私の名前を心に刻んで


 思い出すのは、自分が初めての死を体験した、あの一夜だった。

 生気の無い瞳、客観視しすぎた視点、絶技とも妙技とも当てはまらない剣技の極地を目の当たりにした。

 どんな、過去を歩めば、貴様はそうなったのだ?


 だから、聞いた。


「名を名乗れ」

  名を聞かれるとは思わなかったのか、勇者は目を見開いて、驚愕の表情のままボソリと吐き出した。

「アルス・・・。ローウェン」

「ふむ、長いな。だがわかった、覚えておこう」

 その名をしっかり刻み、終わりを迎える準備は整っていた。

 しかし、アルス・ローウェンと名乗った勇者は、強大な悪である魔王を封印する事はなかった。

 なぜ、と問えば。

「話をしないか?」

 全くもって、変なやつだ。

 そして、また変な事を言い出した。

「俺が、この60年。魔王として生きてもいいか?」

「・・・くふ、くははは、ふははははははッッッ」

 静寂だった空間が、魔王の一笑いで崩れ去る。

 それでも、勇者は笑う事なく、力の無い瞳で魔王を見つめているだけだった。

「やらん、魔王は我だ」

「・・・だよな」

 意外にも、アルスはあっさりと身を引いた。

 自分が馬鹿な事を言っていると自覚はあったのか、自分で自分を嗤った。

「どうして、お前は魔王なんだ?」

「なぜ、貴様は勇者なんだ」

「俺が聞いてる」

「言え」

 勝者はアルスで、敗者は魔王なのに、何故だか立場は一転している。

 それなのに、素直にアルスは口を開いた。

「みんなに、そう呼ばれただけ」

「奇遇だな、我もだ」

「え?」

 アルスの表情が、初めて変化した。

 戦いの最中、痛みにですら反応を示さなかったアルスが、初めて感情を見せた。

「我が魔王だと名乗ったことは、一度もない。貴様と同じで、人間によって作られた称号だ」

「・・・なんだよ、それ」

 アルスは、辛そうに手を握って、行き場の無い力を発散させる。

 誰にあたればいいのかも、彼にはわからない。

「何故、魔王になりたいと思った?」

「・・・わからない」

 魔王の問いは、純粋な好奇心でしかなかった。

 それに憤る訳でもなく、アルスはただ、わからない。と答えた。

「わからないんだ・・・。俺は、何をしてきたんだ」


 ただ、世界を歩くのが好きだった。

 剣を持って、僅かな路銀で、美しい大地を歩くのが好きだった。

 町や村に訪れ、困っている人を助けて


 魔物を殺して


 お金をもらって、また旅立つ。

 アルスにとって、この循環が尊いもので、自分の世界になっていった。

 色んな世界を見た、色んな、戦争を見た。


「勇者アルス!!我が国に助力に来てくれたのか!」

「──ぇ」

「アルス殿!!まさか、そちらに寝返るのか!?」

「なに、いって──」


 正義と正義を図る天秤は、いつもアルスだった。


「勇者アルス、お前はレヴァーティアに加担した罪で、ソルガラックの入国を禁止する」


 世界が、閉じるんだ。

 どちらかに傾けば、世界は狭まっていくんだ。


「レヴァーティアは無断でこちらの領土に畑を作ったんだ!」

「ソルガラックの魔法文化と歴史は魔物の人生そのものだ。一刻も早く、滅ぼすべきだ」


 ・・・そんな理由で?



「見て見て!アルス様、狼角の子供だよ!」

「いや、魔物だぞ」

 ある村の、本当に名前もない村に訪れた事があった。

 自分の揺れ続ける価値観を癒すには、十分な程の静かな村だった。

 その時にはもう、世界を歩くのが・・・少し疲れていた。

「俺、こいつと一緒にでかくなんだ!いいでしょ」

「・・・そうだな」

 共に成長できるのは、いい事だ。

 魔物だけど、育て方を間違わなければ永遠の友になる。


「ア、アルス様!こ、この魔物が──!!俺の息子を・・・。食ったんだ!!」

「がぅっ!がぅっ」

「殺してくれ!!頼む!!殺して、くれ・・・!!」


 ・・・どうして、そうなる?


