な笑い声が薄闇を揺らしていた。
「グ、グラドス様……戻りましたぜ……!」
盗賊の一人が怯えた声音で叫ぶ。
その後ろには、縄で縛られ、泥と血にまみれたノアが引きずられている。
「なんだその面……ビビってんのか?」
砦奥から現れたのは、巨体の男。
分厚い筋肉が皮鎧を裂きそうなほど盛り上がり、
黒鉄の鉤爪を装着した右手が、焚き火の赤で妖しく光る。
血塗れの鉤爪旅団の首領——グラドス。
「グ、グラドス様……こ、こいつ……死なねぇんです……!」
「はぁ?」
グラドスの足がドン、と地面を踏むだけで、 場の空気が一気に重くなる。
「説明しろ。……テメェの口でな」
盗賊たちは互いに顔を見合わせ、震えながら語った。
「兄貴を泉の水で殺したんですよ。あの“呪いの泉”の……!」
「そしたら、このガキも飲んだんですけど……死なねぇどころか……傷が全部……!」
「化け物みてぇに治りやがったんで……連れてきました……!」
グラドスの口角がゆっくり吊り上がる。
「へぇ……傷が治るガキ、ねぇ……。本気で言ってんだろうな?」
「ま、間違いねぇです! 何度も確かめました……!」
「そうか……」
グラドスはノアにゆっくり歩み寄る。
ノアは恐怖で呼吸も浅く、目は涙で濡れている。
「……がっ!!」
突然、ノアの頬に拳が叩き込まれた。
体が軽く宙に浮き、地面に転がる。
「ぎ……っ……!」
ノアは苦痛に喘ぐが、殴られた頬はみるみるうちに、痛みだけを残して
腫れも傷も消えていった。
それを見て、グラドスは獣のように笑った。
「はははっ!! こいつぁすげぇ……! 本当に治りやがるッ!!」
興奮したグラドスは、右手の鉤爪をかしゃりと鳴らした。
「じゃあ次は……どこが治るか試してみるかぁ……?」
「や……やめ……!」
ノアが後ずさろうとした瞬間——
鉤爪が閃いた。
ザシュッ!!
「——ああああああああっ!!!」
ノアの胸を鋭く切り裂く。
血が飛び散り、倒れたノアは地面を掻くようにして呻く。
「ほぉ……痛みはあるみてぇだな。いい悲鳴だ」
しかし、切り裂かれた肉は、
痛みに震える間にもむにゅ、と音を立てて閉じていく。
「怪物……! 本物の怪物だな! こりゃあ宝だ……!」
ノアは息を乱しながら、胸を押さえて震えた。
痛みは確かにある。
だが、それ以上に——
兄を失った悲しみと、
自分が“道具”として扱われている屈辱が、
胸の奥で重く黒く沈んでいく。
そのとき——。
「兄上。騒がしいですね」
砦の入口から細身の男が現れた。
黒衣を纏い、冷たい瞳で周囲を見渡す。
血塗れの鉤爪旅団の副頭領であり、グラドスの弟——レジオ。
「話は聞こえていました。不死のガキ……面白いじゃないですか」
「ほぉ、レジオ。てめぇが興味持つなんざ珍しいな」
レジオはノアの前にしゃがみ込み、その紅い瞳をじっと観察した。
「……売れますね。しかも、とんでもなく」
「ノイセルの奴隷商に売っても大した額にはならんだろ。ガキひとりだしよ」
「兄上、それでは勿体ないですよ」
レジオの声は静かで、淡々としていた。
しかし、その内容は野心に満ちている。
「売るなら——エルトリア王国の王家公認奴隷商〈ソーマ〉。
代表ドミナス・ヴェルディオル。
あそこでなら、このガキは“国家級の宝物”扱いです」
「国家級……? ふん……そりゃあいいな」
「大金が手に入ります。奴隷商に近づければ、我々が——
ノイセル共和国で正式な裏組織を立ち上げることも可能です」
レジオは笑わなかった。
だがその瞳は確かに光っていた。
「兄上。血塗れの鉤爪旅団は……ただの野盗で終わる器ではありません。
このガキは、その切符です。
私に任せていただければ、
旅団を……いえ、組織を作り上げてみせます」
グラドスはその言葉に目を輝かせた。
「はははっ!! おもしれぇ!!てめぇの言う通りにしてみろ、レジオ!!
このガキは……俺たちの未来を開く鍵ってわけだ!!」
ノアの胸の奥で、何かがひび割れた。
未来を開く鍵——
自分は、兄の死を悲しむ暇もなく、
ただの道具として売られる存在なのだ。
その事実が、心臓を締め付けるように痛かった。
そして——。
胸の奥底で揺らめく黒い灯が、静かに、しかし確実に燃え始めた。
怒り。
憎悪。
悲しみ。
絶望。
それらすべてが絡まり、
黒い炎となってノアの心臓の奥でゆらりと立ち上る。
——黒炎。
幼いノアは知らなかった。
この炎が、いずれ世界を呑み込むほどの闇へ育つことを。
「兄ちゃん……返してよ……兄ちゃん……」
ノアの小さな声は震え、
砦の冷たい空気に吸い込まれていった。
その声を拾う者は誰もいない。
グラドスは高らかに笑い、
レジオは冷たい瞳でノアを見下ろし、
盗賊たちは興奮でざわついていた。
そして——
ノアの地獄は、本当の始まりを迎えた。
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