第5話

深夜。

 ハインベルグ領の境界にある森に、殺気が染み出していた。


「おい、本当にこんな田舎を皆殺しにするだけで金がもらえるのか? 笑いが止まらねえな」


 下卑た笑い声を漏らしたのは、三十人の手練れを擁する『鉄牙傭兵団』の団長、グロックだ。

 代官から受けた依頼はシンプルだった。

 ——村を襲い、逆らう者は殺し、ハインベルグ家を根絶やしにせよ。


「団長、女と家畜は奪っていいんでしょ? 久々の収穫だ」

「ああ。ガキ一人の首に金貨十枚だ。さっさと片付けて、明日の朝には酒宴といこうぜ」


 彼らにとって、これは仕事ですらなかった。

 武装も満足にしていない農民をなぶり殺すだけの、一方的な蹂躙。

 暗がりに浮かぶ村の家々は、まるで口を開けて死を待つ生贄のように、静まり返っていた。


 だが。

 その異様な「静寂」の正体に、プロであるはずの彼らは気づいていなかった。


 ***


 村の外れにある古びた物見櫓。

 その最上階で、アレスは闇の中に佇んでいた。


 彼の右腕——擬態された『アガートラーム』が、かすかな駆動音を立てる。


『——サーマル・イメージング、展開。個体識別:熱源三十。配置を確認』


 アレスの視界には、網膜に直接投影された赤外線映像が広がっていた。

 闇に紛れて進軍しているつもりだろうが、アレスから見れば、彼らは真っ暗な夜の海に浮かぶ松明のように明白だった。


「……右翼に六、左翼に八。中央突破が十六か。典型的な包囲殲滅陣形だが、練度が低すぎるな。歩幅が揃っていない」


 アレスは懐から、小さな水晶のような魔道具を取り出した。

 これもまた、遺跡から回収した古代の通信機だ。


「……バルド。聞こえるか?」


『あ、ああ! アレスの兄貴! すげえ、本当に声が聞こえる!』


 広場近くの茂みに潜んでいるバルドの声が返ってくる。


「落ち着け。これは遊びだ。昼間の『鬼ごっこ』を思い出せ。敵が罠の境界を越えたら、合図通りに動け。——練習通りにな」


『分かったぜ! みんな、準備はいいか!』


 アレスは冷徹に、指先を振り下ろした。


「夜の部、開始だ。掃除を始めよう」


 ***


 村の入り口。

 傭兵たちが最初の家屋に足を踏み入れようとした、その瞬間だった。


「ぎゃああああっ!?」


 先頭を歩いていた男が、突然、宙に浮いた。

 足首に巻き付いたのは、極細の、しかし鋼鉄より強靭な古代の繊維ワイヤー。

 仕掛けたのは、昼間アレスに「遊び」として訓練された子供たちだ。


「なんだ!? 罠か!?」

「うわああ、足が、落とし穴に……っ!」


 次々と上がる悲鳴。

 深い落とし穴、倒木を利用したスイング・トラップ、そして闇の中で突然鳴り響く爆音。


 傭兵たちは混乱に陥った。

 姿の見えない敵。ただ、練習を繰り返した子供たちがアレスの指示通りに「紐を引く」だけで、歴戦の傭兵たちが次々と無力化されていく。


「ふざけるな! どこだ! どこにいやがる、この野郎!!」


 グロックが怒号を上げ、大剣を振り回す。

 だが、返ってくるのは冷徹な「声」だけだった。


『……パニックに陥れば、それだけ死期が早まるぞ。戦術の基本すら忘れたか』


 通信魔道具から漏れるアレスの声が、広場全体に響き渡る。

 その声は、子供のそれとは思えないほど重く、静かな殺意を孕んでいた。


「ガキ……! アレスか! テメエの仕業かぁっ!!」


 グロックは声の主を探し、物見櫓の下に立つ小さな影を見つけた。

 

