オカエリナサイ

「ぎゃああああ…んぐっ」


悲鳴をあげる天城の口を、猫の怪人が大きな手で塞いだ。

手のひらと指の先についている肉球の感触は先ほどの夢で感じていたラシオンの肉球の感触そのものだったけど、今はそんなことを考えている場合ではない。こんな怪しい相手に何をされるかわからない。まさに危機一髪の状況ではないか。


…と考えてじたばたあばれてみたけど、それでも相手はビクッともしない。生まれてこの方鍛えたことのない天城のフニャフニャな体では、こんなまるで野獣のような体をした相手に敵うわけがない。


「こんな時間に悲鳴など上げられてはご近所迷惑だから、失礼いたしました父上。少し落ち着いていただけませんか?」


そう話しかけてくる怪人の声は、低く力のありそうではあったけどどこか懐かしんでいるような、こちらのことを凄く気にかけているような優しい声だった。

しかもご近所迷惑って…非現実の塊のような姿をしているくせに、あまりにも真っ当なことをいうから、なんか緊張が解けてしまう気がする。


「それにあまり役に立たないと思いますので、暴れるのもおやめください」


それも事実だった。先からもがいたり、怪人を押し出してその懐から抜け出そうとしているのに、怪人は左腕でまるで赤ちゃんでも抱いているかのように天城を抱き抱えたまま、微動だにしないでいた。

体格の差があるとはいえ、ここまで何もできないとなると抵抗する気などなくなるものだった。


「いいですか?この手を離しますから、大声は出さないでください。普通に話し合えばどういうことかご理解いただけるでしょうから。お分かりでしたら1回、瞬いてください」


どうしようもないので、とりあえずは体の自由だけでも取り戻そうと思った天城は、怪人に言われた通りに瞬いた。


- パチッ


天城の返事を確認した怪人が、口を塞いでいた手を離してくれた。


「はぁ…窒息するかと思った」


思わず漏れた、自分で考えても間抜けな言葉に、怪人が呆気なそうな顔で話しかけてきた。


「そこまで力は入れてませんけど?」


「…とにかく、暴れたり逃げたりはしないから、離してもらえないか?

あいにく男に抱かれる趣味はないのでね」


「おや、それは意外」


そっと離してくれた怪人は、心外そうな顔でそんなことを言う。


『こいつはいったい何を、人聞きの悪いことを言っているんだ?』


と思いながら、天城は床に座ったままで恐る恐る怪人から遠ざかろうとした。


「いや別に食い殺したりはしませんよ?逃げなくても大丈夫です」


「…それはどうも」


平然と殺伐としたことを言い放つ相手を前に、天城はできる限り平常を保とうとしていた。

相当知性の高そうな…というか、並の人間より教養も、知性も、常識も高そうな言動だと薄々感じてはいたけど、油断できるものではないと思ったからだ。

しかし、そんなことより気になってならないことがあった。


「先から父上、父上といってくれているけど」


「はい、父上」


「お生憎様、私は…生涯独身でね、子供を授かった覚えはないんだ。

 しかも、君のような異形の…」


「異種族の女性と交わったことはないと?」


「…そういうことになるな」


「承知しておりますよ?そんなことぐらい。

 父上が女性に人気のない方だったということは」


『黙って聞いていればさっきから失礼千万なやつだな、おい。』


と、天城は心の中でぶつくさいってみた。

それが事実だと言うことが、やけに癪に触っていたからなお。


「随分と私のことに詳しいようだが…」


「それはもう、あなたと22年も一緒に生活していたから」


ドクン、と心臓が止まるかと思った天城。


- どうして、その、ラシオンそっくりの顔でそんなことが言える?


「まさか、君が…私の亡き長男猫、ラシオンの生まれ変わりだとでも?」


「いってませんでしたっけ?」


その瞬間、天城の中からなんともいえない憤りの炎が燃え上がった。


ふざけるな。ラシオンと私の家族としての思い出をなんだと思っているんだ。

あの22年は、あの子の全生涯だった。

その大事な思い出をなんだと思って…!


