第49話:最後の花火と、新たな武器**
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### **:最後の花火と、新たな武器**
東京に戻った孝子(絵里奈)と悦子(詩織)は、もはや潜伏しなかった。
堂々と、都心のホテルの一室にチェックインする。
佐藤孝子と高橋悦子としてではなく、「鈴木絵里奈」と「相田詩織」として。
その日の午後、一本の電話が、江藤音楽事務所の専務室を震わせた。
江藤小百合が、苛立ちを隠せない様子でその電話を取る。相手は、ホテルのフロントマンだった。
「鈴木絵里奈と名乗るお客様から、専務に直接お繋ぎしてほしいと…」
小百合の眉が、ぴくりと動いた。
逃げたネズミが、自ら罠に戻ってきた。面白い。
電話を代わると、受話器の向こうから、凛とした、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「…お久しぶりです、専務。鈴木絵里奈です」
その声には、かつてのような怯えも、虚無もなかった。
あるのは、氷のような冷静さだけ。
「明日の午後2時、このホテルで記者会見を開きます」
絵里奈は、一方的に、しかし淡々と続けた。
小百合は、面白そうに口の端を吊り上げる。
「記者会見? 何を話すつもりかしら。事務所への一方的な契約不履行について、謝罪でもするの?」
「いいえ」
絵里奈の声が、きっぱりとそれを否定した。
「**引退記者会見を開くのよ。**『TwinSpark』の、ね」
その言葉は、さすがの小百合にとっても予想外だった。
国民的人気の絶頂にあるドル箱ユニットを、自ら手放すというのか。
小百合の表情から、初めて余裕の色が消えた。
絵里奈は、畳み掛けるように、最後のカードを切った。
「そして、その一週間後、最後のライブをさせてほしいの」
「…何のために?」
「ファンの皆さんへの、最後のけじめよ。そして、あなたへの…最後のプレゼントでもある」
絵里奈の声に、初めて憎しみの色が滲んだ。
「そのライブのステージで、私たちは全てを話す。沢尻ハルカに何があったのか。あなたが、彼女に何をしたのか。全てをね」
小百合は、受話器を握りしめたまま、黙り込んだ。
絵里奈は、最後の、そして最も重要な取引条件を突きつけた。
「…ただし、一つだけ、取引に応じてもらえるなら、話は別よ」
「…何?」
**「ハルカが私に遺した“遺書”。その原本と、ライブのステージで黙っていること。それを、交換条件にしましょう?」**
沈黙。
受話器の向こうで、小百合が息を呑む音が聞こえた。
遺書。そんなものが存在したとは。
もし、その内容が公になれば、自分のキャリアどころか、事務所そのものが終わる。
絵里奈は、勝負をかけた。
自分たちが黙って芸能界から消えることと、全てを暴露されて破滅すること。
小百合がどちらを選ぶかは、分かりきっていた。
「…いいでしょう」
長い沈黙の末、小百合の声が聞こえた。その声は、怒りを押し殺したように、低く、冷たかった。
「引退会見と、ラストライブ。許可するわ。その代わり、遺書は必ず渡しなさい。ライブが終わった、その瞬間にね」
「ええ、約束するわ」
電話が切れる。
絵里奈は、大きく、深く息を吐いた。
隣で息を殺して見守っていた詩織が、心配そうに顔を覗き込む。
「…絵里奈ちゃん」
「大丈夫」
絵里奈は、詩織に向かって力強く頷いた。
「第一関門は、突破した」
悪魔との取引は、成立した。
二人は、自らの引退と引き換えに、最後のステージを手に入れたのだ。
それは、江藤小百合の罪を暴き、ハルカの魂を弔うための、たった一度きりの、復讐の舞台だった。
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その日の夜。
『TwinSpark』の失踪劇と引退ライブの発表で、世間はパニックに陥っていた。
しかし、その熱狂の渦の中で、インターネット上に、何の前触れもなく、**一つのホームページが突如として出現したのだ。**
