エピソード 2
不安を胸に部屋で待っていると、ほどなくして公爵様がやってきた。
私は慌てて立ち上がり、公爵様を出迎える。
「は、初めまして、公爵様。私はイリスと申します。このたびは、わ、わたくしをお買い上げくださり、ありがとうございます」
そう言って深く頭を下げる。
だが、いつまで経っても反応がない。頭を上げるべきか、それとも反応があるまで下げているべきかと考えていると、「まずは座れ」と無愛想な声が返ってきた。
「わ、分かりました」
慌ててソファに座ると、公爵様も一呼吸空けて向かいの席に座った。
私は上目遣いで公爵様を観察する。
容姿は恐ろしく整っている。サラサラの金髪と相まって、美しき獣を彷彿とさせる。引き締まった身体は、武術を嗜んでいるもののそれだ。腰の剣は飾りではないだろう。
だが理性を湛えた緑色の瞳が、彼が粗野な人間でないことを示していた。
そういえば、英雄となった騎士公爵様の噂を聞いたことがあるわ。たしか、災厄を引き起こした魔女を討伐したなんとか……彼がそうなのかしら?
そんなことを考えていると、彼が小さく咳払いをした。
「観察は終わったか?」
「し、失礼しました!」
見透かされたことを恥じ入って縮こまる。彼は「怒ってはいない。ただ、終わったのかと聞いただけだ」と口にした。
……もしかして、気遣ってくださっているのかしら?
「あの、質問をよろしいでしょうか?」
「むろんかまわない」
「私を娶るとうかがいましたが……事実ですか?」
「事実だ。俺は君を娶るつもりだ」
色味のない声が、静かに事実だけを告げた。
そこに、彼の思惑は見えてこない。
「なぜと、聞いてもよろしいのでしょうか?」
「少し、長い話になるが?」
「かまいません」
「そうか。では――マルグリット、お茶の用意を」
「かしこまりました」
侍女のマルグリットが既に準備していたお茶をローテーブルの上に並べ始める。それを見届けると、彼は紅茶を一口飲んで、「さて、まずはどこから話したものか」と思案顔になった。
私もまた、彼に倣って紅茶を飲む。それから、控えめに声を上げた。
「私を娶る理由を聞いてもよろしいのでしょうか? その、公爵様ほどの方であれば、嫁のなり手はいくらでもいると思うのですが」
「まさにそれが理由だ」
「……どれですか?」
小首を傾げる。
「いま現在、俺の元にはとある理由で、縁談の話が数え切れないほど押し寄せている。いいかげん辟易していたので、そろそろ黙らせたかったんだ」
「……つまり、偽装結婚、ということでしょうか?」
私が問い掛けると、公爵様は無言で笑みを零した。その想ったよりも優しげな表情に思わずドギマギさせられる。私は太股の上で拳をギュッと握ってその感情をやり過ごした。
だが次の瞬間、はたと気付く。
彼が口にしたのは自分が結婚する理由であり、私を選んだ理由ではないことに。
「どうして、私なのですか?」
「もしや、迷惑だったか?」
「いいえ。私を買い取り、あの場から救い出してくださったことには感謝しています。だから結婚をお望みであれば否はございません。ただ、理由は知りたいと思いまして」
「……そうか。君は覚えていないのだな」
その言葉に、わずかな引っかかりを覚える。
その理由を探るけれど、私は原因を見つけることが出来なかった。
「すみません。どこかで、お目にかかったことがありますか?」
「ああ。だが、覚えていないのなら気にする必要はない」
「申し訳ありません」
「謝罪は必要ない。君にとってはその程度の話だったのだろう。俺にしても、君をあの場から救う理由になる程度の話なので、無理に思い出す必要はない」
「そんなふうに言われたら気にします」
「なら頑張って思い出すことだ」
彼はそう言って微笑んだ。こういう茶目っ気のある一面もあるのね。最初は無愛想でとっつきにくい人かと思ったけど、意外と可愛いかもしれないわ。
「それで、私は貴方の妻になればよいのですか?」
「ああ。ただし――」
彼はそこで一度言葉を切り、私へと視線を向ける。その吸い込まれそうな緑色の瞳がなぜだか冷たく見えた。そうして身震いする私に、彼は静かに言い放つ。
「死ぬまで君を愛することはない」
突きつけられたのは冷酷な現実。
だけど、これが縁談の風除けならば当然だ。
「もちろん、理解していますわ」
胸の前で両手を合わせて握り、絞り出すように答えた。
公爵様は視線を落とし、きゅっと唇を噛んだように見えた。だが次の瞬間には顔を上げ、「その対価に、俺は君が生きていく上で必要なもの、すべてを揃えよう」と言い放った。
「すべて、ですか?」
「ああ。教養が必要なら教師を用意する。ドレスが必要なら、この国で一番の職人にデザインさせ、最高の生地を使ったドレスを仕立てさせよう」
「それは……夢のようなお話ですね」
「すべて現実の話だ」
彼はそう言うけれど、私には実感がわかなかった。どちらも、没落貴族の私には決して叶わなかったことだから。いや、それよりも――
「あの、私には病気の母がいるのですが……」
「ああ、そのことなら心配はいらない。君のお母様も保護をして、いまは入院手続きを進めているからな。王族も使う病院だからきっとよくなるはずだ」
「そ、それは、本当ですか!?」
ローテーブルに手をつき、身を乗り出して問い掛ける。彼はわずかに驚いた素振りを見せた後、「君にとって大切な存在のようだな」と微笑んだ。
「はい。大切な家族ですから」
借金の形に売られたことは悲しかったけれど、それは父や母が望んだことではない。だから両親を怨んだことはない。
「仲がよかったのか?」
「そうですね。他を知りませんが、よかったのだと思います。父も母も、私によくしてくれました。だから、母が無事なら私は嬉しいです」
私がそう言って微笑めば、公爵様は「そうか」と使用人に合図を送った。一呼吸置いて、扉が開く。そこには、もう二度と会えないと思っていた母の姿があった。
「お母様!」
思わずソファを蹴立てて立ち上がり、母の前へと駆け寄りその手を掴んだ。少し痩せ細った、けれど優しい母の温もりが手を通して伝わってくる。
「イリス、あぁよかった、本当に無事だったのね!」
「お母様こそ、大丈夫なのですか?」
「……ええ。公爵様が紹介してくださった先生に見てもらったの。すぐには無理だけど、ちゃんと治療すれば少しずつよくなるそうよ」
「そう。なんだ。よかった……よかったよぅ……」
母が無事だと分かり、緊張の糸が切れた私は母の手を握ったままその場にへたり込む。続けて母も膝を突くと、私の頭を抱きしめた。
「イリスも、無事でよかった。ごめんなさい、私のせいで」
「いいえ、お母様のせいじゃないですよ」
病気は仕方ないことで、私も父も母を救いたいと思った結果、色々とうまく行かなかった。
ただそれだけだ。
でも、そこから救われたのはただの幸運じゃない。公爵様が私と母に手を差し伸べてくれた結果。
私は公爵様に恩を返さなくてはいけない。
そう思って視線を向けると、彼は私と母の再会を静かに見守っていた。私は「お母様大好き」とギュッと抱きついたあと、佇まいをただして公爵様へと向き直る。
「公爵様、お待たせいたしました」
「答えは決まったのか?」
「はい。先ほどのお話、お受けいたします」
母を救い、私を救ってくれた。そんな彼の恩に報いるためにと、私は精一杯の笑みを浮かべた。
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