魔女旅に出る

 消灯時間を過ぎた後も、クローバーの寮室隅の執務台の上には煌々と蝋燭の明かりが灯っている。

 通常は二人部屋であるところ、特に優秀な生徒には一人部屋があてがわれる。文武において比類なきクローバーには学生に不釣り合いな豪華な寮室を与えられているわけだが、それは彼女の特殊な立場に斟酌したためでもある。

 静寂に満たされた真夜中の部屋に、カリカリとペンが走る音だけが響く。

 父を失くしてからというもの、アネアース家の貴族的な職務はすべてクローバーの母が取り仕切っている。一国の公爵というのは決して左団扇の立場ではない。

 公爵家は貴族の中の貴族。封建主義から議会制民主主義へと舵を切りつつあるこの国で、平民のみならずあらゆる貴族たちの手本とならねばならぬその重圧は、強靭な精神と多大な労力なくして耐えられるものではない。

 外交的役割に粉骨砕身する母親に代わり、クローバーには公爵家の正統後継者として一定の『権限』が与えられている。

 決して少なくない貴族科の課題を終えたあと、クローバーはほとんど毎晩、寝る間もなく執務に勤しんでいた。

 灯した蝋燭を春先の夜風が吹き消してしまわないように、窓は半分だけ閉めている。

 書簡を封筒へ入れて、溶かした蝋を垂らす。蝋が固まりきる前に、印璽を押し付ける。

 薔薇の印章は、アネアース家の象徴だ。

「……」

 溜め息ともつかぬほんの短い嘆息ののち、クローバーは印璽をテーブルの上にそっと置いた。

 椅子にもたれかかり視線を向けた先には、蝋燭の光にぼんやりと照らし出された箒がある。

 壁のラックに掛けられた箒を少しの間眺めていたクローバーは、やがて立ち上がって吸い込まれるように箒へと近づいた。

 真っ直ぐなシャフト部分に、そっと触れる。

 ホワイトオーク製のシャフトは手入れが行き届いており、蝋燭の光を反射するほどに光沢がある。重厚なホワイトオークは魔力伝導率が高く出力も高いが、その重さから、最高のポテンシャルを発揮するには搭乗者の高い魔力と操縦力を要求される。まさに上級者向けの素材だ。

 手を滑らすように移動させて、綺麗に束ねられたブリスル部分を撫でる。

 同じくホワイトオークの小枝を裂いて束ねたもので、シャフトとブリスルの木材を統一することで性能上でも見た目上でも調和を生み出している。

 ブリスルは消耗品だ。クローバー自らが古くなった枝材の交換と整備を行っている。

 彼女が六歳の時から、箒の整備はずっと彼女自身が行っている。

 母親から与えられたこの箒を整備することは、すなわち、彼女が母親との数少ない美しい思い出を回顧するために重要なことなのだ。

 箒には騎乗者の性格が出る。真っ直ぐで、隙がなく、重みがあり、調和が取れている。その箒はクローバーの誇りだった。

「そろそろブリスルも替え時かしらね」

 そう呟いて何気なく窓の外に目を向けたクローバーは、口元にかすかに浮かべていた子供らしい笑みをふっと消した。

 クローバーの寮室がある三階の部屋から西、碩学科の寮棟の方角でなにか微かに動いたのが見えた。

 野良猫やカラスのようなものではない。

 今日が満月でなければ気付かなかったほどのわずかな動きだ。

 なにより、その動きにはこの学園の誰よりも見覚えがある。

 箒に跨った黒いローブ姿の生徒が、人目を忍ぶように学園外の方向に飛行している。

 許可された時間帯以外に学園の敷地を出ることは許されていない。こんな深夜に抜け出すなど、もってのほかだ。

 クローバーがその人影を目で追っていると、いよいよ敷地との境目にさしかかったその人物が辺りを警戒したのか、一瞬後ろを振り向いた。

「あの子は確か……」

 月光にわずかに照らし出されたその顔に、クローバーは見覚えがあった。

「そう……ノノ・ニィロ」

 夕刻、本を運ぶのに同行したあの碩学科の生徒だ。

「こんな時間に一体なにを……?」

 見るからに真面目そうな生徒だった。こんな違反をするようには見えなかったが……

 そうこうしている間にも、ノノは学園外へと飛んでいく。

 いや、抑圧されている真面目な生徒であるほど、反動で火遊びをしたくなるものだ。

 それに、もしかしたら、なにか危険なことに巻き込まれているのかもしれない。

 ノノが向かっている方向には市街地があるが、深夜の治安はとてもいいものとは言えない。その方向にはスラム街もある。

 夜遊びをするにしても、ノノの頼りなさを思い出すと不安が募る。

 ほんのひと時の瞑目ののち、クローバーはさきほどまでそっと触れていた箒のシャフトを強く握った。


 街へと続く暗い森の中を快調に飛ばしていくノノの後ろ姿を、クローバーはゴーグル越しに静かに見つめている。

 この真っ暗な森の中を、箒の先にぶら下げたランタンの明かりだけで飛行することは、いくら慣れた道程だろうと容易なことではない。

 目の前を飛ぶノノはどこか楽しげな様子で木々の間をすり抜けていく。まだ、背後に迫るクローバーの気配には気付いていない。

 ランタンは灯さず、ただノノと同じ軌道で飛び続けるクローバーであったが、彼女に接触するタイミングを悩んでいた。

 追いつくことはいつでもできるのだが、こんな暗い森でいきなり声をかけたら、驚きと後ろめたさでノノが操縦を誤る可能性がある。彼女に怪我でもされれば、それこそ本末転倒だ。

