『死ぬまで君を愛することはない』と言った公爵様が死に、溺愛ルートに入ります

緋色の雨

エピソード 1

「死ぬまで君を愛することはない」


 公爵様はそう言って静かに笑った。その言葉にどれだけの想いが込められていたのか、私が知ったのは少しだけ後のことだった。


     ◆◆◆


 私の名はイリス。

 昨日までの私は下級貴族の娘だった。だけど数年前に母が病気を患い、父はその治療費のために奔走したが、元々貧乏だったうちは家計が火の車に陥った。

 私も協力したけれど、父が過労死することですべてが破綻した。残されたのは病気の母、それに莫大な借金だけ。私は借金の形に売られることになる。


 そしていま、私は人身売買を取り扱う商会の一室に閉じ込められている。みすぼらしい服を着せられ、胸元には名札を付けられている。ただの商品として。


「こんなことにだけはならないように頑張ったのにね」


 母が倒れ、資金繰りが悪化した。

 それに気付いた私は友達と遊ぶことも、恋をすることも諦めて、家を立て直すため、そして病気の母を救うために独学で錬金術を学んだ。

 けれど、それも結局は意味を成さず、私はこうして破滅した。


「死にたくないなぁ……」


 元貴族令嬢と言えば聞こえはいいが、所詮は下級貴族の娘だ。抜きん出た教養がある訳でもないし、よくてどこかの使用人、運が悪ければなぶり殺されてしまうだろう。

 死ぬのは怖い。でも死ぬより酷い目に遭うのはもっと怖い。


 恐怖に押しつぶされそうになり、部屋の隅で膝を抱えて震える。そんな私のまえに現れたのは、奴隷商と共に現れた青年だった。


 歳は二十代半ばくらいだろうか?

 サラサラの金髪に、吸い込まれそうな緑色の瞳。見目麗しく、立ち居振る舞いも洗練されている。なにより、身に着けている服の材質が明らかに上級貴族のそれだ。

 こんな人がどうしてこんな場所に?


 彼の緑色の瞳が私を一瞥し――それから奴隷商へと向けられた。


「間違いない。彼女を言い値で買おう」

「ありがとうございます。では、書類の準備をいたしますので別室へまいりましょう」

「いいだろう。――マルグリット、彼女のことは任せた」


 青年が部屋の外に向かって言い放つと、ほどなくして落ち着いた雰囲気の女性が部屋に入ってきた、彼女は私のまえに立つと、「もう大丈夫ですよ」と私の手を取った。



 私は訳も分からぬまま、大きな屋敷へと連れて行かれた。門をくぐってほどなく、見えてきた噴水の大きさと、手入れの行き届いた美しさに息を呑む。

 上級貴族の中でも明らかに上位。この国でも有数であろう豪邸、


 呆気にとられているうちにその屋敷の中へと招き入れられる。そしてあれよあれよという間に、マルグリットと呼ばれた女性にお風呂へと入れられた。

 そこで隅から隅まで洗われると、次はアロママッサージで全身を磨き上げられた。商品として買われたはずなのに、まるでお姫様のように扱われているのが逆に怖い。

 私は最高級のドレスを着せられ、最後に美味しいご飯を食べさせられた。


「あ、あの、これはどういう状況なのですか?」


 流されるままだった私は、そこでようやく質問を口にした。


「あら、ようやく口を利いてくれましたね。少しは落ち着きましたか?」

「おかげさまで。それで……これはどういう状況なのでしょう? 私がこの家に買い取られたことは理解しているのですが……」


 奴隷として売られた少女が受ける待遇ではない。


「ノア様は、貴女を娶るおつもりですよ」

「め、娶る、ですか?」

「はい」

「その……愛人とかではなく、ですか?」


 困惑して確認すると、「ノア様はそのような人ではありません」と釘を刺された。マルグリットは笑顔を浮かべているが、その圧が怖い。


「す、すみません。状況がまったく分かっていなくて」

「あら、ではなにも聞いていないのですか?」


 マルグリットが目を丸くする。


「てっきり、売られた先で酷い扱いを受けると覚悟していたので、いまは困惑しています」

「まあっ、それはお可哀想に。では、気になることはなんなりとお尋ねください。わたくしに答えられることなら、すべてお答えいたしますわ」

「あ、ありがとうございます。では、……貴女は?」


 小首を傾げると、マルグリットは破顔した。


「まあまあ、そう言えば名乗ってもいませんでしたね。わたくしはマルグリット。先代のころからこの家にお仕えする侍女でございます」

「あ、どうも、よろしくお願いします。私はイリス。……ただのイリスです」


 家がなくなったことを思い出して少し寂しげに笑う。それに気付いたのか、いないのか、マルグリットは「では次の質問をどうぞ」と微笑んだ。


「では、ノア様というのは、どこのどなたなのでしょう?」

「ノア・セレスティア公爵様でいらっしゃいます」

「こ、公爵様ですか!?」


 予想よりずっと大物が来たと息を呑む。

 どうして、公爵様が私なんかを? 公爵の地位があれば、嫁のなり手なんていくらでもあるでしょ? 彼自身になにか問題があるのかしら?


「そういえば、さっき私を買ったあの方がノア様、なのですか?」

「ええ、その通りです」

「……ですか」


 つまり、美形の公爵様が私を娶るために買ったということよね。

 外見的に嫁のなり手がいない、というのは絶対にあり得ない。17歳の私と比べると、わりと歳上だけど、それも貴族社会じゃ珍しくないレベルだし……理由が分からないわ。

 こんなことなら、もう少し社交界の出来事に耳を傾けてよかった。


 でも、考えても分からないのなら仕方ない。ひとまず、最悪の状況から救われたのは事実だ。だったら、せめてその恩は返そうと、私は静かに覚悟を固めた。

 

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