エピソード 6
いつものように旦那様と朝食を食べる。そんな幸せなひとときを過ごして旦那様を見送った後、部屋に戻った私はマルグリットに相談があると声を掛けた。
「なんでしょう?」
「錬金術の先生に伝えてください。神髄を覗く覚悟が決まった――と」
マルグリットは驚いた顔をして、だけど理由は聞いてこなかった。彼女はすべてを理解しているかのように表情を引き締め、静かに「……よろしいのですか?」と口にした。
「私のお母様は旦那様のおかげで回復に向かっているわ。だけど、あのとき、私がもっとちゃんとした錬金術を覚えていれば、お父様は死なずにすんだかもしれない。そんな後悔をしたくないの」
「かしこまりました。では、先生にご連絡を差し上げます」
マルグリットとそう言って踵を返そうとする。
だけど私はそんな彼女の背中に呼びかけた。
「マルグリット、一つ聞きたいことがあるの」
「はい、なんでしょう?」
「昨日のパーティーで、とあるご令嬢から財産目当てで旦那様と結婚したのだと詰められたわ」
「どこのご令嬢でしょう? 実家に圧力を掛けて、奥様を侮辱したケジメを取らせましょう」
「怖いことを言わないで」
なんのためらいもなくケジメという言葉が出てくるあたりが怖すぎる。私は少し大げさに言っただけだと釈明してマルグリットを落ち着かせ、少し聞きたいことがあると口にした。
「聞きたいこと……相手を言い負かせる方法ですか?」
「違うわ。その子は謝ってくれたし、どうこうするつもりはないの。ただ……そうね。普通、旦那様と結婚することになったら、玉の輿というと思わない?」
旦那様は容姿端麗で、地位も、お金もあって、性格も優しい。玉の輿が羨ましいというのなら分かるが、財産目当てという言葉は出てこないはずだ。
そんな疑問を口にして、マルグリットの答えを待った。
「残念ながら、わたくしには分かりかねます」
「……そっか。引き留めてごめんなさいね」
「いえ、お気になさらず。では、わたくしは先生に連絡を取ってきます」
彼女はそう言って、部屋から退室していった。
私はそうして閉められた扉を静かに見つめる。
「マルグリット、意外と嘘が下手ね」
マルグリットは優秀な侍女だ。それはこの一年でよく理解している。そんな彼女なら、私の言葉を理解できないはずがない。その上で、ただの言い間違いだと判断するのならともかく。
けど、彼女は分からないと言った。
その答えを知っているから、彼女はあえて分からないと言ったのだ。
――その日の午後。
私はローゼンベルク侯爵家の門を叩いた。先触れも出さずに訪ねたのだけれど、さすがはセレスティア公爵家の馬車、ローゼンベルク侯爵家の門番は戸惑いながらも丁寧に応じてくれた。
そして、私は中庭へと通される。
そこには、少し乱れたツインテールを手ぐしで直すローズマリーの姿があった。
「昨日の今日で尋ねてくるなんて失礼な奥様ね。せめて事前に連絡くらい入れなさいよ」
「ごめんなさい。これで昨日の貸し借りをなしとしてくれてかまいません」
私がそう告げると、ローズマリーは少しだけ真面目な顔になった。
「それだけ重要な話という訳ね。では、ガゼボで話しましょう。お茶の用意をさせます」
彼女がそう言って、中庭の一角にある大理石の屋根があるガゼボに視線を向けた。私はそれに頷き、彼女と共に中庭の小道を歩く。
さすが侯爵家というだけあって、庭の手入れは隅々まで行き届いていた。私はそれを眺めながら、「そう言えば、ローズマリーは錬金術を学んでいるそうですね」と口にした。
「……侯爵家の令嬢がすることではない、とでも言うつもりかしら?」
「まさか。私も学んでいるのに、そんなことは言わないわ」
「まあ、イリス様も?」
彼女は軽く驚く素振りを見せ、それから少しだけ声のトーンを落とした。
「……わたくしは若輩で、深淵にはほど遠いのですが、イリス様はどの程度の腕前なのですか?」
並んで歩くローズマリーから探るような視線を感じる。
……なるほど、分かる人にだけ分かる言い回し、という訳ね。
「レシピと材料さえあれば、大抵のポーションは作れるようになりました。私はそこで足を止め、深淵を覗くつもりはありませんでした」
「……ですが、いまは違う、と?」
「気付いたんです。後悔してからじゃ遅いって」
母が病気になってようやく、私は足掻き始めた。でももう少し早く努力を重ねていれば、なにか変わっていたかもしれない。もちろん、当時の私は子供だったし、過去を悔いても意味がない。
