第2話 ゲットだぜ、安眠の聖地
勇者パーティーを追放されてから、一週間。
私は王都から馬車を乗り継ぎ、ひたすら北へ向かった。
目指すは大陸の北端、未開拓領域に近い『ノルド地方』だ。
この一週間の旅路は、普通の人なら泣き言を漏らすほど過酷なものだっただろう。ガタガタと揺れる安馬車、舗装されていない泥道、そして北へ進むほどに厳しくなる寒さ。
だが、私にとっては快適な旅行でしかなかった。
(ふふ……私が結界を張って文句を言う人はもういない…結界で『振動』と『外気』を遮断すれば、格安馬車も最高級の寝台特急に早変わり。これぞ、『絶対聖域』の正しい使い方ね)
私は馬車の座席で結界をクッション代わりにし、一度も目を覚ますことなく目的地に到着した。
馬車を降りると、そこには見渡す限りの銀世界――とはいかないまでも、寒風吹き荒れる荒野が広がっていた。
土地は痩せ、人は寄り付かず、凶暴な魔物もほとんどいない。
聞こえてくるのは、凍てつく風がヒューヒューと鳴る音だけ。
「……最高。ここなら、アラームなしでいくらでも睡眠ができる」
私は満足げに頷いた。
前世のブラック企業では、アラームが鳴る三十分前に絶望で目が覚めるのが日課だった。あの地獄に比べれば、この静寂は天国に等しい。
リュックからお気に入りの携帯用枕を取り出す。王都の寝具店で「三ヶ月待ち」と言われた最高級品だ。
「よし、まずはお試しで三時間くらい……おやすみ、世界……」
――ズゥゥゥゥン……!
意識がまどろみの淵に沈もうとした瞬間、大地を揺らす地響きがした。
「……っ!? なに、今の……地震?」
眉間に皺を寄せながら目を開ける。
視線の先、いやかなり離れた場所に小さな集落――村が見えた。
視力を強化してやっと見える程の距離。
(こんな辺境に村?それにあれは…)
全長五メートルはある、Aランク指定魔物『レッドベア』。
本来なら南の危険地帯に生息しているはずの怪物が、なぜかこんな北の果てに現れていた。
「……はぁ? なんでこんな辺境にレッドベアがいるのよ」
群れからはぐれたのだろうか。いや、だとしても遠すぎる。数秒考え込むも面倒くさくなって途中で思考を放棄した。
村人たちが鍬や鎌を持って震えているのが見える。
平和な村なのだろう。戦い慣れていないのは一目瞭然だ。
レッドベアが一振りすれば、あの粗末な柵も、村人たちの命も、まとめて紙クズのように引き裂かれるだろう。
「……可哀想だけど、関わるのは面倒だなぁ」
私は枕を抱き直し、背を向けようとした。
私はもう聖女じゃない。勇者パーティーからも「役立たず」と太鼓判を押された身だ。誰かを助ける義務はない。私はもうただの無職だ。
「キャァァァァッ!」
「来るなぁぁッ! 誰か、誰か助けてくれ……!」
風に乗って、村人たちの悲鳴が突き刺さる。
「……ああ、もうっ! うるさいなぁ!」
私は、投げ出すように枕を岩に置いた。
あそこで誰かが殺されたら、その断末魔が耳に残って夢見が悪くなる。
そんな状態で寝ても、睡眠の質が下がるだけだ。
私の『良心』と『安眠欲』が、面倒事に行けと急かしてくる。
「……はぁ。一回だけ。一回だけだからね」
私は重い腰を上げ、村へと歩き出した。
人助けじゃない。これは、今夜の快眠を守るための『防音作業』だ。
村の広場は、まさに地獄絵図の一歩手前だった。粗末な木の柵はすでに破壊されていてレッドベアの侵入を許していた。
「グルルルルァァァァッ!」
先頭のレッドベアが、逃げ遅れた小さな少女に向かって、丸太のような腕を振り上げる。
少女は恐怖で声を失い、ただ目をつむって震えていた。
鋭い爪が、彼女の小さな体を切り裂こうとしたその直前。
私は、少女と熊の間にヌッと割り込んだ。
「ふわぁ……。ねえ、大きな声出さないでくれる? 響くのよ」
ガギィィィィンッ!!
鼓膜を震わせるほど高い金属音が響き渡る。
私の肩の数センチ手前。空中に展開された『不可視の壁』に阻まれて、レッドベアの爪が根元からポッキリと折れていた。
「グ、ル……?」
何が起きたのか分からないといった風に、レッドベアが目を丸くする。
ポカンと開いた口から、粘着質なよだれがダラリと垂れ落ちた。
ポタッ……ジュッ。
私の服に落ちるはずだった液体は、体の表面を薄く覆う結界に触れた瞬間、弾けて蒸発した。
私の髪の毛一本、服の繊維ひとつにさえ、汚れが触れることは許されない。
これが防御力99999の『絶対聖域』の自動防汚機能だ。
「グルルァッ!!」
仲間が傷ついたことに激昂したのか、残りの二頭も同時に襲いかかってきた。
右から噛みつき、左からタックル。
普通なら、鉄板だって紙のようにひしゃげる衝撃。
ドゴォッ! ガキンッ!
だが、私は避けることすらしない。ただ突っ立っているだけ。
私に噛みついた熊は、自分の牙が砕け散る感触に絶叫し、タックルした熊は衝撃がそのまま反射され、自分の肩を脱臼して虚空を舞った。
「……ふ、え?」
私の背後で、少女が震える声で私を見上げた。
「お、お姉ちゃん……な、何者……?」
「んー……通りすがりの、引きこもり志願者?」
私は戦意を喪失してガタガタと震え出したレッドベアたちに、めんどくさそうに手を振った。
「ねえ、君たち。ここ、私の寝床の近くなの。あんまり騒がないでくれるかな?」
殺気も何もない、ただの「苦情」。
しかし、本能で『この女は存在そのものが災害だ』と悟った魔物たちは、折れた爪を抱えて脱兎のごとく森へと逃げ帰っていった。
あとに残されたのは、静寂と、呆然とする村人たち。
「……よし、静かになった。さてと」
私は満足げに頷くと、一番平らそうな地面を選んで、そのままゴロンと横になった。
やっぱり、さっきの岩場よりここの方が寝心地が良さそうだ。
「じゃ、おやすみなさーい」
「えっ、ここで寝るんですか!?」
「ちょ、待ってくれ! あんた、一体何者なんだ!?」
「…。聖女様だ! 伝説の聖女様が現れたぞー!!」
「……うるさい」
外が騒がしいので、私は無意識に『防音結界』を展開した。
私は、今度こそ深い、深い眠りに落ちていく。
目覚めた時、私の周りに立派な『神殿』が建ち始めているとは、この時の私は夢にも思わないのであった…。
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