第3話 少しだけ、いつもの日々
翌朝のこと。六時前くらいに与一の部屋をノックする音が聞こえた。
与一はその音に飛び起きた。音の主が誰であろうと悪いことを知らせる音であることに変わりはない。
セイジの耳と尻尾を見られたのかもしれない。最悪の事態を想像しつつ、恐る恐るドアを開けると、
「与一!! なんで止めてくれなかったの!?」
とセイジが声を潜めながら慌てた様子で部屋に入ってきた。
「はぁ?! どういう事だよ?! ってかバレなかったのか?」
「おしりと頭を触られないように手ではじいてたからね。おかげで寝不足」
「なんか算段があるのかと思ったけど……」
「いやー、カワイイって褒められたからつい、ね?」
「お前危なっかしすぎるぞ!」
二人が部屋でこそこそ話していると、
「二人とも起きてるの?」
と母の声が扉の外から聞こえた。
その声に二人は返事をすると、与一はいつもの朝をなぞるように支度を進めた。セイジは特にやることがなかったので、リビングで朝食を待つことにした。
家を出る前、与一は自分の部屋にセイジを呼び、
「セイジはここでおとなしくしとけ」
と言った。
「一日中?」
「変にうろつかれると困るからな」
「……わかったけど、その、『セイジ』ってのはカワイくないからやめて」
「いや、俺は結構好きだぞ。無骨な感じがして」
与一は笑いを堪えながらそう言う。
「無骨って、カワイイと真逆じゃん! ママみたいに『セイちゃん』って呼んでよ!」
「考えとくわ。でも母さんからもらった名前なんだから、大切にしろよ」
与一はヘラヘラしながらそう言って部屋を出た。
「ほんとに考えてよね!」
与一はセイジの訴えを話半分に聞き流しながら学校へ向かった。
彼はカワイイ星人の名前がカワイ セイジと間違えられたことが、その名前の響き含めてツボなので、呼び方を変えるつもりは毛頭ない。
少し夏の欠片を感じる風を全身で浴びながら、一人考える。ようやく一人で頭を落ち着かせられる時間が来たことに少し喜びを覚える与一。
いろいろとわけの分からないことになりすぎて追いつけなかったが、
「はぁ、セイジが女の子だったらなぁー」
と登校中にため息をつくくらいに彼は余裕であった。
いや、焦る気力すらないだけかもしれないが。
与一がぼうっと歩いていると、
「よっす! ってどうしたチョロイチ? ため息なんかついて」
と、一人の男子高生が後ろから話しかけてきた。
与一をチョロイチと呼ぶその男子高生は、
ちなみにチョロイチと呼ばれている理由は、可愛いものに目が無さすぎる彼の嗜好と押しに弱い性格のせいである。
「いや、なんでも。てか会ってそうそうチョロイチ言うな」
「それより昨日の歌番みたかよ! ヤシロ谷のライブ!」
「え? 嘘まじかよ? ヤシロ谷出たんか!?」
「結構前から告知してたろ? 新曲ライブ初披露って」
「……今日何日?」
「十六日」
「うわっ! 昨日十五日じゃん!」
「何だこの会話?」
「久々ゆりちセンターの曲だったのに……」
与一は青ざめた顔でふさぎ込んだ。
「録画は?」
「それすら忘れてた」
「しょーがねーな、放課後俺ん家来い。録画あるから」
「まじか! 助かる!!」
「ただとは言わない。古文のノートだ」
「……そんなことだろうと思ったよ」
「交渉成立だな。とっとといくぞ、写す時間がなくなる!」
そうして足早に学校へ向かった。
教室に入ると、とある三人の女子グループが昨日の歌番の話をしていた。
「ヤシロ谷だっけ? あのセンターぶりっ子キツかったわー」
そう大きめの声で話すのは
「た、確かにねー」
隣にいる女子の吉崎はぎこちなく相槌を打つ。
「ん? ヨシなんか引っかかってるくね? なんか違うことあったらいいなよ」
吉崎の相槌にすかさず突っ込む安智。