「勇者アルスよ、ソルガラックとの戦争に。お主の力を貸して欲しい」

「俺は──」

「ソルガラックは魔物を調教し、こちらに戦争を仕掛けるつもりだ、そこにあなた程の実力者が必要なのだ」


 俺は、少し重ための剣が好きだった。降るときに、力と感覚が乗りやすいから


「来たぞ!!くそ!!レヴァーティアめ!!噂通り、勇者を連れている!!」

「化け物め!!皆、怯むなぁ!!!」

 大勢の殺意と、大地を揺るがす絶叫が、全て俺に向けられている。


「ぐぁ、ま、まって──!!」

 飛び散る血飛沫、懇願する瞳。

「きゅ、ぎゃぇぁぇぇ!!」

 飼い主を思い出す、魔物の一声。


「流石、勇者アルスだ!貴方がいなければ・・・え?」

「な、なにを!!」


 天秤が抱えるには、どちらの比重も重過ぎた。



「軽いんだ・・・。魔王」

 アルスは涙を流し、膝むいていた。

 勝者とは思えない、無様に、滑稽に、壊れていく自分を嘲笑う。

「軽くなっていく度に、俺は・・・ッ!!」

「くだらん」

 魔王は立ち上がる事が出来ない、いかんせん、もはや身体は消え掛かっている。

「善という名の海に溺れ、浮かび上がった水死体が今の貴様だ」

「は、ぁ、あぁ・・・そ、のとおりだ」

「今まできっと、勝利の美酒に喜べなかったのだろう」

 栄光の階段を登っているのではなく、無数の死体の上に立っている事に、アルスは気づいてしまった。

「くだらんよ、とても」

 魔王は、ため息を吐いてアルスを容赦なく一蹴した。

 嘲笑と、そんなものを自分が理解出来るわけがないと

「世界を壊すのは、魔王ではない。人間だ」



 鏡が、割れる──。

 地下室が、静寂と暗闇に包まれる。

 肌に感じるほどの冷たさ、圧力が加わったかの様に重くなる身体。


 ──魔王の復活である。

「ふむ、なるほど。こんなものか」

 魔王は自分の手足を動かして、感触を確かめる、背丈は低い、長い黒髪が靡く、顔は完全にセナと瓜二つだ。

「[曇りなき真実を写す鏡ラカオニア・ミラー]よい魔法だ、気に入った」

 口元だけを釣り上げて、魔王は微笑んだ、面白い玩具を手に入れたかの様に。

「では、話の続きをしよう。我を封印するのだろう?

ホワイトデイよ」

 魔王の足元に、魔法陣が生成される。

 そこから生えてきたのは、どこか荘厳で派手な装飾が成された玉座、60年ぶりの慣れ親しんだ椅子に座って、改めて魔王は実体を持てたのだと理解する。

 