「悪い冗談は…」


「父上は、私のことをよく抱き抱えてくださいましたね」


「…は?」


いや、確かにそうではあった。


「人間の赤ちゃんを抱きしめるような姿勢で抱きしめ、子守唄も歌っていた」


「な…」


それも事実だった。

人間に強引に抱き抱えられること自体を嫌うのが猫だというのに、生前のラシオンは抱かれるだけか、普通猫の嫌いな姿勢である、お腹を上に出した姿勢で抱き抱えても 拒否するどころか、済んだエメラルドの瞳で静かに天城のことを見上げながら、ゴロゴロと喉を鳴らすことさえあった。

そう、まるで幸せの歌を歌うかのように。


「初めては父上の子守唄を『変な声』だと思っていましたけど、まあ、慣れてきていたんですよ。

 だから、父上も抱き抱えられることに特に拒否感はお持ちではないだろうと思ったんですがね…」


「あ、いや、それは…」


そこまで知っているなんて、いったい何者なんだ、この怪人は?


と混乱している天城に、怪人…自称ラシオンの猫獣人が続けた。


「この星から去る時も…父上に抱かれていましたね。

 あの時、父上は大粒の涙を流しながらおっしゃっていました。

 ごめんね、ごめんね…そしてありがとう、と」


じわり、とくる何かを感じた。

そうだ、確かにラシオンの最期の時、天城は瞳の光が消えかかっていくラシオンの体を大事に大事に抱き抱えて、涙しながら最後の別れを、辛い気持ちで告げていた。


私はあの小さな家族に、どれだけ救われていたのか。

どれだけ感謝しても感謝しきれないのに、どうしてお前はああも急いでこの世から去って行ったのか。

こうなるとわかっていたら、もっと、もっと愛してあげるべきだったのに。


蘇るあの日の思い出に、目の前が霞んでくる。

まだ視力には問題がないと自負しているだけに、天城はおかしいと思った。

頬を伝う生温かい何かを怪訝に感じながら。


「そして、お別れの時父上はこうおっしゃっていました

『もっといい暮らしをさせてあげられなくてごめんなさい。狭いマンションで窮屈な思いをさせたね。でも、お前はもう自由だ。行きたいところへ、心が赴くまま自由に行きなさい。

 もし私に会いたくなっても、この星には戻って来ないでくれ。猫に優しくないこの星にまた戻ってきて、もし私とすれ違いになったら困るから…

 いつか、私の方からお前のいるところに会いに行くから、いつかまた会えるあの日まで、しばらく我慢してくれ。

 そしてー』」


- ああ、頬を伝っているこれって、私の涙だったか。


漏れる水道の蛇口のように溢れる涙を堪えることも、拭うことも忘れて相手の話を聞きながら、天城は思った。


「『そして、お前だって初めて行く道だから怖くて、分からないことだらけだろうけど、もしその道で道に迷ったり、怖くて進められなかったり、幼すぎて自分がどんなことになっているかさえ分からない子猫達に出会ったら一緒に連れて行ってあげなさい。

 お前は昔からそんな子だったよね。強く、優しく、頼りになる、お兄さん猫。

 歓迎してもらえずこの世に生まれ落ちて、その短い生すら全うできず、見送りもなしに去っていく儚く可憐な生命達に、それぐらいの報いはあってもいいだろう。

 お前には、愛してもらった思い出があるからな…こんな何もかも足りない、情けない父からのくだらない愛だったけど、分けてやりなさい。あの子達の道が悲しみの色に染まらないように』」


天城の涙腺が、壊れた。

いい歳のおっさんが、オイオイ泣くのは惨めだな…などと思う暇などなかった。

溢れ出す涙で前がほとんど見えなかったけど、そんなことはどうでもよかった。

目の前にいる、この長身の猫の怪人…いや、愛おしい猫獣人は、間違いなく、この1年間片時も忘れたことのない、愛する長男猫、ラシオンだった。


夢かもしれない。幻かもしれない。


だが、それでもよかった。


ただ彼に触れて、今も変わらずに愛していると、伝えなければ。


天城は起き上がる暇もなく、膝で、いやまるで四つん這いになってラシオンに近づき、しがみつくように強く抱きしめた。

言いたいことは山ほどあったけど、口を開いた瞬間出てきた言葉は…


「お帰りなさい」


「ただいま」


ラシオンの1周忌に起きた、世にも奇妙な出来事であった。


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次回、第3話「宇宙人襲来」


1/3(土) 0時更新 お楽しみに。




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