「い、いや、そうじゃなくてさ、あそこまで行くとむしろおもろい的な?」
「それ、めっちゃわかる」
吉崎の隣にいた秋澤もすかさずフォローに入る。
「ふーん、確かにちょいわかるかもー」
納得した安智を見て、胸を撫で下ろす二人。
その一部始終を見ていた与一と守だったが、与一は内心烈火のごとく怒り散らしながらも、圧の強い安智に何も言えずにいた。
二人に気づいた安智は、一瞬ほくそ笑んだかと思ったら、
「バカでチョロい男以外あんなのに引っかかんないって」
とわざと二人に聞こえるように言った。
そんな安智を見て、
「流石に言い過ぎたろあいつ……」
と小さくこぼす与一だったが、
「言い返すのだけはやめとけ、あそこはいわばクモの巣だ。お前が飛び込むのを待ってる」
と守は静かに止めた。
安智はそうコソコソと話す二人を睨むと、
「なに? なんか言いたいことあんの?」
と、語気を強めて聞いてきた。
「いや、別に関係ないよ」
といなす守。それに与一も続けて、
「そうそう、ちょうど窓にクモがいたって話してただけだよ」
と余計な一言を加えてしまった。「何いってんだ」と言わんばかりに与一を見る守。
「あっそ」
安智はそう返事したあと、静かに舌打ちをすると、
「飲み物買ってこよ。 ヨシもアッキーも行くっしょ?」
「う、うん」
「でもそろそろホームルームくない?」
吉崎がそう心配すると、
「いや、一回教室入ったしいいっしょ」
と安智にさらっと流された
そうやって返事も聞かないまま、安智は二人を連れて廊下の自販機へ向かっていった。
「危なかったー」
そう胸を撫で下ろす与一たち。
「お前何ぶっ込んでんだよ! 吹き出しそうになったわ!」
守は怒りと驚き半々に、誤魔化すときにクモの話をした与一にそう言った。
「いや、咄嗟に出なくてさ」
「じゃあ黙ってればいいんだよ! お前こういう時口開くと余計なことしか言わないし」
「そ、それもそうだな」
「まぁ俺の推しにあーだこーだー言ってきやがったら考えものだけどな」
「現金なやつ」
「お前は愛が足りないんじゃないか?」
「愛の種類が違うんだよ」
そう言い合っていると、チャイムが鳴ると同時に先生が教室に来た。
「もうそんな時間か」
「あれ? 今日の一限目って?」
「確か、古文?」
「あ、ノート……」
守は一気に青ざめたが、
「まだ間に合う!」
と与一はノートを差し出し、グッと親指を立てた。
守は無言で頷いてノートを受け取ると、慣れた手つきで机に教科書の壁を作り、己のすべてをかけてノートを写した。
放課後、守の家でライブ鑑賞会をした。
与一は思い切り楽しむつもりだったが、ゆりちのアップを観るたびに、
「まずい、これ思ったよりセイジだわ」
と心の中でつぶやきながら頭を抱えた。
「なんだよ、微妙な顔して。最高だろ」
「あぁ、そうなんだけどさ」
「安智の言ってたこと気にしてんのか?」
「いや、そうじゃなくてさ」
「歯切れが悪いなー」
「説明しずらいんだけど、そのうちわかるかもしれないから」
「そうか。気になるけどそう言うなら聞かんでおくわ」
「助かる」
そう言って再びライブに集中したが、やはりセイジの面影がよぎる。
セイジを振り払うことに必死で、結局与一は全力でライブ鑑賞を楽しめなかった。
守は「ドンマイ!」とだけ言って励ましてくれたが、それではぬぐえないくらいには与一にとってショックであった。
とぼとぼと帰宅して自室へ帰ると、そこには与一の部屋で彼のパソコンを使っているセイジがいた。
「おい! 何勝手に人のパソコンつかってんだよ! 」
「いや、暇だし。調べ物くらいいいでしょ」
「プライベートってのがあるだろ?! 一言言えよ! 」
「ボクと与一に限ってはプライベートなんてないよ。だって生まれた時に与一のことはだいたい見たし、今も頭の中に色々入ってるから、引っ張ってくればなんだってわかるよ」
