第2話 AIの最適解とズレ
『一ノ瀬さん、ラフ上がったよ』
チャットツールの通知音が鳴ったのは、昼休憩が終わってまだ一時間も経っていない、一四時のことだった。
「相変わらず、仕事がお早いことで」
通常のフローなら、ワイヤーフレームの確定からデザインカンプの完成まで、早くて二日はかかる。それを彼は、昼食の合間に終わらせたというのか。
記載されたURLをクリックする指先が、少しだけ強張る。画面にプログレスバーが走り、佐伯が――いや、佐伯の指示を受けたAIが導き出した「最適解」が表示された。
「……なるほど」
思わず、感嘆の声が漏れた。
悔しいが、完璧だ。
ファーストビュー(画面の最上部)には、余白を贅沢に使ったレイアウト。背景はノイズの一切ない、雪のようなマットな白。フォントは視認性が高く、かつ洗練された細身のサンセリフ体。
まるで、銀座のハイブランドのジュエリーショップか、五つ星ホテルのラウンジのようなサイトだった。
「どうかな。感想は」
いつの間にか背後に立っていた佐伯が、私のモニターを覗き込みながら言った。
「……凄いです。すごく、綺麗です」
お世辞ではない。
構成要素の配置(コンポジション)は黄金比に基づいており、視線誘導も完璧だ。ナビゲーションのUIも、スマホでの操作性を考慮して親指の可動域に最適化されている。
「ターゲットを、既存の高齢層から三〇代のギフト需要にシフトさせた。単価を上げるためには、徹底したブランディングが必要だ。従来のイメージを刷新し、洗練された『洋菓子KURATA』として再定義する」
佐伯の説明は理路整然としていた。
マーケティングAIが弾き出した市場データと、画像生成AIが描いたビジュアル。それらを組み合わせたこの提案は、ビジネスとして間違いなく正解だろう。
「このクオリティなら、CVR(成約率)は確実に上がりますね」
私はプロとして、正しい評価を口にした。
けれど…。
マウスホイールをスクロールさせ、メインの商品画像が表示された瞬間、私の指が止まった。
そこに配置されていたのは、この店の看板商品である「ショートケーキ」だ。
プロのカメラマンが撮影した素材を、AIが高解像度化し、美しくトリミングしている。クリームの白さとイチゴの赤さが、無機質な白背景によく映えていた。
映えている、はずなのに。
(……寒そう)
そんな言葉が、ふと脳裏を掠めた。
違和感の正体は、物理的な「温度」の欠如だ。
ホワイトバランスが青寄りに補正されすぎている。影(ドロップシャドウ)のエッジが鋭利すぎて、皿が背景から浮いてしまっている。
まるで美術館のガラスケースの中に厳重に展示された、精巧な食品サンプルのようだ。
ショートケーキの断面、スポンジのきめ細やかさが、過剰なシャープネス処理によって「ザラついたノイズ」に見える。
綺麗だ。
でも、フォークを入れたいと思えない。
「食べるためのケーキ」が、「見せるためのオブジェ」に変換されてしまっている。
「……佐伯さん、ここの写真のトーンなんですが」
喉まで出かかった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。
『もう少し、暖色を足しませんか』
『影をぼかして、接地感を出しませんか』
そんな提案をしたところで、佐伯は「なぜ?」と問うだろう。「綺麗に見えるから」という感覚的な理由では、彼の持つ「クリック率が最も高い配色データ」には勝てない。
それに、私は――。
「……いえ、なんでもないです。実装に入りますね」
私はオペレーターだ。
心の中で、呪文のように繰り返す。
与えられたデザインを、決められた通りに形にする。
そこに私の
クリエイティブな自我は、納期の敵だ。
「頼む。コーディングだけなら定時までに終わるだろう?」
佐伯は満足げに頷き、自分の席へ戻っていった。
私はヘッドホンをつけ、外の世界を遮断した。
エディタを開き、HTMLタグを打ち込んでいく。構造はシンプルだ。迷う余地はない。
淡々とキーボードを叩きながら、ブラウザで表示確認をする。
画面の中のショートケーキと目が合う。
冷たい部屋に置き去りにされたようなそのケーキが、私に何かを訴えかけている気がした。
無意識のうちに、指が動いていた。
『F12』キー。
ブラウザの画面右側に、検証ツール(デベロッパーツール)が表示される。
Webサイトの裏側、骨組みと装飾を司るCSSが羅列されたその場所へ、私は手慣れた様子でカーソルを合わせた。
background-color: #fcf8f2;
純白に近い背景色を、少しだけ温かみのある数値に書き換える。
Enterキーを押すと、一瞬だけ画面の空気が和らいだ気がした。
(……やっぱり、こっちの方が)
そこまで考えて、私はハッとしてページをリロード(再読み込み)した。
画面は元の冷たい白に戻る。
「やめよう」
小さく呟く。
こんな細工をしたところで、どうせ「指定と違う」と修正指示が来るだけだ。私は自分の「手癖」を封印し、検証ツールを閉じた。
一七時三〇分。
予想通り、コーディングは順調に進んだ。あとはサーバーにテストアップして、URLを佐伯に送れば終わりだ。
これなら一八時ジャストにタイムカードが切れる。
私は伸びをして、完了報告のチャットを打とうとした。
「一ノ瀬さん」
不意に名前を呼ばれ、肩が跳ねる。
いつの間にか、佐伯がカバンを持って私の席の横に立っていた。
「作業、終わったか?」
「はい、今ちょうどテスト環境に上げました。URL送ります」
「よし。じゃあ、行くぞ」
「……え?」
聞き間違いだろうか。
「行くって、どこへですか?」
「クライアントのところだ。『洋菓子KURATA』」
佐伯は腕時計を一瞥した。
「一九時からアポが取れた。今回のリニューアル、技術的な仕様変更も含んでいるから、コーダーの君にも同席してほしい。その場で答えられない質問が出ると困るからな」
「一九時……ですか」
「ああ。オーナーが片付けの合間に時間を取ってくれた」
私は右下の時計を見た。
一七時三二分。
今から移動すれば、確かに間に合う。
そして、一八時に帰れないことは確定した。
「……分かりました。準備します」
努めて明るく、業務的な声を出したつもりだった。
けれど、カバンにPCを詰め込む手つきは、自分でも分かるほど雑になっていた。
定時退社という私のささやかな防衛線が、音を立てて崩れ去っていく。
合理的で、有能で、完璧な上司の背中を見つめがら、私は重い足取りで立ち上がった。
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