第20話『硝子の向こう側』
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**小説『サスティナブルSpark 2』 硝子の向こう側**
アスファルトに照り返す、午後の日差しが暴力的なほどに眩しかった。
「東京ガールズオーディション」と書かれた看板が、汗で濡れた視界の中で揺れている。
夢を追う者たちは、この街には履いて捨てるほど存在した。
けれど、佐藤孝子(18)には、その誰もが自分より輝いて見えた。
実家は裕福ではない。コネも、何もない。高校に通いながら、深夜のスーパーでアルバイトをして、貯めた金をレッスン代に充てる毎日。その生活は、夢を追うというより、崖っぷちにしがみついているようなものだった。
「成功にはコネクションが必要」「権力に気に入られることが最短距離」
オーディション会場の控え室で、そんな言葉が飛び交うのを耳にするたびに、孝子の胸には冷たい鉛が沈んだ。自分には、そのカードが何一枚としてないのだから。
控え室の扉を開けた瞬間、孝子は周囲の空気に一瞬、息を詰めた。
甘ったるい香水の匂いと、ヘアスプレーの科学的な香りが混じり合った独特の熱気。誰もが自分を最大限に飾り立て、他者をライバルとして牽制する鋭い目つきをしている。その中で、孝子の地味な練習着姿は、場違いなほど素朴で、浮いていた。
背が高く、肩にかかる程度の黒髪を、ただ無造作にゴムで束ねただけ。ボーイッシュな雰囲気は、戦略的なものではなく、ただ身なりを構う余裕がなかった結果だった。
「エントリーナンバー143番、佐藤孝子さん」
無機質なアナウンスで番号が呼ばれ、ステージに立つ。
目もくらむような照明が容赦なく降り注ぐ。視線の先、逆光の中に三人の審査員の影が見えた。
「……オフィスK&Oエナジーから来ました、佐藤孝子、18歳です。現在高校生で、学校へ行きながらレッスンを受けています」
マイクを通した声は、練習通り、少しも震えていなかった。
歌が始まる。
彼女の歌声には、深夜のスーパーの冷凍庫で震えた体と、それでも夢を諦めきれない心の熱が混じっていた。それは、完璧な技術ではない。だが、聴く者の心をざらりと揺さぶる、生々しいまでの「感情(エモーション)」があった。
歌い終わり、静寂が落ちる。
審査員席の中央。重厚な革張りの椅子に深く腰掛けた男――江藤音楽事務所社長、江藤守が、手元のエントリーシートに目を落とした。
「ふむ……佐藤孝子、18歳。身長168センチか。モデルみたいだな(笑)」
その呟きは、誰に言うでもない、ただの独り言だった。
しかし、その隣に座る娘であり専務の江藤小百合(28)は、父の言葉など聞いてはいなかった。
チャコールグレーのスーツに身を包み、冷徹で完璧な佇まいを見せる彼女。だがその瞳の奥だけが、人間的な、いや、動物的な飢えた光を宿していた。
それは、獲物を見つけた肉食動物の、残酷なまでの好奇心。
小百合は、長い爪先で父の腕を軽くつついた。
「ねぇ? パパ?」
小百合は赤い唇を歪めて笑った。
**「あの娘、いいんじゃない!」**
江藤社長は、初めて顔を上げて娘を見た。
小百合の関心は、孝子の才能への評価ではない。「私だけのものにできるか」「壊しがいがあるか」という、絶対的な支配欲だけだった。
ステージの上で、孝子はまだ、自分の運命を品定めする捕食者の視線に気づいてはいなかった。
ただ、審査員席の真ん中あたりから感じる、肌に粘りつくような視線に、言いようのない寒気を覚えているだけだった。
それが、佐藤孝子という名の原石が、江藤小百合という名の、最も深く、最も美しい闇に見出されてしまった、全ての始まりだった。
(続く)
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