第5話:第一の試練
理科準備室に充満していた電子的な熱気は、唐突な静寂によって塗りつぶされた。
零が構築した解析システムのモニターが、一斉にノイズを発してブラックアウトする。
「……ハッキング? いいえ、もっと物理的な干渉ね。私の『因果演算』に割り込んでくるなんて、よっぽど時代遅れで強固な暗号鍵を持った連中がいるみたい」
零が不敵に笑うのと同時に、校舎全体を揺らすような地響きが轟いた。
校門の防壁が突破されたのだ。半蔵の耳に装着された通信機からは、政府の護衛部隊が次々と無力化されていく悲鳴に近い報告が流れ込む。
「『八咫烏』の本隊か。……リヴィア王女、地下の退避路へ。大伴、貴様はここで姫を死守しろ。これは命令ではなく、服部二十代目としての懇願だ」
半蔵の言葉には、先ほどまでの「完成」された余裕は欠片もなかった。ペンダントが示した『終』の一文字。それが彼の精神に、計算不能な亀裂を生じさせている。半蔵は振動刃を抜き放つと、迷いを断ち切るように廊下へと飛び出していった。
だが、襲撃者の狙いは最初からリヴィアではなく、解析機の中に残された「情報の残滓」だった。
準備室の天井が爆圧で剥がれ落ち、三人の男が音もなく着地する。
彼らが纏うのは、最新のタクティカル・ウェアではない。古めかしい鎖帷子を現代の炭素繊維で編み直した、異様な「装束」だった。
「聖徳太子の遺産を汚す、不届きな観測者よ。……大伴の末裔もろとも、塵に帰せ」
男たちが放ったのは、目視不可能な速度で回転する鋼糸だった。零の理論を嘲笑うかのように、物理的な切断力が理科準備室の精密機器を切り刻んでいく。
「忍くん、危ない……!」
零が叫ぶ。だが、忍は動かなかった。
いや、動く必要がなかったのだ。
忍の手甲から、キィィィンと耳を劈くような高音が発せられる。
零の独自理論:『特定周波数による分子結合の緩和』。
忍はただ、自分に向かってくる鋼糸の「流れ」に、手甲を添えただけだ。零の理論通りなら、その瞬間に鋼糸は強度を失い、霧散するはずだった。
しかし、そこで異変が起きる。
「……悪いな、零。お前の理屈、少しだけ無視するぞ」
忍の独白と共に、手甲から放たれていたはずの理論上の出力が、一瞬にして消失した。
代わりに溢れ出したのは、理論では説明のつかない「純粋な質量」の感覚。忍は手甲の機能を強制的にシャットダウンし、それをただの「重り」として利用した。
忍が踏み出す。
その一歩は、零の数式にあった『慣性中和』とは真逆の、大地を粉砕するような重厚な踏み込みだった。
鋼糸を素手で掴み、力任せに引き寄せる。
暗殺者たちが驚愕に目を見開く中、忍はその巨躯を軽々と投げ飛ばし、床に叩きつけた。
「な……!? 手甲の出力を切っただと? それではただの鉄の塊だぞ!」
一人の暗殺者が叫ぶが、その喉元には既に忍の拳が迫っていた。
衝撃波ではない。
ただの、剥き出しの拳の圧力。
聖徳太子の時代から、何も変わることのない、骨と皮と意志による打撃。
暗殺者の装束が弾け、背後の壁が粉々に砕け散る。忍が放ったのは、零が設計した「効率的な破壊」ではなく、大伴の血が求める「圧倒的な存在証明」だった。
「……忍くん。今の、私の計算にはなかった」
零が呆然と呟く。
忍は無言で、ひび割れた手甲を見つめた。零の「冷たい理論」に付き合うことで保たれていた均衡が、忍の内側から溢れ出した「正統の業」によって、少しずつ崩れ始めている。
「……悪い。お前の理論、やっぱり俺には少し狭すぎるみたいだ」
廊下からは、半蔵の振動刃が空を切る絶望的な音が響いている。
暗殺者の本隊は、半蔵が守るリヴィアではなく、忍のいる理科準備室に集中していた。彼らは知っているのだ。本当に葬り去るべきは、王女ではなく、すべてを終わらせる権利を持つ「四十代目」であることを。
忍は、壊れかけた手甲を再び締め直した。
まだ完全に脱ぎ捨てる時ではない。だが、その瞳に宿る虚無は、次第に鋭い「刃」としての輝きを帯び始めていた。
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