第4話

「シャワーありがとうございました!」

「温まれた?ココア淹れたけど飲めそうかな」

「わ、嬉しいです」


 シンプルなマグカップに注がれたココアは、甘く優しい香りを漂わせています。

 リビングのソファに座らせてもらって、2人で並んでマグカップを傾けていると、身体だけでなく心まであたたかくなるような気がしました。


「美味しいです」

「よかった、寒かったよね」

「本当にありがとうございます、何から何まで」

「大丈夫だよ」


 優しく笑って、ルノくんは自分の持っているマグカップを傾けました。

 いつものスーツとは違う、少しラフな部屋着姿はより穏やかな印象を持たせていて、ずぶ濡れになった今日でさえ、特別で愛おしいものへ変わっていくようでした。


 ルノくんの隣は、あたたかくて、穏やかで、息がしやすい。

 こんな日々が続いてくれればなんて思う、理想のような場所で。


「ルノくんは、ずっと隣にいてくださいね」


 思わず漏れた言葉は、自分でも初めて聞くくらいに穏やかな音をしていました。

 人間が人工人類に求めた感情はこれだったのだろうという感覚が、どこかで満たされるような気がしました。


 なのに。


「ごめんね、それは無理なんだ」


 返された言葉は、予想していたものとは全く違っていました。


 コトリと小さく音を鳴らして、ルノくんはマグカップをテーブルに置きました。

 それでも視線はずっとたいして減っていないカップの中の液体に向いていて。目が、合わない。


「え?」

「僕、この仕事辞めようと思ってる」

「え、あ、なんで?」

「だから、ごめんね。トワさんのそのお願いは叶えられない」


 おかしい。

 何かが、いや、全てがおかしいのです。

 MIMETICは確かに人間と言って申し分ないほどに精巧な感情を有しています。しかし、感情的な非合理的選択は行われないように設定されているはずです。


「ミ、MIMETICには社会奉仕義務があります。重要な契約であり、一度配置された業務を簡単に放棄することはできないはずです」

「そうだね」

「ルノくん、定期メンテナンスは行きましたか?どこかの思考設定に不具合があるのかもしれません」

「不具合かぁ。多分ないと思うよ」

「でも、」

「……でも?」


 ルノくんは大人で賢くて優しくて責任感のある素晴らしい人です。だって、みんなもそう言っていましたし、そう言われる行動をとっていました。

 いつだってルノくんはそうでした、なら。


「ルノくんは……そんなこと言わない……」


 __目の前の『コレ』は何?


「……ははっ、MIMETICにもそう言われるんだ。俺って」


 私の言葉を聞いて、目の前のソレは薄く笑って、ぽとりと涙をこぼしました。

 泣くべきは私なのに、その偽物は静かにただ涙をポロポロと溢れさせているばかりです。


「ごめんね」

「知らないです、何ですかごめんって。ルノくんは!」

「あのね、よく聞いて」


 偽物はルノくんがいつもしているハンドグローブを脱ぐと、私の手を取ってきました。

 そうして、ようやくこちらを向いて、ジッと私の視覚センサーを見つめました。


「俺ね、人間なんだ」


 人工皮膚とは違うその感触と、血の通う人間特有のあたたかさが、確かにそこにありました。

 胸が、心臓が鷲掴みにされたように痛んで、指先が凍るように冷えて、頭をガツンと殴られたかのような感覚を覚えました。

 視界がぐちゃぐちゃ歪んで、喉がヒクリと変な音を鳴らして、頬に冷たさを感じます。いつの間にか私は涙を流していました。


 こちらを見るその黒い瞳は涙で薄く膜が張っていて、不安げに視線を一瞬さまよわせたかと思うと、限界だというように瞼で隠される。

 その動作で耐えられなくなった涙が、またひとつ、ぽとりと落ちていく。


 目の前でこの人がそうやって泣くから、私がまた泣いて。2人して静かに泣いて。

 そうして、私はルノくんが人間だってことをようやく理解したのでした。

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