 それにしても、とクローバーはやはりノノの飛行技術に感心した心持ちだ。

 彼女の騎乗している箒は、間違いなく〈ニトロメトロ社〉のものだろう。

 小さな工房から始まった長い歴史を誇る箒製造会社だが、近年は専ら廉価品の大量生産に舵を切っており、レースに使うような高性能の箒を作れるような技術力は残されていないとの評判だ。

 その廉価品の箒も価格を抑えることに主眼を置きすぎて、近頃は不良やトラブルも多い、訴訟も多く抱えているようだ。少なくとも、箒乗りからの評判はお世辞にもよいとはいえない。

 ノノの箒への入れ込みようを考えると、彼女がニトロメトロ社の箒を選んでいることは不思議だった。

 学園を出て、およそ三十分ほどだろうか。

 真っ黒な森にも終わりが見え、街道を外れるように町へアプローチするノノの背中の向こうに、ぼんやりとしたガス燈の光が見えて来た。

 木々も随分とまばらになって来た。ノノに追いつくとしたら、ここだろう。

 そう考えてクローバーが速度をあげようとしたその矢先、前を行くノノの速度も急速に加速した。

 不意をつかれた形になったクローバーも慌てて後を追うが、その間にもノノはどんどんと町へと入り込んでいく。

(ちょっと……ここは……!)

 ノノを追いかけながら、クローバーは周囲の光景に顔をしかめる。

〈廃棄街〉

 古くは学園の生徒が古い錬金窯を不法に投棄したことから始まり、割れ窓効果やらなにやらでゴミが積もりに積もった結果、町の一角が巨大な迷宮スラムと化した場所だ。言わずもがな犯罪者やならず者の巣窟と化しており、公的権力すらやすやすと入り込めない違法地帯。

 学園からは決して近付いてはいけないと勧告されているその場所に、ノノは真っ直ぐと向かっているようだった。

 彼女が街道を外れた森の中を進んでいたのも、姿を隠すだけでなく廃棄街へ最短で向かうためだったのだろう。

(……判断を誤ってしまったようね)

 森だろうがなんだろうがいち早くノノを止めるべきだった。

 いよいよ加速して彼女に接触しようとしたその時、ノノは廃材で組み上げられたあばら家が密集している場所へと進路を切り替えた。

「……ノノ・ニィロ!」

 思わず飛び出たクローバーの声も、飛行による風切り音にかき消される。

 次から次へと廃墟の隙間をすり抜けていくノノを追いかけるも、軌道が読めず障害物も多いため思うようにスピードが出せない。

 じりじりしているうちに、ついにクローバーはノノを見失ってしまった。

「私としたことが……」

 辺りを見渡しても、不審な煙やチラチラと光るランタンの光が見えるだけで、不気味なほどに人の気配はしなかった。

 それに、そもそもがゴミを積み上げてできた場所だ。そのゴミの処理などされるはずもないから辺りには鼻をつまみたくなるような異臭が漂っている。

「ノノは一体ここで何を……」

 こうなれば、ノノを連れ戻すだけではすまない。彼女から事情を聴き出し、問題を抱えているなら解決しなくてはならない。

 貴族的なその責任感をもって辺りを見渡すも、ノノの姿はどこにもない。

「仕方ないわ……今日は一度帰って、明日学園でノノに話を聞きましょう」

 嘆息して、暗がりの中で方向転換しようとしたクローバーは、辺りに唐突に響いた怒声に肩をピクリと跳ねさせた。

「おい! こんなところに居やがったか!」

 声の方を見下ろすと、ゴミ溜めに似つかわしくない派手なスーツに身を包んだガラの悪い男がぽつんと立っている。

「降りてこい! 何時だと思ってやがる」

「人違いよ」

 ときっぱり言い捨ててその場を去ろうとしたクローバーだったが、そのあとに続いた男の言葉に箒を止めた。

「ああん? さっき通った女の方か?」

 それを聞いた瞬間、クローバーは鋭く旋回して男の目の前に飛び寄った。

「ここを通った女性がいるの?」

 急に態度を変えたクローバーに少し面食らった様子ながらも、男は顔をしかめたまま闇の向こうを顎で示した。

「ここ最近この辺をうろうろしてる箒乗りがいるんだがな……そっちだったか?」

「その子はどこにいるの?」

「あぁ?」

 男は色眼鏡の奥からクローバーを嘗め回すように覗く。

「黒いローブに三角帽子、長い銀髪……やっぱりてめえじゃねえか」

「だから、それは人違いよ。それより――」

「人違いなもんか、フケようたってそうはいかねえぞ。レースには出てもらうからな」

「……レース?」

「今更とぼけるんじゃねえ。うちの組がどんだけてめえに賭けたと思ってやがる」

「ちょっと……本当に意味が……」

「てめえが出ねえんだったら、その女とやらを無理やりレースに引きずり出してやる。どうやら……てめえの知り合いのようだからな」

「……ギャングの違法レースね」

「分かったらさっさと行け。青い屋根の倉庫からスタートだ。『地図』も忘れてねえだろうな」

 もう一人の女を盾にすればクローバーが多少従順になることを察したのだろう。ギャングの男は途端に強気になったようだった。

 箒に跨ったままのクローバーの腰をバン! と右手で叩いた。

「ッ!」

 小さく息を詰めた後、箒を両手で力強く握りしめたまま、クローバーはぐいっと下半身を持ち上げて一気に両足を男に向かって蹴り込む。

 踏ん張りも聞かずにゴミの山に叩き込まれた男が、鼻血まみれの顔を持ち上げてにやりと笑った。

「気合入ってんじゃねえか……レースも頼むぜ」

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2026年1月12日 18:20 毎日 18:20

ストレイ・ブルーム(あるいは、〈胎盤投げレース〉) 可笑林 @White-Abalone

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