5 入会完了

 「……確定申告に、異種族控除、ね」

 鎌切蓮と名乗った少女が吐き出した、あまりに切実で、そして世俗的な悩みに、澪先輩が肉食獣のような鋭い笑みを浮かべた。


「それなら私の専門分野よ。政治経済学部の二年生として、妖怪が人間社会の複雑な税制をどうハックすべきか、たっぷりと教えてあげられるけれど……」

「マジ? ……あ、でも、お金かかる? 今、新しいデバイス買っちゃったからあまり余裕ないんだけど」


 蓮は少しだけ不安そうに、首にかけたヘッドセットのコードを弄った。妖怪といえど、現代のガジェット好きは金欠と隣り合わせらしい。そんな彼女に対し、澪先輩は慈悲深い(ように見える)聖母の微笑みを向けた。


「お金なんていらないわ。代わりに、このサークルに入りなさい。名前を書くだけで、貴女の『収益』を合法的に守るノウハウを伝授してあげる。……悪い話じゃないでしょ?」


 これぞ、名門・瑞原大学の交渉術。澪先輩の淀みのない勧誘に、蓮は「……チッ、搦手かよ。まあ、背に腹は代えられないけど」と、意外にもあっさりと白旗を上げた。

 そんな中、鬼龍院会長が蓮のパーカーのポケットから覗く、最新型の携帯ゲーム機に目を留めた。


「ほう。君は『プロゲーマー』として活動しているのか。現代の妖怪らしい、実に見事な生存戦略だ」


 会長は、威圧感を微塵も感じさせない穏やかな声でおだてるように言った。その瞳には、新世代の技術に対する純粋な好奇心が宿っている。


「失礼だが、プロの妙技というものを一度拝見させてもらえないかな? 現代妖怪の生活を研究する我がサークルとしても、非常に興味深い資料になると思うんだ」

「……えー。資料とか、堅苦しいのは勘弁。……まあ、見せるだけならいいけど。でも、ウチのゲームは対戦型だよ。相手がいないと、ただの指の運動だし。あんまり映えないよ」


 蓮は気だるげにデバイスを取り出したが、周囲を見渡して鼻を鳴らした。


「悪いけど、素人相手じゃ練習にもならないから。やるなら一人でトレーニングモードを回すよ」


 その言葉に、ピクリと反応した者がいた。


「聞き捨てなりませんわね! わたくしを誰だと思っておいでですの!? 名門・伏見家の令嬢にして、翔様のパートナー(自称)たる、このわたくしを!」


 葛葉さんが、飲みかけのジュースのコップを机に叩きつけて立ち上がった。無駄に沸点が低い。というか、名門の令嬢ならなおさらゲームなんて縁遠いはずだ。相手の言ってることが百パーセント正しいとしか思えないが、彼女の狐耳は怒りでピンと逆立っている。


「素人ですって? 失礼しちゃいますわ! わたくし、幼少の頃からあらゆる知的遊戯を嗜んできましたのよ! 翔様の前で無様に負ける姿などお見せできませんわ。お相手いたしましょう!」

「……はぁ。じゃあ、サクッと終わらせるから。泣かないでね」


 なし崩し的に始まったゲーム対決。鬼龍院会長が「やれやれ」と苦笑しながら、お徳用のポテトチップスをボクたちの間に置く。サクサクという乾いた音が、妙な緊張感を演出していた。

 だが、蓮の言葉は決してハッタリではなかった。


「あ、あれ!? ちょっと、何が起きてますの!? わたくしのキャラが、まだ一歩も歩いていないのに――!?」


 ゲーム開始からわずか五秒。画面の中の葛葉さんのキャラは、蓮が操る鎌鼬の如き超高速コンボの前に、成す術もなく吹き飛ばされ、空中で踊らされていた。


「ひ、ひどいですわ! わたくし、ボタンを必死に連打していただけなのに!」

「……連打で勝てるのは幼稚園まで。お前、フレーム単位の攻防を舐めてんの?」


 蓮が欠伸をしながら、今度はボクを見た。


「次、そこに座ってる銀髪。お前もやる? ……プロに挑む勇気があるなら、だけど」

「ボクは……」


 隣で葛葉さんが「翔様、仇(かたき)を取ってくださいまし!」とボクの肩を激しく揺すってくる。さらに、先ほどから静かに見守っている鬼龍院会長の視線も、どこか楽しげだ。

