第4話:情報の胎動

 理科準備室に、電子制御された真空ポンプの排気音だけが低く響く。

 零がペンダントを放り込んだ特設のスキャナーは、一般的な透過装置とは一線を画していた。それは物質の形状を追うのではなく、対象が発する「因果の歪み」を逆演算して内部情報を引き出す、彼女の『特異点観測理論』に基づいた解析器だ。


「……見えてきた。やっぱりね、これ、ただの記憶媒体じゃないわ。情報の『重み』が物理法則を歪めてる」


 零の背後で、半蔵が苛立たしげに吐き捨てた。

「馬鹿げている。情報の重みだと? 詩的な表現はいい、専門家としての報告をしろ。そのペンダントは我が国が保護を約束した王室の至宝だ。破損があれば、貴様の首だけでは済まないぞ」


「『首だけでは済まない』……ふふ、国家の犬らしい語彙ね」

 零は半蔵を一瞥だにせず、ホログラムディスプレイに浮かび上がる奇怪なコードを指先で弾いた。

「いい、服部の。貴方たちの持っている技術は、すべて『目に見える現実』の延長線上にある。でも、このペンダントに込められているのは『意志』よ。……聖徳太子の時代から、ある特定の血筋にだけ伝わるように仕組まれた、時限式の呪い」


 ディスプレイに表示されたのは、複雑に絡み合う幾何学模様だった。

 それは次第に形を成し、一つの古びた地図、あるいは「忍の系譜図」のような構造を描き出す。だが、その最下部――現代を示す位置に記されていたのは、半蔵のよく知る「服部」の名でも、政府の特務機関の名でもなかった。


 そこには、ただ一文字。

『終』


 その文字の周囲に、大伴、服部、そして九十九の家紋が、まるで墓標のように配置されていた。


「これは……『忍の終焉』を予言しているというのか」

 半蔵の声が微かに震える。

 彼がこれまで心血を注いできた「政府による忍の管理・完成」という道筋。それが、このペンダントが示す構造の中では、単なる「終わりのための舞台装置」として扱われていた。


「違うわ。予言なんて受動的なものじゃない。これは『計画書』よ」

 零は陶酔したような笑みを浮かべ、忍を振り返った。

「忍くん、見て。大伴の四十代目が現れた時、すべての忍の力を一つに収束させ、この世から『忍という概念そのものを消去する』。……このペンダント、そう言っているわ。私の理論が、ようやく物語と繋がった気がする」


「……消去、だと?」

 忍は、窓際に寄りかかったまま、己の手のひらを見つめた。

 代々受け継いできた、この無駄に鋭すぎる感覚。世界と同期しすぎて、人の心の折れる音まで聞こえてしまう「業」。それが消えてなくなるという事実に、恐怖よりも、深い安堵が胸をかすめる。


「ふざけるな。忍の存在が消えるなど、国家の防衛システムを根本から破壊する行為だ。リヴィア王女、これは一体どういうことだ!」


 半蔵の鋭い問いかけに、王女リヴィアは静かに首を振った。

「私の一族は、代々この鍵を守るためだけの『器』でした。……父は言いました。いつか日本に、すべてを終わらせる権利を持つ者が現れる。その方に、この重荷を託してきなさいと」


「……それが、俺だってことか」

 忍の言葉に、部屋の空気が凍りつく。

 半蔵の殺気が膨れ上がった。彼にとって、忍の消滅は「自分自身の存在理由」の全否定に等しい。もし大伴がすべてを終わらせるというのなら、政府が作り上げた「完成された服部」は何のために存在するのか。


「……大伴忍。貴様がその『計画』に従うというのなら、今ここで、私は国家の敵として貴様を排除しなければならない」


 半蔵が再び振動刃の柄を握る。だが、その動きは先ほどまでのような完璧な合理性を失い、焦燥に塗れていた。

 対照的に、忍はゆっくりと立ち上がり、零が机に置いた手甲を再び手に取った。


「……やめとけ、半蔵。お前の道具は、迷っている奴の命令には答えないだろ」


 忍の声には、感情がなかった。

 ただ、零の「冷たい理論」に再び付き合うための、静かな覚悟だけがそこにあった。


「零。その計画を止める方法も、進める方法も、その箱の中に入ってるんだな?」

「もちろん。でも忍くん、それを知るには――今の君の『身体』じゃ足りない。もっと、私の理論の深淵まで付き合ってもらわないと」


「……ああ、わかってるよ。最後まで付き合うって、決めてるからな」


 忍が手甲を装着した瞬間、理科準備室の照明が激しく明滅し、解析機が悲鳴のような音を上げた。

 情報の胎動。

 歴史という巨大な因果が、一人の無気力な少年の肉体を媒介に、音を立てて動き出そうとしていた。

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