3 猫と狐と鬼と花見

 「現代妖怪研究会」の活動内容は、ボクや葛葉が想像していたものとは決定的に違っているようだった。

 だが、そんな戸惑いを引き裂くように、ドスンドスンと空気を震わせる重い足音が近づいてきた。


「お待たせ。……おや、澪。新人を捕まえたのか」


 旧校舎の影から現れたその巨躯に、ボクは脊髄が凍るような錯覚を覚えた。

 デカい。とにかく、デカい。

 一年前まで一八〇センチ、一〇〇キロを超えていたボクよりも、さらに一回り、いや二回りは巨大だ。仕立ての良い三つ揃えのスーツを窮屈そうに着こなした男の頭上には、磨き上げられた黒檀のような二本の角が天を突いている。

 だが、その威圧的な外見に反して、両手には『瑞原スーパー』のレジ袋がパンパンに提げられていた。中から覗いているのは、オレンジジュースのボトルとお徳用のポテトチップスだ。


「紹介するわ。現妖研の会長、鬼龍院(きりゅういん)先輩よ」

「鬼龍院だ。法学部の三年でこのサークルの会長を務めている。……驚かせてしまったかな?」


 鬼龍院先輩は、ボクたちの前で丁寧に一礼した。所作には微塵も粗野なところがない。むしろ、その巨体から滲み出る落ち着きは、徳の高い僧侶のようでもあった。


「新入生歓迎といえば、やはり花見だろうと思ってね。準備をしてきたんだが……。澪、今年の新入生は彼らだけか?」

「ええ。今のところはこの二人だけ。……というわけで、なし崩しだけど鈴木さん、花見に参加していかない?」

「え? 私は?」

「葛葉は参加強制よ。当たり前じゃない」


「そんな横暴なー!」と情けない声を上げる葛葉を、澪先輩がひょいと首根っこを掴むようにして捕まえる。

 仲の良い二人のやり取りを眺めつつ、さてボクはどうするかと一瞬悩む。だが、ボクの足元にはいつの間にか十数匹の猫たちが集まり、「はやく座れ」と言わんばかりにボクの脚に体を擦り付けていた。

 ……猫がいるなら、まあ、いいか。


「……分かりました。お邪魔します」

「翔様もいっしょ! うれしいですわ!!」


 満開の古桜の下。鬼龍院先輩が大きな手で器用にブルーシートを広げると、ボクたちはそこに腰を下ろした。

 コップに注がれたオレンジジュースで、まずは乾杯。瑞原大学の入学初日を祝う宴が、なし崩し的に始まった。


「さて、改めて自己紹介といこうか。先ほど名乗ったが私は鬼龍院剛毅(ごうき)。法学部の三年生でここの会長をしている。まあ会長といっても、現在のメンバーは私と澪の二人だけなんだがな」


 鬼龍院先輩が、ボクの目線に合わせて少し腰を屈めながら丁寧に自己紹介をする。

 やはり見た目に反して非常に紳士的だ。美人な澪先輩で見慣れているからかもしれないが、ボクのような不自然な銀髪の小娘に対しても、不躾な視線を一切向けてこないのは高評価である。

 続いて、澪先輩が猫を膝に乗せたまま口を開いた。


「猫村澪よ。澪とでも呼んでちょうだい。政経学部の二年生。将来の夢は政治家よ」

「澪ちゃんすごい!!」

「そっちの葛葉とは幼馴染でもあるわ。よろしくね、翔くん」


 そう言って澪先輩は葛葉を促す。


「伏見葛葉です! 法学部の一年生で、翔様のお嫁さんですわ!」

「いや違うから」

「あら、では翔様がお嫁さんで、わたくしがお婿さんですか?」

「方向性の問題じゃないから」


 なんでこの子は、こうも盲目的にボクを慕ってくるのだろうか。

 そもそも同性だし、美少女とはいえ初対面でここまでグイグイ来られると生物としての恐怖が先に立つ。

 ボクの腰が引けているのを察したのか、澪先輩が葛葉の頭を軽く小突いた。


「こら、葛葉。いい加減にしなさい」

「だって澪ちゃん……!」

「あとで『翔ちゃん攻略戦略』を一緒に考えてあげるから。ね?」

「……約束ですわよ?」


 なんだ戦略って。不吉な密約をボクの目の前で交わさないでほしい。

 そうして、いよいよボクの番が回ってきた。

 さてどこまで話すか。一瞬躊躇したが、ここにいる規格外な人たちなら、ボクの身に起きた不条理も理解してくれるだろう。

 膝に乗っていた三毛猫が、促すように「ニャー」と鳴いた。


 ボクは、一年前まで鬼龍院会長と同じくらいガタイのいい男性だったこと。龍災に巻き込まれ、妖怪の治療によって命を繋ぎ止めたこと。その代償として、性別も外見も、人生のすべてがひっくり返ってしまったことを淡々と話した。


