第8話:国家の審判
理科準備室に充満していた超常の残滓が、夜の静寂へと霧散していく。
九頭竜が去った後の部屋には、破壊された精密機器の異臭と、王女リヴィアの微かな震えだけが残された。忍は、先ほどまで「歴史の質量」を宿していた右拳を無造作にポケットへねじ込み、窓の外を見つめた。
校庭には、政府の特務機関が派遣した増援部隊――「黒服」たちの車両が、無数のサーチライトで闇を切り裂きながら集結していた。
「……遅いんだよ、役人は」
忍が呟くのと同時に、扉の枠に寄りかかっていた半蔵が、再びその身を強張らせた。彼の耳に装着された、血に汚れた通信機から、冷徹な合成音声が流れる。
『――こちら特務本部。対象、大伴忍の危険指数が「カテゴリーS」に更新された。これより作戦フェーズを「護衛」から「隔離・制裁」へ移行する』
半蔵の表情が、絶望に歪んだ。
「……何だと? 奴は、大伴は姫を守ったんだぞ! 八咫烏の首領を退けたのは、政府の兵器(われわれ)ではなく、奴の力だ!」
『……服部二十代目。貴様の感情は不要だ。大伴忍が放った「拳圧の余波」は、現行物理学の許容範囲を逸脱している。九十九零の独自理論と共鳴し、国家の管理不可能な「特異点」と化した。――直ちに大伴忍を拘束、抵抗せし場合は排除せよ』
半蔵の視線が、忍の背中に突き刺さる。
政府にとって、理解できない力は「脅威」でしかない。例えそれが世界を救う力であっても、管理の枠外にある限り、それは排除すべきバグなのだ。
「……聞いたろ、半蔵。お前の『飼い主』が、俺を噛めって言ってるぞ」
忍は、振り返ることもなく言った。
「……ふん。国家の審判、ね。理論(数式)で測れないものを、権力(暴力)で押し潰そうなんて。これだから、凡才たちの組織は退屈なのよ」
零が、割れたタブレットを床に放り捨て、不敵に笑う。彼女の瞳には、忍を排除しようとする国家への敵意よりも、自分の「観測対象」を邪魔されることへの、純粋な苛立ちが宿っていた。
廊下から、統率された軍靴の音が近づく。
半蔵は、折れかけた振動破砕刃を再び構えようとした。だが、その手が、今まで一度もなかったほどに震えている。
「大伴……。私は、貴様を……」
「やめとけ。今のお前が俺に挑んでも、お前の『道具』が泣くだけだ」
忍がゆっくりと歩き出す。
彼は半蔵の横を通り過ぎ、踏み込んできた黒服たちの銃口の前に、無防備な姿を晒した。
「忍くん!?」
零が驚きの声を上げる。だが、忍の歩みは止まらない。
黒服の指揮官が、冷酷に右手を振り下ろそうとした、その瞬間。
忍の身体から、音もなく「透明な圧」が放射された。
大伴家秘伝――『空蝉(うつせみ)』の拡張解釈。
それは敵を倒すための技ではない。周囲の空間に対して「自分はそこに存在しない」という情報の齟齬を、強制的に認識させる認知破壊。
銃口を向けていた隊員たちの視線が、忍の姿を捉えているはずなのに、脳が「対象なし」と判断し、引き金を引く指が硬直する。
「な……っ!? なぜ撃たん! 撃て!」
指揮官の怒声が響くが、誰一人として動けない。忍は、まるで静止画の中を歩く唯一の動画のように、悠々と包囲網の隙間を抜けていく。
「半蔵。お前はまだ、そこにいろ。……俺と零、それに姫さんは、少しだけ『寄り道』をしてから帰る」
忍は、リヴィアの手を引き、茫然と立ち尽くす零に目配せをした。
国家が定めた「正解」を拒絶し、聖徳太子の時代から続く「正統」が、ついに歴史の表舞台へと引き摺り出された。
それは同時に、政府という強大な機構を敵に回す、終わりの始まり。
半蔵は、遠ざかっていく忍の背中を見つめながら、自分の握っている「折れた刃」が、いかに虚しいものかを痛感していた。国家の完成を信じて疑わなかった彼の世界が、今、ガラガラと音を立てて崩落していく。
「……大伴忍。……貴様は、どこまで私を惨めにするつもりだ」
月光の下、校舎から脱出する三人の影。
追いかける兵士たちの怒声。
物語は、学園という箱庭を飛び出し、日本という国家の裏側に潜む「巨大な構造(DIA)」へと、その歩みを進めていく。
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