 アレス・フォン・ハインベルグ。

 返り血一つ浴びず、月光を背に受けて立つ十歳の少年。


「一〇歳に翻弄されるのが、お前たちの実力か。……ガッカリだ。教材にもならない」


「殺してやる! その生意気な顔ごと、叩き切ってやるわぁぁっ!!」


 グロックが地面を蹴り、巨体に見合わぬ速度で肉薄する。

 その手に握られた大剣は、一撃で馬の首を落とすほどの威力。


 アレスは逃げなかった。

 避けることすら、しなかった。


「擬態解除。出力制限、〇・八%に上昇」


 アレスの右腕から、パァァンと空気が弾けるような音がした。

 ホログラムが消え、そこには月光を反射して白銀に輝く、異形の金属腕が現れる。


 キィィィィィィン……ッ!!


 鼓膜を刺すような高周波の駆動音。

 アレスの背後にあった排熱ダクトから、白く熱い蒸気が噴き出した。


「——古代兵装、アガートラーム。機能解放」


「死ねえええええ!!」


 グロックの大剣がアレスの脳天に振り下ろされる。

 それに対し、アレスはただ、右の拳を真っ直ぐに突き出した。


【質量加速(キネティック・アクセル)】


 ——衝撃波ではなかった。

 光でもなかった。


 それは、空間そのものが一点に凝縮され、爆発したかのような、絶対的な「物理」の暴力。


 ドンッ!!


 短い、しかし内臓を揺さぶるような重低音。

 

 次の瞬間、グロックの大剣は根元から蒸発するように消え失せた。

 それだけではない。

 グロックが構えていた盾、頑強な鋼鉄の胸当て、そして彼の肉体の半分が——まるで最初から存在しなかったかのように、虚空へと削り取られた。


「あ……が……?」


 グロックが何かを言いかける。

 だが、その背後にあった巨大な境界石までもが、綺麗な円形にくり抜かれているのを見て、絶望する暇もなく彼は崩れ落ちた。


 粉砕ではない。

 分子レベルでの加速による消滅。


 アレスの足元には、塵一つ落ちていない。

 ただ、彼の右腕から立ち上る「オゾン」の匂いだけが、戦場を支配していた。


 ***


 生き残った数名の傭兵たちは、その光景を見て、戦意を完全に喪失した。

 

「化け物……化け物だあぁぁっ!!」

「助けてくれ、悪魔だ、あのガキは悪魔だ!!」


 彼らは武器を捨て、狂ったように叫びながら夜の闇へと逃げ去っていった。

 おそらく、二度と正気には戻れないだろう。十歳の少年が放った、理解不能な「神の力」を目撃してしまったのだから。


 やがて、騒ぎを聞きつけた父カシムや村の大人たちが、松明を持って広場に集まってきた。


「アレス! 大丈夫か!? 何が……これは、一体……」


 カシムが目にしたのは、無傷で佇む息子と、そして……。

 

「兄貴、やったぜ! 練習通り、全部引っかかった!」


 茂みから飛び出してきたバルドたちが、アレスの周りに集まる。

 彼らの瞳には、恐怖ではなく、自分の親分を神のように崇める、純粋で狂信的な輝きが宿っていた。


「アレス……お前が、この傭兵たちを追い払ったのか?」


 カシムが震える声で尋ねる。

 アレスは右腕の擬態を素早く戻すと、いつもの眠そうな半眼で、小さく頷いた。


「ええ。子供たちの遊びに、彼らはついて来られなかったようです」


 アレスは足元の「かつて人間だったもの」には目もくれず、遠くの丘に立つ、代官の館の方角を指差した。


「父上。防衛は終わりました。これからは、一方的に殴られる段階を終えましょう」


 アレスの瞳が、月光を反射して冷たく光る。


「……次はこちらから『訪問』する番だ。帝国に、不当な借金の取り立てを教えてやりましょう」


 夜明けの風が、村に漂う硝煙の臭いを運び去る。

 一〇歳の軍師による、最初の「制圧戦」はここに幕を閉じた。


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『処刑された『国崩し』の軍師、少年期に回帰する。〜裏切った帝国を滅ぼすため、辺境の村で未来の『魔王』や『聖女』を保護して最強の私兵団を作ります。〜 kuni @trainweek005050

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