2 裏路地を抜けるとそこは異世界でした

 「わたくしたち、結ばれる運命なんですのね……!」

 「いいから、今は黙って付いてきてくれ!」


 背後で野次馬がスマホを掲げる気配がした。

 瑞原大学の入学初日、銀髪の美少女が男二人を投げ飛ばし、金髪の美少女にプロポーズされる。――明日にはSNSでわけわからない二つ名が爆誕して写真が拡散しかねない。目立つのは御免だ。

 ボクは葛葉の柔らかな手を引き、勧誘の喧騒から逃れるように脇道へと滑り込んだ。


 「こっちだよ。……ほら、早く」


 迷い込んだ細い路地の先、レンガ造りの旧校舎の影で、手招きをする人影があった。

 直感的にその誘いに従い、角を曲がる。そこには、メインストリートの馬鹿騒ぎが嘘のような、静謐な中庭が広がっていた。


 中央には、一本の巨大な古桜が鎮座している。

 風が吹くたびに淡いピンクの花びらが舞い落ちるその下で、ポツンと置かれたパイプ椅子に、一人の女性が腰掛けていた。


「お疲れ様。見事な一本だったわね」


 彼女は手元の文庫本から目を上げると、ボクたちを見て柔らかく微笑んだ。

 膝の上には黒猫。足元には三毛猫。そしてパイプ椅子の周りには、まるで集会でもしているかのように、色とりどりの十数匹の猫たちが集まっている。


「……見てたんですか」

「ええ。ちょうど『新人』を探していたところだったから。……葛葉、あんたも相変わらずね。初対面の相手にいきなり結婚を迫るなんて、一体どんな漫画の影響かしら」

「あ……澪(みお)ちゃん!」


 葛葉がボクの手を握ったまま、ぱぁっと顔を輝かせた。

 『澪』と呼ばれた女性は立ち上がると、ボクの全身を値踏みするように眺め、ふと苦笑を漏らした。


「助けてくれたのは感謝するけれど、代償は安くなかったみたいね。……そこ、気づいてる?」


 彼女が指差したのは、ボクの右太ももあたりだった。

 視線を落として、ボクは凍りついた。

 店員が自信満々に勧めてきたタイトスカートのサイドが、スリットを無視して無惨に裂けていたのだ。あの大内刈りで、生地の耐久性が限界を超えたらしい。


「嘘だろ……。これ、結構高かったのに」

「貴女、スカートでの動きに慣れてないでしょう。葛葉を助けてくれたのはありがたいけど、もう少しおしとやかにしたほうがいいかもね。……ほら、ブースの裏で着替えなさい。私の予備のジャージで良ければ貸してあげるわよ」


 彼女は手慣れた様子で、ブースの陰にボクを促した。

 衝立(ついたて)の裏でジャージに着替えながら、ボクは思わず溜息をつく。女性の服というのは、つくづく実戦に向いていない。いや、そもそも女性物のスーツで大内刈りをかます方が間違っているのかもしれないが。


「……ふぅ。悪いね、助かったよ」


 借りた紺色のジャージに身を包み、ブースの表に戻る。

 そこには、猫たちと戯れる葛葉と、涼しげな顔で茶を啜る澪さんがいた。

 よく見れば、彼女の艶やかな黒髪の間から、ぴんと尖った三角形の耳が覗いている。


「驚かないのね。私の耳を見ても」

「……ま、さっきプロポーズしてきた子にも生えてたしな。ボク自身もいろいろあって、この姿だ。珍しくもないよ」


 そう言いながら、ボクは足元に寄ってきた茶トラの猫をひょいと抱き上げた。

 実は、ボクは大の猫好きだ。

 前の体の時、身長一八〇センチを超える巨躯で猫に近寄ると、百発百中で逃げられるのが密かな悩みだった。だが、今のこの小さな体、そして龍の因子が含まれているせいか、猫たちは警戒するどころか自ら擦り寄ってくる。


 腕の中の茶トラが、喉をごろごろと鳴らしてボクの胸元に頭を預けてきた。

 温かい。そして、柔らかい。

 顎の下をそっと指先で撫でてやると、猫は気持ちよさそうに目を細める。……あ、これ、めちゃくちゃ癒やされる。

 これだけで、一年前のあの日から積み重なってきたストレスの半分くらいが消えていく気がした。正直、この体になった価値の五割くらいはこの瞬間に集約されていると確信しつつ、ボクは無言で猫を撫で続ける。


「そういえば、自己紹介が遅れたわね。私は猫村澪。政治経済学部の二年生よ。葛葉とは、家が近所の幼馴染」

「鈴木翔です。法学部の一年生。こっちの葛葉さんは……?」

「あ、わたくしも、翔様と同じ一年生ですわ! 同い年なのですが、病気で一年お休みしておりましたので……澪ちゃんの一学年後輩になりますの」


 葛葉はそう言うと、ボクの隣で恥ずかしそうに指をもじもじさせた。

 なるほど、一浪仲間か。少しだけ親近感が湧く。


「それで、猫村先輩。ここは……何のサークルなんです? ボク、実は学内の『地域猫保護サークル』に入ろうと思って探してたんですけど……ここはそれとは別ですか?」


 ボクの問いに、猫村先輩はクスクスと肩を揺らした。


「地域猫、ね。確かにここは猫が集まるけれど……残念ながら、うちは猫を愛でるだけの場所じゃないわよ。看板を見て」


 彼女が示したのは、桜の樹に立てかけられた古びた看板だった。


 ――『瑞原大学 現代妖怪研究会』。


「現代妖怪研究会……。葛葉、君もここを目指してたのか?」

「はい! 澪ちゃんもいますし、なにより名前の響きに惹かれまして! きっと、現代に潜む妖怪と戦ったり、秘められた能力を磨いて正義の味方を目指したりする、カッコいいサークルなんですわよね!?」


 葛葉が目をキラキラさせて期待を寄せる。漫画やアニメの読みすぎだ。

 ……嫌な予感がする。ボクの直感が、「ここはそんな熱血な場所じゃない」と告げていた。

 案の定、猫村先輩は猫のように目を細めて笑った。


「残念。うちは『妖怪が現代の日本の政治および経済において、いかに健全かつ正当に活動するか』を真面目に議論する、ガチガチの学術系よ。別名、妖怪生存戦略セミナー、ってところかしら」

「政治経済……?」

「そう。例えば、一反木綿がそのまま布製品として市場に流通した場合、それは『人格を持った存在』として人権(?)が認められるのか、それとも単なる工業製品として消費税が課されるのか……とかね。興味ない?」

「……全然ありませんわ。一ミリも」


 葛葉がすっとぼけた顔で即答した。ボクも同感だった。

 だが、腕の中の茶トラが幸せそうに寝息を立てている。……この居心地の良さは捨てがたい。


「ふふ、いい反応ね。でも、妖怪関連のトラブルで警察沙汰になりたくなかったら、このあたりの知識を持っておいて損はないわよ? さっきの男たち、あれも低級の『貉(むじな)』の成れの果てだったしね」

「……あれ、人間じゃなかったのか」


 ボクは足元の猫たちを見やり、それから隣で「翔様との愛の共同生活における贈与税の計算……」と物騒な呟きを始めた葛葉を見た。

 ボクの大学生活は、思っていたよりもずっと、「世知辛くて人間離れ」したものになりそうだった。

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