 まあ、負けても恥ではないだろう。相手はプロだ。なら一度ぐらい、今の自分の力を試してみるか。


「……やり方は、葛葉さんのプレイを見ていてなんとなく分かったよ。一回だけなら、付き合う」


 ボクは慣れない手つきでコントローラーを握った。

 正直、ゲームなんて小さい頃に少し触った程度だ。だが、画面の中のキャラが構えた瞬間、ボクの脳内の『武道家の領域』が、勝手に世界を解析し始めた。


(……この立ち位置。間合いを詰める前の、わずかな『予備動作』)


 ――レバーを後ろへ。

 蓮のキャラが放った神速の連撃を、ボクのキャラがミリ単位の回避で受け流す。


「……え?」


 蓮の目が、初めてゲーム画面に釘付けになった。

 ボクは、かつて畳の上で培った『後の先』を画面の中に投影していた。相手の攻撃が届く直前、その力のベクトルが確定した瞬間に、最小限の動きで死線を潜り抜ける。

 生き返った今のボクの反射神経は、かつて柔道に明け暮れていた頃を遥かに凌駕するほど鋭敏になっていた。


「……そこだ」


 相手の大技の硬直。ボクは一番重い一撃のボタンを叩き込んだ。

 画面の中で鮮やかなカウンターが決まり、蓮のキャラの体力が大きく削られる。


「マジかよ……! お前、今のジャストガードしたのか!? これ、先行入力のタイミング、数フレームだぞ!?」

「いや、ただの勘だよ。……相手が次に何をしたいのか、なんとなく分かっただけだ」

「それを『勘』で済ませるなよ! お前、やっぱりバグってる……!」


 結局、最後は蓮のプロ級のコンボに押し切られたが、結果はあわや逆転かという大接戦だった。

 蓮は額に浮かんだ薄い汗を拭い、ヘッドセットを首にかけ直すと、初めてボクのことを真っ直ぐに見た。


「……鈴木翔。お前、気に入った。ウチの対戦相手として合格だよ。……絶対、サークルに入るべきだよ」

「いや、ボクはゲーム目的でここに来たんじゃ……」

「翔様! わたくしも入るんですから、翔様も入ってくださいまし!!」


 葛葉さんがいつの間にか蓮の肩を組み、勝手に盛り上がっている。当の蓮も「チッ、馴れ馴れしいな……まあ、お前はカモとして優秀だからいいけど」と、毒づきながらも葛葉を邪険にはしない。

 騒がしくなった中庭で、澪先輩が満足げに入部届の束をパチンと叩いた。


「決まりね! これで、剛毅、私、翔くん、葛葉、そして蓮ちゃん。合計五人!」


 澪先輩は、春の陽光よりも眩しい笑顔で鬼龍院会長を見た。


「剛毅! これでようやく、今年は大学当局に『正式なサークル』として申請できるわよ! 予算も降りるし、念願の専用部室も借りられるわ!」

「ああ。長かったな、澪。……これもすべて、鈴木くん、君たちが運命に導かれてここへ来てくれたおかげだ」


 鬼龍院先輩が、ボクたちの頭を代わる代わる撫でる。

 その大きな手のひらの温かさに、ボクは小さくため息を吐き出した。

 そもそも入ると言っていないのだが、もう断りがたい雰囲気だ。まあ、鬼龍院先輩を立てて応じるしかないか。


(……普通の大学生ライフ。……うん、もうその単語は辞書から消した方がいいかもしれない)


 ボクは自分に訪れた急転直下の日常に黄昏ながら、膝の上の猫を撫でるしかできなかった。猫の喉を鳴らす音だけが、唯一の現実味を帯びていた。

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