宇宙の端で拾った猫

ゆう

第1話 小惑星帯の真空猫


宇宙暦2857年。


銀河辺境の第17採掘区画、小惑星帯「ケレス・リング」。


田中太郎、32歳。

職業は一人乗り小型採掘船「はちわれ丸」の船長兼操縦士兼整備士兼炊事係。

地球生まれ地球育ちだが、10年前に家族を失って以来、銀河の端っこを転々としている。

話す相手は船載AIの「ハチ」だけ。ハチは会話機能が古くて、返事はいつも「了解しました」「異常なし」「燃料残量42%」の三パターンだ。


今日もいつものルーチンだった。


小惑星の表面をスキャンし、希少金属の反応を探す。見つかればドリルで削り、コンテナに詰めて、次の補給ステーションで売る。

それだけの日々。刺激も変化も、ほとんどない。


「……また空振りか」


太郎は操縦席でため息をついた。

メインスクリーンに映るのは、灰色の岩と岩と岩。

星の光すら届きにくい暗い宙域。ヘルメットのバイザーに自分の顔が映る。少しやつれた目元、伸び放題の無精髭。

もう何年、誰ともまともに話していないだろう。

燃料が心許なくなってきた。

近くに無人の補給ビーコンがあるはずだ。そこに寄ってタンクを満たし、次の区画へ移動する。

いつもの、繰り返しの、退屈な一日。

船を自動航行に切り替え、太郎は立ち上がった。

ストレッチをしながら、船尾の観測窓から外を眺める。


――その瞬間だった。


窓の外、真空の闇の中に、何かが浮かんでいた。

最初は破片かと思った。

採掘船の残骸か、誰かが捨てたゴミか。

でも、形が違う。

小さくて、丸くて、ふわふわと漂っている。


「……猫?」


太郎は目を疑った。

白と黒のぶち模様の猫だった。

宇宙服も何も着ていない。

ただの、普通の地球猫のような姿。

それが、真空の中で、ゆっくりと回転しながら浮いている。


「ハチ、スキャンしろ」


『了解しました。生命反応……確認。酸素なし。放射線耐性……不明。異常です。』


異常どころじゃない。

真空で生きている猫なんて、ありえない。

太郎は反射的に船を手動に切り替え、慎重に近づいた。

マニピュレーターアームを伸ばし、猫をそっと掴む。

エアロックを通して船内に取り込み、重力を通常に戻す。


猫は床に着地すると、すぐに立ち上がり、体を一度ぶるっと震わせた。

そして、太郎を見上げて――


「にゃー」


その声が、頭の中に直接響いた。


『やっと会えた。待ってたよ、人間。』


太郎は硬直した。

声は確かに猫から出ている。でも口は普通に「にゃー」と鳴いただけで、言葉はテレパシーだ。

頭の中で、はっきりとした女の子のような声が響いている。


「お、お前……喋った?」


『喋ってるというより、思考を直接送ってるだけ。人間の耳と声帯は面倒だからね。』


猫は前足で自分の首を掻いた。

そこに小さな金属タグがついている。


【名前】ミケロン

【種族】フェリ・オブザーヴァトル

【餌】量子ビット


「……ミケロン?」


『そう。よろしく、田中太郎さん。』


「なんで俺の名前を知ってんだよ!?」


『観測してたから。君の船、ずっと見てたんだよ。ボロくて寂しそうで、面白そうだったから。』


太郎は後ずさった。

背中が壁にぶつかる。

観測?

ずっと見てた?


ミケロンは尻尾をゆらゆらさせながら、船内を見回した。


『いい船だね。重力発生器が古い型で、時々逆さまになるやつでしょ? 楽しみだなあ。』


「待て待て待て! 説明しろ! お前は何者だ? なんで真空で生きてんだ? どうやってここに――」


質問が次々と溢れ出す。

でもミケロンは、ただのんびりと前足を舐め始めた。


『説明は後でいいよ。まずは餌。お腹すいた。量子ビット、ちょうだい。』


「量子ビットって……船のメインコンピュータのことか?」


『そうそれ! 美味しいやつ。』


太郎は混乱しながらも、操縦席に戻った。

ミケロンが軽やかに飛び乗ってきて、キーボードの上に座る。


『ここ押して。ここも。ほら、アクセスコードは……』


「ちょっと待て! 勝手に――」


遅かった。

ミケロンの前足がキーを叩く速度は、人間の目では追えないほど速い。

メインスクリーンが一瞬チカチカと点滅し、量子コンピュータのコアに直接アクセスされた。


『ん~、美味しい! ちょっと古い味だけど、懐かしいなあ。』


次の瞬間、船内の照明が乱れ、重力が発生器が悲鳴のような音を上げた。


『あ、ごめん。少し取りすぎちゃった。』


船が突然横に傾き、太郎は椅子から転げ落ちた。

コンテナの固定が外れ、金属片が船内を飛び交う。


「うわっ! ハチ! 緊急安定!」


『了解しました……失敗。制御不能。』


ミケロンは悪びれもせず、太郎のヘルメットの上に着地した。


『面白くなってきたね! さあ、旅に出ようよ、太郎。』


太郎は床に這いつくばりながら、必死に制御パネルに手を伸ばす。

でも、なぜか怒りよりも、別の感情が胸に湧いていた。


――退屈、じゃなかった。


心臓が、久しぶりに激しく鼓動している。

真空で生きる猫。

テレパシーで喋る化け猫。

量子ビットを餌にする謎の存在。

こんな出会い、人生で初めてだ。

ミケロンが太郎の頭に前足を乗せた。

瞬間、視界が一変した。

無数の映像が流れ込む。

宇宙の誕生。

星々が爆発する光景。

消えた文明の最後の叫び。

そして、ブラックホールの裏側に広がる――

ふわふわの草原と、無限の光の海。

そこに、無数の猫たちが浮かんでいる。


『私の故郷だよ。ネコ・エリシオン。

でも、もう戻らない。

君と一緒に、もっと面白いところに行きたい。』


映像が消えた。

太郎は息を荒げて、ミケロンを見上げた。


「……お前、本当に猫なのか?」


『猫だよ。宇宙を観測する猫。

でも最近、観測だけじゃ退屈でしょうがなくてさ。

家出してきたんだ。』


船はまだ不安定に揺れていた。

警報が鳴り響く。

でも太郎は、初めて笑った。


「はは……ははは! 馬鹿野郎が!

こんなところで家出猫を拾うなんて、俺も運がいいのか悪いのか……」


ミケロンが満足げに喉を鳴らした。


『運がいいよ、きっと。

これから、退屈なんてさせないから。』


船は小惑星帯を抜け、未知の宙域へと突き進んでいった。

制御はまだ戻らない。

行き先もわからない。

でも、太郎の胸には、確かに熱いものが灯っていた。

長年忘れていた、冒険の予感。



――こうして、田中太郎とミケロンの、

果てしない旅が始まった。

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