12月17日『苦しい、誰か助けてくれ』

 彼は詩人にならなければならなかった。ほんとうの不幸を知るひとはみな詩なんて書くもんじゃないよ、と言うだろう。ほんとうの詩を書く人はみな、ほんとうの不幸を知るひとだろう。ほんとうの幸せを知るひとはみな、ほんとうの不幸を知るひとだろう。彼はそのどれでもなかった。彼の手のひらには何もなく、それなのに彼は「何も持っていない人」ですらなかった。彼の喉はもう長いこと言葉のために使われなかったが、彼は沈黙すら知らなかった。

 彼は詩人になりたくて歩いた。やがて恋人ができたがほどなくして別れた。恋人もまた別の渇きによって泉を求めて歩いていたのだ。たまたまその道が少しだけ被っていたに過ぎなかった。

 やがて彼はじんわりと幸せではなくなっていった。何者にもなれないという恐怖が彼を毎夜苦しめた。冬になれば尚更だった。街道沿いの人々はみな新年の支度に忙しくし、自分の言葉は誰の心臓にも届かないのだ、という彼の絶望は雪のように深く彼の心に降り積もった。それでもその絶望はほんとうの絶望ではなかった。彼の家族はみな生きていたし、彼の国は平和だった。彼は戦争で親を殺された知らない子供のことを思って、誰にも読まれない詩を書いた。そしてそれを後生大事に持って歩いた。

 やがて彼は大きな街の門にまで来た。その街に入らなければならないのであろうことを彼は知っていた。同い年の友人たちも皆入ってゆく街だった。

 街を取り囲む壁は天を衝くほどに高くて、彼は身をすくめた。そしてこの手は壁を登るためではなく、詩を書くためにあるのだ、と嘯いて街の外の木陰に座った。

 そうしてまた、短い詩を書いた。夜になれば空を見上げて美しい言葉を集めた。昼間には砂っぽいパンを齧った。そして春になった。

 彼は詩人にならなければならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る