「なんでもって、ほんとになんでもか? 」
与一は血の気が引いたのを感じ、動揺しながらそう聞いた。
「例えば最近だと、守の前では『推しのエッチな写真なんてファンからしたら言語道断』なんて言ってたのに、家に帰ったらちゃっかり……」
「おい! わかった! わかったから!! 」
確実にセイジと会う前の記憶を持っている彼を前に、ただ脅える与一であった。
「二人ともご飯食べよー」
そうこうしてると自室の外から母の呼ぶ声が聞こえた。
「あれ? 今日母さん休みだっけ?」
「言ってなかったっけ? ご飯はこっちで用意するって」
「そうだったっけ? ありがと」
そうして三人で食卓を囲んだ。
「今日は餃子かー」
「寄り道して買ってきた。たまにはお店の餃子もいいでしょ」
与一は頷くと、餃子を一口で食べる。
「やっぱ店のは安定して美味い」
「だよね。セイちゃんはどう?」
「う、美味い……」
あまりの美味しさと昨日の自分の手料理を超えてきたことに対する悔しさで震えるセイジ。
「昨日のだって負けてない、はず……」
「何と張り合ってんだよお前」
「だってなんか悔しいじゃん……、美味い……」
そう言いながらも箸が止まらないセイジ。
「おいおい! 俺の分まで食う勢いじゃねーか?!」
そんなふうに食事をしていた時だった。
急に家のベルが鳴った。
「お客さんかな? ちょっと出てくる」
母はそう言って玄関に向かった。
セイジは、
「なんか料理するのバカバカしくなってきた」
と寂しそうに言う。
「まぁ、そう言うなって。自分で作るからこそできることとかあるし」
「そ、それはそうだけどさー」
そう話していると玄関から、
「ねぇセイちゃーん、ちょっとこっち来れる?」
と母の声が聞こえた。
「なにー?」
と警戒心皆無で玄関へ向かうセイジ。
「いや明らかに怪しいだろ」
与一はそう言って玄関へ向かうセイジを止めようとしたが、聞く耳持たずにセイジは駆けていった。
与一はあらためてカワイイ星人がどうやって今まで五体満足に生きてきたのか分からなくなった。
なかなか戻ってこない二人が気になり、与一が玄関の近くで聞き耳を立てたときだった。
「申し訳ありませんが信用できません」
と、少し語気を荒げる母の声が聞こえた。
「今お伝えできることはここまでです。どうかご納得いただき、彼を引き渡してはもらえませんか?」
母とは対照的に、淡々と話す男性の声も聞こえた。
与一はもう少し隠れて聞くことにした。
「ボクはどこにも行く気はないよ! ここがボクの家だもん!」
「そうですか。では、少し手荒になってしまいますが」
「何をする気ですか?! 警察呼びますよ!」
「シノブ、取り押さえろ」
「はい」
そのやり取りのあと、がたっと大きな音が聞こえた。
流石にまずいと思った与一は手元のスマホでモタモタしながらも警察に電話をかけようとした。その時、
「警察への通報は控えていただけるとありがたいです」
と女性に手首をつかまれた。
与一は驚きで固まり、何もできないまま取り押さえられた。
今の今まで玄関にいたはずの、シノブと呼ばれたスーツを着た短い黒髪の小柄な女性に、あっという間に押さえつけられて与一は完全に頭が真っ白だった。
ふと玄関を見ると、そこには手に拘束具をかけられた母と、大柄なスーツの男に暴れながら担がれるセイジの姿があった。
セイジを拾ったことで、何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないかと、遅すぎる後悔に苛まれる与一であった。
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