「まさか、ここまでとは・・・」

 ホワイトデイは、理解する。

 目の前の存在に、自分は、どうやっても勝てない──。

「どうした?封印するにはまず、我を殺さなければいかんぞ?」

 頬杖をつきながら、純白の魔女を挑発する。

 ホワイトデイの頭の中で、様々な展開が形成されていく。

「・・・正直、驚きました。はっきり言って、私が勝つ未来が見えませんね」

「ふははは、魔法使いらしからぬ発言だ。我を封印したいのなら、そう妄信せねばな」

「ま、魔王・・・だよね?」

 セナは、不安だった。

 目の前にいるのが、あの魔王なのか、厳しいながらも、自身をここまで導いた、あの魔王なのか。

「ああ。セナよ、改めて自己紹介をしようか」

 深々と座ったまま、足を組んで、セナに視線を移す。

「我は魔王、この世の頂点。唯一無二の存在だ」

 表情は変わらない、それでも、確かに目の前にいるのはあの黒い魂だと、セナは認識する。

 姿こそ完全に、全くもってセナ本人だが、あの偉そうな喋り方は魔王だった。

「して、ホワイトデイよ。どうする、あまり時間が無いだろう?」

「──っ、やはり、魔力が足りませんでしたか」

「ああ」

 一瞬の静寂、辺り一体を包んでいた暗闇は晴れているが、身体にのしかかる圧力は以前そのまま。

「ホ、ホワイトデイさ──」


「[射てさす氷槍フィブル・リザード]」

 セナの静止なんて聞かずに、魔法を容赦なく展開する。

 それは、魔王の周りに数々と広がっていき、やがて。

「魔王──ッッ!!」

 無数の氷の槍となって、魔王を射殺さんと射質される。

 けれど、魔王は動かない。

 