黒を基調とした、シンプルなデザイン。
トップページには、デビュー当時の、まだあどけない鈴木絵里奈と相田詩織のツーショット写真が大きく使われている。
そして、その中央に、ゴシック体の白い文字で、こう書かれていた。
**『TwinSpark The Last Live "One Day" at NIPPON BUDOKAN』**
ページをスクロールすると、詳細が記されている。
**【開催決定】**
**本年12月31日、大晦日。**
**アーティストの聖地、日本武道館にて、**
**『TwinSpark 年越し引退ラストライブ』を、一夜限りで開催いたします。**
**そして、このライブの実現を、ファンの皆様の力で支えていただきたく、**
**クラウドファンディングを立ち上げます。**
**目標金額は、会場費、演出費等を含め、三億円。**
**なお、目標金額を達成し、ライブが開催できた暁には、**
**私たちが制作していた幻の1stアルバム『SYMMETRY』の全楽曲を、**
**期間限定で、全ての音楽配信サイトにて無料ダウンロード配信いたします!**
**私たちの最後の歌を、どうか、皆さんの心に刻んでください。**
**鈴木絵里奈**
**相田詩織**
その発表は、失踪騒動で燃え上がっていた世間の火に、大量のガソリンを注ぎ込むようなものだった。
「引退!?」
「しかも、場所は**日本武道館**!?」
「**ワン・デイ**限り、大晦日の年越しライブなんて、伝説になるぞ!」
SNSは、再びサーバーが落ちるほどのパニック状態に陥った。
ワイドショーは、全ての予定を変更し、この話題で番組を埋め尽くす。
江藤音楽事務所には、肯定、否定、悲嘆、怒り、あらゆる感情の入り混じった問い合わせが殺到した。
事務所は、ホームページの開設から1時間後、それを追認する形で正式なコメントを発表した。
『本人の強い意志を尊重し、引退を受け入れる決断をいたしました。ファンの皆様には、突然のご報告となり、誠に申し訳ございません』
その当たり障りのない文章の裏で、江藤小百合がどれほど苦虫を噛み潰しているか、知る者はいない。
彼女は、自らの手で、自分の事務所のドル箱ユニットの、最も華々しい引退公演を発表させられたのだ。
だが、世間の反応は、小百合の予想とは少し違っていた。
失踪に対する批判や非難の声は、この衝撃的な「武道館での引退宣言」と、「無料アルバム配信」という公約によって、急速に別の感情へと変化していったのだ。
「何か、よほどのことがあったに違いない」
「武道館で引退なんて、かっこよすぎる…」
「しかも、アルバム無料配信とか、ファンへの愛が凄すぎる!」
批判は同情へ。そして、同情は熱狂へ。
日本武道館のチケットは、発売開始からわずか30秒で完売。
クラウドファンディングの目標金額三億円も、**数時間で達成された。**
テレビ各局は、前代未聞の年越し引退ライブの独占生中継の権利を巡って、熾烈な争奪戦を繰り広げた。
絵里奈と詩織は、自分たちが意図した以上に、巨大な渦を巻き起こしていた。
二人の引退は、単なる芸能ニュースではなく、社会現象となったのだ。
ホテルの部屋で、その熱狂を報じるテレビを、二人は静かに見ていた。
「すごいことになっちゃったね。武道館だよ、武道館…」
詩織が、夢見るような、それでいてどこか現実感のない声で呟いた。
「うん」
絵里奈は、頷いた。
「これでいい。舞台が大きければ大きいほど、注目されればされるほど、あの女は手出しできなくなる」
二人の最後のステージは、日本中が注目する、世紀のイベントとなった。
それは、華々しく打ち上げられる、最後の花火。
そして、その閃光の下で、全ての真実を白日の下に晒し、一人の悪魔を断罪するための、公開処刑台でもあった。
運命の大晦日まで、あと、一週間。
聖地・日本武道館での、最後のカウントダウンが、始まった。
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