だけど、これからのことには活かせるかもしれない。
そんな感想を交えながら、ローズマリーに請われるままに昔話をした。結果、ローズマリーは突然足を止め、だばーと涙を流しはじめた。
「うぅ、イリス様、ぐろうなざっているんですね」
愚弄はしていない。いや、苦労か。というか涙腺が緩すぎると、私は慌てて取り出したハンカチでローズマリーの目元を拭った。
「ごべんなさい」
「いいけど、そこまで泣くことじゃないわよね?」
「それ、は……」
ローズマリーは視線を彷徨わせる。
だけどしばらくして落ち着いたのか、唇をきゅっと噛むと、指で涙を拭って私を真正面から見つめた。
そこに泣いている少女はいない。
「それを聞くために、わたくしのところに、来たのですよね?」
「……っ。ええ、そうよ」
やっぱりそうなのかと、胸の鼓動が大きく跳ねた。
「では、そちらにどうぞ。ここからは座って話しましょう」
ガゼボにある屋根の下、大理石のテーブルを囲むように置かれた椅子の一つに腰を下ろす。ローズマリーもまた向かいの席に座り、そこに紅茶やお菓子が並べられていく。
そのお茶菓子に、ホストであるローズマリーが毒味をかねて口を付けた。私もそれに続いて紅茶を口にする。爽やかな香りがする飲みやすい紅茶だ。
でも、いまの私はそれを喉に流し込むのも一苦労だった。
「さて、どこからお話ししましょうか」
「では――玉の輿ではなく、財産目当てだとおっしゃった理由をお教えください」
「……やはり、そこで気付いてしまわれましたか。イリス様は優秀ですわね」
「私は付け焼き刃よ。そこで、やはりと言える貴女の方が優秀よ」
私より六つも年下の少女。私が彼女の頃は、まだ錬金術を学ぼうとしていなかった。それを思えば、いかに彼女が優秀なのかがよく分かる。
「実質、学び初めて一年の貴女には負けますわ」
彼女はそう言って微笑み、それから口を閉じた。
だが、彼女の視線は私にこう問い掛けていた。
『続きを口にしていいのですか?』――と。
私はもう一口紅茶を飲んで、それから深呼吸を一つ。
「聞かせてください」と絞り出すように答える。
「では単刀直入にお応えします。――もうすぐ死にゆく定めの殿方に嫁いだから、玉の輿ではなく、財産目当てだと思ったのです」
「……っ。旦那様はご病気、なのですか」
「いいえ。呪いだとうかがっています。災厄の魔女を倒した際に、死の呪いを掛けられた、と」
「死の呪い、ですか?」
「詳しくは存じません。ですが、社交界では有名な話ですよ」
「……ただの噂、という可能性は?」
一縷の望みに掛けて反論してみせる。
けれど、ローズマリーは即座に首を横に振った。
「残念ですが、お父様に確認していただきました。それにちょうどその時期――いまから五年ほど前だったでしょうか? ノア様はとても荒れていらしたそうです」
「……そのようなことがあったのですね」
私の母が倒れる少し前だ――と、そこまで考えた私ははたと気付く。私は母が倒れ、錬金術を学び始めたときは少しも余裕なんてなかった。
私の心に余裕が生まれたのは、旦那様に救われてからだ。
「いまの旦那様は荒んでなどいません。原因が取り除かれたという可能性は、ありませんか?」
「……分かりません。ただ、彼が立ち直ったのは、ある人のおかげだ――という話は聞いたことがあります。わたくしも人づてに聞いただけで、詳しいことは存じませんが……」
「そう、ですか。色々と教えてくださってありがとうございます」
旦那様が死ぬかもしれない。
その予想だけは外れていて欲しかった。だけど、原因が呪いだというのなら、錬金術の深淵に属する分野だ。いまから頑張れば、旦那様を救うことが出来るかもしれない。
そうと決まれば、やることは一つだけだと、私は勢いよく席を立った。
「すみません、来たばかりですが急用を思い出しました」
「ええ、ここで引き留めるような無粋な真似はいたしませんわ。だけど、一つだけ」
ローズマリーはそう言って紅茶を一口、上目遣いを私に向けた。
「錬金術の深淵を覗く貴女を、口さがない者が悪し様に言うこともあるでしょう。ですが、わたくしはそうやって足掻く貴女を尊いと思います。なにかあれば、いつでも力になりますわ」
「……ありがとう。パーティーで出会ったのが貴女でよかった」
そう言って笑い、クルリと身を翻す。私は旦那様を救うために動き始めた。
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