第4話 虹色の宇宙と漂流の日々
虹色の宇宙は、静かだった。
星々が通常の白や青ではなく、柔らかなパステル調で輝いている。
銀河の腕は花びらのように緩やかに広がり、時折、光の粒子が雪のように舞い落ちてくる。
重力が薄く、船はまるで水に浮かんだ木の葉のように、ゆっくりと漂っていた。
「はちわれ丸」のエンジンは完全に停止。
量子コンピュータはダウンしたまま。
メイン電源は緊急バッテリーのみ。
生命維持装置はかろうじて動いているが、いつまで持つかわからない。
田中太郎は操縦席に座り、膝の上にミケロンを乗せていた。
ミケロンはぐったりと丸くなり、時々小さく息を吐くだけ。
量子ビットを使いすぎた反動で、ほとんど眠っている状態だ。
太郎は外の景色を眺めながら、独り言のように呟いた。
「……綺麗だな、ここ。
地球じゃ絶対に見られない光景だ」
ミケロンが、薄く目を開けた。
『……うん。私も、初めて見るよ。観測記録にもない場所』
「観測記録にないって……お前ら、宇宙全部見てきたんじゃないのか?」
『見てきたけど、完璧にじゃない。
ワームホールの不安定な枝分かれとか、並行層の隙間とか……
こういう「偶然の場所」は、予測できないから記録に残りにくいんだ』
ミケロンが体を起こそうとしたが、力が入らない様子でまた倒れ込んだ。
『ごめん、太郎。まだ回復しなくて……』
「いいよ。休んどけ。
お前がいなかったら、今頃追手に捕まってたか、船ごと吹き飛ばされてた」
太郎はミケロンの頭をそっと撫でた。
毛が柔らかく、温かい。
普通の猫と同じ感触なのに、どこか不思議な安心感がある。
船内の照明は薄暗い。
スクリーンは星図を表示できないので、手動で外の観測しかできない。
燃料は残り少ない。食料はまだ一ヶ月分あるが、水のリサイクルシステムが不安定だ。
――漂流、というやつだ。
太郎は立ち上がり、船内を点検し始めた。
工具箱を開け、壊れたパネルを外す。
量子コンピュータのコアは過負荷で焼けている部分がある。
修理には部品が必要だが、ここじゃ手に入らない。
「最悪、船を捨てて脱出ポッドで……いや、ポッドも一機しかないしな」
ミケロンがテレパシーで小さく笑った。
『太郎、意外と冷静だね。
普通の人間ならパニックになってるよ』
「パニックになったところで、何も変わらねえだろ。
それに……一人じゃないしな」
言葉を言ってから、太郎は少し照れた。
ミケロンの尻尾が、弱々しくだが嬉しそうに揺れた。
三日が過ぎた。
船は相変わらず漂流。
近くに惑星やステーションの反応はない。
ただ、虹色の星雲がゆっくりと流れていくだけ。
太郎は毎日、船内の修理を試み、ミケロンは少しずつ回復していった。
量子ビットを少しずつ船のシステムから吸い、ホログラムモードで太郎を手伝うようになった。
ある日の夜、
太郎は観測窓の前に座り、コーヒーの代わりに栄養剤を飲んでいた。
ミケロンが隣に座り、外を眺めている。
『ねえ、太郎。
楽園のこと、もっと教えてあげようか?』
「……ああ。聞きたい」
ミケロンは静かに語り始めた。
『ネコ・エリシオンは、ブラックホールの裏側にあるんだ。
全部のブラックホールが繋がってる、特別な場所。
そこには無限の草原があって、ミルクの川が流れてて、空には記憶の星が輝いてる』
「記憶の星?」
『うん。私たち観測者種族が、宇宙で見た美しいもの、面白いものを記録して作った星。
誰でもテレパシーで触れれば、その記憶を体験できるんだ』
太郎は想像した。
無数の猫たちが、ふわふわの草原で記憶を共有しながら暮らす姿。
「平和そうだな。
なんでお前は、そんな場所から出てきたんだ?」
ミケロンが少し黙った。
『……完璧すぎたから』
「完璧?」
『何も起こらないんだ。
争いもない。悲しみもない。失敗もない。
すべてが予測できて、すべてが記録されてる。
新しい驚きが、ほとんどない』
ミケロンが前足で窓ガラスを軽く触った。
外の虹色の光が、猫の瞳に反射する。
『退屈症って言うんだけど、若い猫たちの間で広がってて。
観測するのがつまらなくなって、ただ眠るだけの日々。
古き猫たちは「もっと深く観測しろ」って言うけど……
私には、もう無理だった』
太郎は黙って聞いていた。
『だから、家出してきた。
外宇宙には、不完全なものがいっぱいある。
失敗したり、泣いたり、笑ったり、予想外のことが起きる。
それが、欲しかったんだ』
「で、俺の船を選んだと」
『うん。君が、一番「退屈そう」に見えたから。
でも、同時に……一番変わりそうにも見えた』
太郎は苦笑した。
「変わりそう、か。10年、何も変わらなかったのに」
『変わるよ。だって、今ここにいるでしょ?
虹色の宇宙で、漂流しながら、私と話してる』
その言葉に、太郎はふと胸が熱くなった。
家族を失った事故以来、
誰かと本気で話すことも、誰かを信じることも避けてきた。
ただ生きているだけ。
退屈というより、凍りついていたのかもしれない。
ミケロンが太郎の手に頭をすり寄せた。
『ありがとう、太郎。私を、連れ出してくれて』
「……俺の方こそだ。お前が来てくれて、ようやく動き出した気がする」
その時、船がわずかに振動した。
『エネルギー反応!近くに……何かあるよ!』
ミケロンが急に立ち上がった。
スクリーンに、微弱だが明確な信号。
人工物と思われる構造体。
距離、約半日。
「ステーションか? それとも……」
『わからない。でも、行ってみよう。
ここで漂流してるより、いいよね?』
太郎は操縦席に座り、残りの補助エンジンを起動した。
「ああ。行くぞ、ミケロン」
船はゆっくりと方向を変え、
虹色の宇宙の奥深くへ進み始めた。
新しい出会いが、待っているかもしれない。
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