「……別に不幸だとは思っていないですが、いろいろ不自由や不慣れが多くて、正直困っているんです」


 話し終えると、辺りは一瞬、静まり返った。

 鬼龍院先輩は深く頷き、その巨大な瞳に慈しみのような光を宿した。


「そうか。……大変な苦労をしたのだな。私ができることなら何でも手伝おう。法律の面でも、身体的な相談でもね」


 鬼龍院先輩のその言葉には、不思議と重みがあった。彼のような巨躯の持ち主にそう言ってもらえると、少しだけ肩の荷が下りるような気がする。


「翔様ぁ……! そんな過酷な過去があったなんて、わたくし、ますます翔様を守りたくなりましたわ! わたくしが! わたくしが何でもして差し上げますわ!!」


 葛葉が涙を浮かべて抱きついてくる。……こちらには頼もしさなど微塵も感じない。貞操の危機しか感じない。あと、どさくさに紛れてボクの胸の弾力を確かめるようなマネはやめてほしい。

 

 一方で、澪先輩はと言えば、いつの間にか『マタタビ酒』と物騒なラベルの貼られた怪しい小瓶を空けていた。


「にゃっははは! すごいじゃない! 元・巨漢の柔道家が、こんな銀髪美少女になっちゃうなんて! 人生、何が起こるか分からにゃいわね!」

「……澪先輩、笑いすぎですよ」

「いいじゃない! 翔くん、これからは私が『女性としての楽しみ』をたーっぷり教えてあげるから! まずはその、お堅いガードから崩していこうか?」


 澪先輩は顔を真っ赤にして、ボクの肩をバシバシ叩いてくる。どうやらこの猫又、酒癖が悪いらしい。というか、酒。飲んでもいいのだろうか?


「……あの、会長。お酒って、20歳までダメなのでは?」

「ああ。妖怪特例法も飲酒制限が一部緩和されてるんだ。妖怪は18歳以上なら現行法上は合法だよ。……推奨はしないがな」


 鬼龍院会長が、法学部かつ現代妖怪研究会らしい的確なフォローを入れてくれた。

 そんなやり取りを尻目に、葛葉がどこから取り出したのか、自分も別の酒瓶を片手に鼻息を荒くした。鬼龍院会長の袋にはジュースしかなかったはずなのだが、どこに隠し持っていたのか。


「澪ちゃん、お言葉ですが、翔様に女性のことを教えるのは、このわたくしの役目ですわ! 翔様、まずはわたくしと一緒に下着を買いに行きませんか? 翔様の身体に合った、最高に尊い一着を――」

「結構だ。……あと、顔が近い、葛葉さん!」


 ボクは自分に引っ付こうとする葛葉の顔面を、右手の平で雑に押し返す。

 葛葉は「ああん、突き放されるのも乙ですわぁ!」と悶えながら、ビニールシートの上をごろごろと転がった。……やはり貞操の危機だ。この子、お嬢様っぽいくせに行動が極端すぎる。


 ふと、視線を隣に向けると、さらに衝撃的な光景が飛び込んできた。

 あんなに理知的だった澪先輩が、鬼龍院先輩の逞しい太ももの上に、自分の頭をごろりと乗せていたのだ。


「……ちょっとぉ、剛毅ぃ。お酒、足りないにゃ……」

「澪、少し飲みすぎだぞ。……すまないね、鈴木くん。彼女、酔うとこうなるんだ」


 そう言いながら、鬼龍院先輩は慣れた手つきで澪先輩の頭を優しく撫でている。その大きな手と、澪先輩の幸せそうな顔。

 ……どう見ても、ただのサークルメンバーの距離感じゃない。


「あの……お二人は、その。……お付き合いされているんですか?」


 ボクの問いに、鬼龍院先輩は「ああ、言ってなかったかね」と、照れる様子もなく頷いた。


「もう半年になるかな。彼女とは、このサークルで出会ってね」

「な、にぃぃぃぃですってぇぇぇ!!!」


 驚愕の咆哮を上げたのは、葛葉だった。

 彼女は跳ね起きて、ボクの手を再びギュッと握りしめる。


「澪ちゃんと鬼龍院先輩が……リア充ですって!? ああ、なんてこと! 身近に最高のサンプルがあるではありませんか!」

「……サンプル?」

「翔様! これは天の啓示ですわ! 先輩たちがそうなら、わたくしたちもペアとして活動するのが『現妖研』の伝統というもの! さあ、翔様、今すぐわたくしのお膝に頭を乗せてくださいまし! お礼にわたくしが、極上の耳かきを――!」

「伝統を勝手に捏造すんな! ほら、引っ付くな!」


 ボクは再び葛葉を引っぺがす。

 一人は鬼の膝で眠り、一人は狐に追い回され、一人はそれを見ながらジュースを飲む。

 桜の花びらが舞う中、ボクは膝の上で丸くなる猫を撫で、小さくため息をついた。

 

 ――ボクの大学生活、前途多難なんてレベルじゃなさそうだった。

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