第2話 量子ビットの餌と船内大混乱
制御を取り戻すのに、丸一日かかった。
「はちわれ丸」は小惑星帯を抜け、ようやく安定航行に戻ったが、船内のあちこちに傷が残っていた。
コンテナが壁にぶつかった跡、床に散らばった工具、割れたコーヒーカップの破片。
そして、操縦席の上で丸くなって寝ている、白黒ぶちの猫――ミケロン。
田中太郎は疲れ果てた顔で、メインスクリーンを見つめていた。
「量子コンピュータの使用率、87%まで跳ね上がってる……お前、一体どれだけ食ったんだよ」
ミケロンは片目だけ開けて、欠伸をした。
『ちょっとだけだよ。久しぶりの外宇宙の量子ビットだから、味見が止まらなくてさ。
君の船、古い型だから純度が低めで、逆に新鮮だったんだよね。』
「純度が低いって……褒めてんのか馬鹿にしてんのか」
太郎はため息をつきながら、システムログをチェックした。
ミケロンがアクセスした痕跡は、まるで嵐が通り過ぎた後みたいにぐちゃぐちゃだ。
セキュリティプロトコルは全部無効化され、ファイアウォールは穴だらけ。
でも、不思議と悪意は感じられない。
ただの、食い意地の張った猫が勝手に冷蔵庫を開けた――そんな雰囲気。
『ねえ、太郎。次はどこ行くの?』
ミケロンがのそのそと起き上がり、太郎の膝の上に乗ってきた。
重さは普通の猫と同じくらい。温かい。
真空で生きてた存在とは思えないほど、普通に毛がふわふわだ。
「どこって……とりあえず補給ステーションだよ。燃料切れ寸前だし、船の修理も必要だ。
お前が暴れたせいでな」
『補給ステーション? 人がたくさんいる場所?』
ミケロンの尻尾がぴんと立った。
興味津々という感じ。
『行きたい! いろんな人間見てみたい!』
「ダメだ。お前みたいな化け猫、絶対目立つ。
宇宙服着てない猫が船内うろついてたら、即座に通報される」
『化け猫ってひどいなあ。
私は立派な観測者種族だよ? フェリ・オブザーヴァトル。
宇宙誕生からずっと見てきたんだから』
「だからこそヤバいんだよ。
そんな種族の話、銀河連合の古いデータベースにしか載ってない伝説だぞ」
太郎はコーヒーの残りをすすった。冷めきってる。
でも、なぜか気分は悪くない。
昨日までの自分なら、こんな状況でパニックになっていたはずだ。
一人で何年も過ごしてきた。
誰とも話さず、誰にも頼らず、ただ日々を消化するだけ。
家族を失ったあの事故以来、心のどこかに蓋をして生きてきた。
なのに今、膝の上に猫が乗っていて、テレパシーで話しかけてくる。
しかもその猫は宇宙の秘密を知っているらしい。
――退屈じゃなかった。
『太郎、考え事?』
ミケロンが太郎の顔を覗き込んできた。
『顔が暗いよ。昔のこと思い出してる?』
「……ちょっとだけな」
太郎はごまかすように立ち上がり、ミケロンを床に下ろした。
「さて、どうするか。お前を隠さないとステーションに入れない」
『隠す? 簡単だよ。私、姿を変えられるんだから』
「は?」
ミケロンが体を一度ぶるっと震わせた。
次の瞬間、猫の姿がぼやけ、消えた。
「!?」
太郎が慌てて周りを見回す。
すると、操縦席のモニターの上に、小さなホログラムのような猫が浮かんでいた。
実体がない、光の投影。
『どう? これなら目立たないでしょ?
量子ビットを少し使って、ホログラムモード。
エネルギー消費は少ないよ』
「……便利だな、お前」
太郎は苦笑した。
『で、補給ステーションでは何するの?
人間の食べ物、食べられるかな?』
「お前、量子ビット以外も食えるのか?」
『食べられるよ。味はしないけど、物質をエネルギー変換できるから。
でも、面白そうだから試してみたい』
船は徐々に速度を上げ、補給ステーション「オメガ-7」に向かっていた。
辺境ではあるが、採掘船や交易船が集まる中規模の施設だ。
バーもあり、情報も集まる。
太郎はふと思った。
――ミケロンは、なぜ俺の船を選んだんだ?
観測者種族なら、もっと大きな船や、もっと華やかな場所もあるはずだ。
なのに、ボロい一人乗り採掘船。
しかも、こんな辺境の宙域。
『なんで俺なんだ?』
太郎はぽつりと口に出した。
ミケロンのホログラムが、少しだけ揺れた。
『……君が、一番退屈そうだったから』
「退屈?」
『うん。楽園にいたとき、ずっと外宇宙を見てた。
いろんな人間、いろんな人生。
戦争してる人もいれば、恋してる人もいて、笑ってる人も泣いてる人も。
でも、君は……何もしてなかった。
ただ、生きてるだけみたいだった』
太郎は黙った。
『それが、すごく気になったんだ。
退屈って、私たち観測者にとっても最大の敵なんだよ。
完璧すぎて、何も起こらない。
だから、君を見て思った。
この人と一緒にいたら、きっと何か変わるって』
ホログラムの猫が、太郎の肩にちょこんと乗った。
実体はないのに、なぜか温かさが伝わる気がした。
『だから、拾ってくれてありがとう。太郎。』
「……別に、拾ったわけじゃねえよ。
勝手に乗ってきただけだろ」
太郎は照れ隠しに頭を掻いた。
その時、警報が鳴った。
『警告。未知のエネルギー反応。後方より接近中。』
ハチの機械的な声。
太郎がスクリーンを確認する。
後方から、小型の船が高速で近づいてくる。
デザインは見たことない。流線型で、黒い装甲。
通信を試みるが、応答なし。
「海賊か? いや、この宙域じゃ珍しい……」
ミケロンのホログラムが、耳をぴくりと動かした。
『違うよ。あれは……追手だ』
「追手?」
『私の種族の。楽園から、連れ戻しに来たんだと思う』
スクリーンに映る黒い船が、警告射撃を放ってきた。
光線が「はちわれ丸」の側面をかすめる。
「マジかよ……出会った翌日に追っかけられるとか!」
太郎は急いで操縦桿を握った。
『ごめん、太郎。巻き込んじゃった』
「謝るなら、手伝え! お前の能力で何かできるだろ!」
ミケロンのホログラムが、にやりと笑った。
『もちろん。ちょっと面白いこと、してみよう
か』
黒い船が再び射撃態勢に入る。
その瞬間、ミケロンが前足を軽く振った。
船内の重力発生器が、再び悲鳴を上げた。
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