11月21日『胸元の月』

 それは遠くに暮らす貴方とひさしぶりに会って、プラネタリウムに行った帰りだった。だいすきな人と一緒に観たはずなのになぜか一人だったような気がしていた。

 最寄駅。改札をくぐる。今頃貴方はどの辺りだろうか。そんなことをぼんやり思いながら駅舎を出るともうすっかり暗くなっていて、空気が冴え冴えと寒かった。

 晴れていた。もう少し気温が低ければ霜が降りていただろうか。澄んだ空気の向こうに本物の星空が広がっていた。冬の星々、プラネタリウムで教えてもらったのに、シリウスとベテルギウスくらいしか名前が思い出せない。冬のダイヤモンド、とか言ってたかな……こういうとき貴方が隣にいれば教えてもらえるのに。ふっと吸い込んだ息が肺の奥に刺さって、なんだか貴方の唇の柔らかさが恋しくなる。

 都会から離れた私のまちからは夜空がよく見える。視界を遮るものも少し遠くの清掃工場の煙突くらいなもので、今その煙突は飛行機のためにてっぺんを赤く光らせていた。明滅するベテルギウス。

 コートを着直して白い息を吐き、私は歩き始める。個人商店や小さな居酒屋の連なる駅前を抜ければすぐに静かになった。我が家の方まで真っ直ぐのびる大通りの先に、道標のようにして月が浮かんでいた。

 高度が低いからかいつもより大きい気がする。目を凝らして模様をはっきり観察してみるが、べつにうさぎの餅つきのようには見えない。一体誰がこんなこじつけを言い出したんだろう。今度電話で貴方にも訊いてみようと思った。

 あまりに手がかじかむので道の脇のコンビニに入る。住宅街の中、コンビニだけが煌々と存在を主張していた。手早く温かいミルクティーを買う。無愛想な店員の声に押し出されるようにして外へ出ると、目の前でカツン、と缶でも落ちるような音がした。

 月が落ちていた。

 ついさっきまで遥か頭上に浮かんでいた月が、なんてことのない歩道の上に落ちていた。片手に収まるくらいの大きさになって。

 慌てて上を見上げる。当然月はない。

 買ったばかりのミルクティーを両手に持って私は立ちすくんだ。訳もわからず動かない身体をよそに頭は冷静で、なぜか潮の満ち引きとかどうなるんだろう、なんて考えていた。

 モノクロの小天体を見下ろして静かに混乱していると、その月がころころと私の足元に擦り寄ってきた。さながら抱っこを求める子犬のように。

 ふとおかしくなって私は笑みをこぼす。刷り込みというやつだろうか。動物と同じように私を親と勘違いしているのかもしれない。いつも無感情にぐるぐる私たちを回っていたけれど案外可愛いものだ。いいよ、と優しい声で月を抱きかかえる。想像通りゴツゴツした手触りだ。重さは……小さいので大したことない。クレーターを撫でてやるとくすぐったそうに左右に揺れた。

 一緒に家に帰ろう。私は胸元の月に声をかけた。きっと公転にも自転にも飽きてしまったんだろ、私があたたかいベッドを用意してやるから。お風呂にも入れてあげる。堆積したレゴリスの汚れをさっぱり流すんだよ(月の砂のことをレゴリスと呼ぶのは、貴方が教えてくれたことだ)。そうして私はコートの中に月を入れた。

 名前も知らない星々が見下ろす中、私たちは家路を急ぐ。私もいつか、貴方の月になるんだ、なんて思いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る