第6話 弱くても、守ること




風が、妙だった。


丘の上を吹き抜ける春風は、いつもなら柔らかく草を揺らすだけだ。


それが今は、途中で引っかかるように、流れが途切れている。


「……エリオ?」


魔力に意識を向けた瞬間、背筋に薄く寒気が走った。


空気が、わずかに濁っている。


(……いる)


子供たちの笑い声の向こう。


木々が重なり合う影の奥から、異物感のある気配が滲み出していた。


「みんな、静かに」


俺の声に、ヘレナと子供たちが一斉に口をつぐむ。


ざわついていた空気が、嘘のように止まった。


「エ、エリオ……?」


「いいから。絶対に動くな」


魔力の揺れは、はっきりしてきている。

人間じゃない。ただの獣でもない。


……本で読んだことがある、


――魔獣だ。


(村のこんな近くに出るなんて……)


木陰が、揺れた。


枝が折れる音。

低く、湿った呼吸音。


次の瞬間、茂みを押しのけるようにして、

それは姿を現した。


「……っ」


子供たちの数倍はある巨体。

分厚い体毛に覆われた胴体、地面を抉る爪。

知性を感じさせない、ただ獲物を見据える赤い眼


(……やばいな、実物は違うってか……?)


喉が、乾く。


勝てない。

直感で、そう分かった。


「エリオ……あれ、なに……?」


「――後ろに下がれ」


俺は一歩、前に出た。


子供たちと、魔獣の間に立つ。

足が震えそうになるのを、無理やり抑え込む。


(考えろ……今ある力で何ができる?)


必要なのは、

時間と、距離。


掌に、意識を集中する。


「……風留ウィンド


いつでも低位魔法に派生できるよう、常に風留ウィンドを発生させる。


魔獣が、唸り声を上げた。


――来る。


俺は息を吸い、視線を逸らさない。



魔獣は低く唸り、地面を蹴った。


一歩。

それだけで距離が一気に詰まる。


(速い……!)


「――風矢ウィンドアロー!」


横に誘導する様に避け、掌を魔獣へ向ける。


詠唱と同時に、風の矢を数本放つ。

狙いは脚。動きを止めるための牽制だ。


風矢は魔獣の前脚に命中し、体毛を裂いた。

血が飛び、魔獣が一瞬だけ足を止める。


――効いてる。


だが、次の瞬間。


「ギャァァァ――!」


怒りの咆哮とともに、魔獣は再び突進してきた。

止まらない。

止まる気配すらない。


(浅い……!森への被害も考えていたが使った方が良さそうだな)


風留ウィンドを一時的に解除、そして火発ファイアを右手に発動、それを元に魔法を試す。


「っ……火矢ファイアアロー!」


今度は炎だ。

燃え広がるより、瞬間的な痛みを与えるため、目元を狙う。


矢は命中し、火花が散る。

魔獣が顔を振り、苛立ったように地面を引っ掻いた。


効いている。

確かに、効いてはいる。


(でも――倒れない)


体力が違う。

膂力も、耐久も。


俺の魔法は、“攻撃”にはなっても、“決定打”にならない。それに対してこっちは一撃貰えば致命傷だ。


「――風切ウィンドカット!」


何度か横薙ぎに放った風の刃で、木の幹を切り裂く。


土と木片が舞い、魔獣に対して倒れた。


それを避けるため体勢が崩れた、その瞬間。


火球ファイアボール!」


圧縮した火の塊を、胴体へ叩き込む。


――直撃。


爆ぜる炎。

焦げた臭い。


魔獣の巨体が、わずかに後退した。


「……っ!」


一瞬、期待しかけてしまった。


だが――


魔獣は、倒れない。


焼けた体毛の下から、赤黒い皮膚が覗くだけ。

怒りに満ちた目が、俺を捉えて離さない。


(……だめだ)


胸が、ひどく重くなる。


魔力の流れが、少しずつ乱れている。

呼吸も荒い。


(これ以上、火力を上げる魔法は――)


使えない。

俺にはまだ、中位魔法も無ければ戦闘型汎用魔法も使えない。


……今の俺の手札ではこいつを倒せない


「……くそっ」


魔獣が、再び突っ込んでくる。


「――風撃ウィンドブレイク!」


正面から風の衝撃を叩きつける。

顔面を狙い、体勢を崩すためだけに集中した。


魔獣の頭が横に振られ、巨体がよろめく。


今だ。


「ヘレナ!」


俺は振り返らずに叫んだ。


「みんなを連れて、村へ戻れ!」


「え……!? で、でも――!」


「早く!」


声が、自然と強くなる。


(ここから先は――勝負じゃない)


足止めだ。

時間稼ぎだ。


助けが来るまでの、ヘレナたちが逃げるまでの、、、


そして俺が生き残るための時間をっ!



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