「[破戒の叡智ア=クタ]」

 氷の槍達は、空中に止まり、一瞬にして粉々に砕け散る。

 パラパラと、輝きを放つ氷の粒達が魔力になって霧散していく。

 固唾を飲むセナ、魔法使い同士の戦いを見るのは初めての事だった。

 こんなに、綺麗な戦いがあるのか。

「魔力の法典、第一冊、九四項目目。[破戒の叡智ア=クタ]。魔法の術式を解答して、反転させた魔術理論と──」

「魔法陣の内容を不可解にして、世界から消す・・・」

「ほう、よく分かっているな?ホワイトデイよ」

 拍手を送られる、それを聞いて、ホワイトデイはただ不快そうに顔を歪めている。

「や、やめてっ。ホワイトデイさん、魔王は悪い人じゃない──!」

「それは私が決めます」

 とは言っても、自身の魔法が破戒されるなら、もはや持ち得る全ての手札は、ただの紙切れ当然になった。

「・・・なぜ」

「ん?」

「あなたは生きているんですか?」

 ホワイトデイの言葉に、セナは驚く。

 なぜ、なぜと問う、生き物が生きている事を何故と問う

「何故・・・か。そうだな」

 目を閉じる、あの時見た、60年前の最後の光景。



「どうすればいい・・・俺は、自分の生き方がわからないんだ──ッ」

 路頭に迷った子供の様に、アルスは声を上げて泣いた。

 それが、この世の真理に気づき、汚い世界を見つけてしまった、愚者の末路。

「喜べ」

「──ぇ」

「我に勝った自分を誇れ」

 魔王の表情は、とても強い意志を感じた。

 これは、慰めでもなんでもない、優しさでもないアルスに喝を入れる言葉でもない。

 ただの、問いへの解答だった。

「酔い方を知れ、失った物を知り、得た物を見つめろ」

「で、出来るわけないだろ・・・」

「出来なければいけない。貴様は勇者だ」

「・・・ッ」

 魔王の身体は、もはや完全に消滅していると言っていい。

 それでも、自分を打ち負かした人間が、泣いているのが気に入らなかった。

「お前は平和の付随物ではない、平和がお前の付随物なのだ」

「ま、待ってくれ!!待ってくれ魔王!!わからない!!ど、どうすればいいんだ!!!」

「知るか、まぁ、精々・・・何かを残すんだな」

 ──60年後が、楽しみだ。



 もう、とうに答えは得ている。

「アルスがあなたを封印せずに、どうして生かしたのですか?」

 ホワイトデイの声が、僅かだが揺れる。

 小さな新芽の様に、小さく、揺らいだ。

「再び出会うためだ」

「──!」

 魔王は立ち上がる、そして、翼もないのに、魂の時みたく、浮いた。

 何かを受け入れるように、両手を広げて、楽しそうに笑いながら。

「1000年の中で、ここまで面白い人間を見たのは初めてだった!我は、アルス・ローウェンを認め、己の好敵手と認めた」

「ローウェン・・・?」

 セナがその名前に引っかかりながらも、魔王は演説かの如く、続ける。

「好敵手というのは、再び巡り合い、競い合う存在だ。勇者アルスは、月でも太陽でもない、たかが人間だ!!」

 高揚している。

 無限と錯覚する時間、けれどアルスはそんなものを簡単に飛び越えた。

「ならば!!我に出来ないはずが無い!!なぜか!?我は魔王で悪魔だからだっ!!」

「・・・勇者アルスは──」

「さぁ!!アルスを呼べ!!老耄になっているだろうが、あいつはそれすら超えてみせるだろう!!」

 焦がれた人間との邂逅で、魔王はかつて無いほどの興奮を覚えている。

 けれど、告げられた言葉は、残酷なものだった。


「アルス・ローウェンは・・・死にました」

 魔王の熱は、ホワイトデイの言葉で冷める事になる。

 純白の魔女ですら気づかなかった、隠し持っていた切り札。

 ──勇者アルスの死。

「・・・そうか、死んだか。あいつは」

 広げていた両手を下げて、静かにホワイトデイとセナを見つめる。

 その言葉は、寂しさなのかは、誰にもわからない。

 魔王ですら、わからない。


「ま、待って──!!」

「なんだ、セナよ」

 ここで、セナが口を開いた。

 氷で身体は冷えているはずなのに、そんなもの関係ないと言ったふうに、声を大きくして、2人に、問いかけたかった。

「ゆ、勇者の、名前・・・アルス・ローウェン、なの?」

「そうだ、忘れるはずが無い」

「そうです、今から約60年前に、魔王を討った勇者の名前は、アルス・ローウェン」

 魔王を討ち果たし、当然、世から消え去った伝説。

 彼を讃えるものは少なく、剣の亡霊、武力に囚われた狂人と民は覚えている。


 セナは、知らない、ずっと。


 何も知らない少女だった。


「わ、私が出会ったおじいさんの名前は・・・」

 魔王は理解した、どうしてセナと自分の魂が繋がれたのか、どうしてあの時セナが目の前にいたのか

「アルス・ローウェン・・・」

「え──っ!?」

「なんと・・・」



 おじいさんが、自分の元から消え去る前の日。

 2人でいつも通り、小さなパンに齧り付きながら、冷めた風に当てられた、あの日。

「そういえば、君の名を聞いてなかったな」

「ないよ。あったんだろうけど、知らない」

「それは・・・不便だな。そうだな」

 おじいさんは、ひとつ考えて、思いついたかの様にそれをくれた。

「セナ、セナはどうだ?」

「・・・別に、いいけど。それって、どこから取ったの?」

「ほっほっ、俺の好きな冒険譚でな。旅をするきっかけになった、本の主人公の名前だ」

「そう、なんだ。うん、わかった。私はセナ」

「ああ、それと・・・もうひとつ」

「ん?」

 その手は凄くしわくちゃで、剣を沢山振っていた剣士の手だった。

 冷たくて、撫で方も下手くそで、それでも・・・。

「ローウェン。君は今日から、セナ・ローウェンと名乗りなさい」

「き、貴族になっちゃうよ」

「所詮は名だ・・・。いいか?君が、信用出来ると信じた人間にだけ、全ての事を言うんだよ?」


 ──いつか、君を導く流星になるからね。



 魔王は・・・また笑った

「ふ、ふはははははははっっっ!!!なんだそれは!!」

 面白くて、可笑しくて、奇妙で、くだらない。

 けれど、とても。


 美しい。

 

「私の名前は、セナ・ローウェン──」

 残したのだ、あの勇者は。

 最後に、人間になって、水死体だった自分の身体を小魚に食わせたのだ、そして途方もない海の一部になった。


「勇者アルスの・・・1番弟子ッ」


 この繋がりは、奇跡なんかではない。


 魔法の様に、出来上がった願いだった。

 

 

 

 


 

 






 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る