第3話

静かな村の朝を切り裂いたのは、響き渡る馬蹄の音と、下品な笑い声だった。


 ハインベルグ領、村の中央広場。

 そこには、派手な装飾を施した馬に跨る一人の男と、武装した数名の兵士たちが踏ん反り返っていた。


「……あ、あと一ヶ月、せめてあと一ヶ月待っていただけませんか! 三倍もの税を今すぐになど、村の蓄えをすべて出しても足りないのです!」


 俺の父、カシムが土下座せんばかりの勢いで懇願していた。

 この土地を守る騎士爵でありながら、地元の代官が寄越した使い——わずか一階級上の下級騎士にすぎない男に、必死に頭を下げている。


「黙れ、無能なハインベルグ。代官様が決めたことに異を唱えるか? 貴様の統治が下手なツケを、代官様が徴収してくださるというのだ。感謝こそすれ、泣き言など無礼千万!」


 馬上の騎士、バルトロが鼻で笑い、無造作に足を跳ね上げた。

 重い革靴が、カシムの胸元を容赦なく蹴り飛ばす。


「ぐっ……!」

「あなた! なんてことを……!」


 駆け寄ろうとした母・ニーナも、周囲の兵士に荒々しく突き飛ばされた。

 乾いた砂の上に、母の細い体が倒れ込む。


 村人たちは家の影から震えながら見ているだけだ。

 圧倒的な力と権力。この辺境において、代官の命令は皇帝の言葉よりも絶対的な死神だった。


(……やれやれ。どこまでも非効率な男たちだ)


 俺は家の影から、ゆっくりと歩み出た。

 砂埃の舞う広場。絶望に沈む両親。そして、勝ち誇るゴミ共の視界に、十歳の子供が一人、入り込む。


「下がっていてください、父上。母上も」


 俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷たく響いた。


「ア、アレス? いけない、戻りなさい!」


 カシムの声が響くが、俺は止まらない。

 バルトロが、路傍の石でも見るような目で俺を見下ろした。


「なんだ、そのガキは。ハインベルグ、貴様の息子か? 親の教育がなっていないようだな」


「教育、ですか。確かに。あなたが帝国の法律をこれほどまでに理解していないとは、あなたの教育係もさぞ苦労されたことでしょう」


 俺の言葉に、広場が凍りついた。

 バルトロの顔が屈辱で赤く染まっていく。


「……なんだと?」


「帝国法・第十二条四項。緊急時を除く臨時増税の際、領主代理である代官は、皇帝直属の『地方監査官』による正式な承認証書を提示し、領民へ周知する義務がある。——さて、騎士様。その証書はどこにありますか?」


 俺は淡々と、しかし逃げ場を塞ぐように問いかけた。

 バルトロの表情が一瞬、泳ぐ。

 当然だ。この増税は代官の私欲による横領。監査官の承認などあるはずがない。


「ガ、ガキが……! どこでそんな出鱈目を覚えた! 代官様の言葉こそが法だ!」


「法を無視する者を、帝国では『逆賊』と呼びます。あなたは今、自分が逆賊であると宣言した。……違いますか?」


「貴様ぁぁぁっ!!」


 図星を突かれたバルトロが、激昂して腰の剣を抜いた。

 抜剣の音。

 十歳の子供相手に、大人が本気で殺意を向けてくる。


「死ね、生意気なクソガキがぁっ!」


 振り下ろされる鉄の刃。

 カシムの悲鳴と、ニーナの絶叫が重なる。


 だが、俺の視界の中で、その剣筋は止まっているも同然だった。


(法が通じないなら——次は『物理』の計算だ)


 俺は左手を後ろに隠したまま、擬態された『銀の右腕』を無造作に突き出した。


 ——キィィィィィィンッ!!


 耳を劈くような金属音が響き渡る。

 バルトロが渾身の力で振り下ろした剣を、俺は右手の掌だけで受け止めていた。


「な……!? 剣を、素手で……!?」


「硬度が足りないな。この程度の鉄塊で、何が斬れるつもりだ?」


 俺が指先にわずかに力を込める。

 『アガートラーム』の高周波振動が、剣の分子構造を瞬時に破壊した。


 パキ、パキパキッ。


 飴細工のように、バルトロの自慢の剣が粉々に砕け散り、地面に降り注ぐ。


「ひ……ひぃっ……!?」


「さて、次は防具の強度試験だ。計算上、君の体までは壊さないはずだが——少し自信がないな」


 俺は驚愕で固まるバルトロの胸板へ、軽く右手を添えた。


 古代兵器の衝撃波を一点に収束。

 指向性振動、発振。


 ——ドォォォォォンッ!!


 爆音と共に、バルトロの着ていた分厚い鋼鉄の胸当てが、まるでガラス細工のように一瞬で粉砕された。

 中身の人間には最小限の衝撃だけが伝わるように調整したが、それでもその威力は凄まじい。


「あ、が……っ!?」


 バルトロは馬から転げ落ち、広場の地面を十メートルほど転がって停止した。

 鎧を失い、下着同然の姿で白目を剥いている。


「た、隊長!? 化け物だ、このガキは化け物だぞ!」


 残された兵士たちが、腰を抜かして後ずさりする。

 俺は冷たい瞳で彼らを見据え、一歩、踏み出した。


「武器を捨てて、そのゴミを回収して消えろ。二度とこの村に足を踏み入れるな」


「ひ、ひぃぃぃっ! お、覚えてろよ!」


 兵士たちは気を失ったバルトロを荷物のように担ぎ、文字通り脱兎のごとく逃げ去っていった。


 広場には、静寂だけが残った。

 呆然と立ち尽くす村人たち。

 そして、自分の息子を「異形のもの」を見るような目で見つめるカシムとニーナ。


「アレス……お前、その力は……一体……」


 カシムの問いに、俺は擬態を解かぬまま、穏やかな微笑みを作って見せた。

 それは、前世で幾千もの敵を欺いてきた軍師の顔だ。


「少し、裏山で不思議な石を拾ったんです。それで右腕を鍛えていたら、いつの間にか。——そんなことより父上、彼らに伝言を忘れていました」


 俺は遠ざかる部隊の背中に向かって、冷酷な独白を投げかける。


「代官に伝えろ。——返済の期限だ、とな」


 三年前のあの日、俺たちを見捨てた代償。

 前世で俺の首を撥ねた帝国の、最初の一角を崩させてもらう。


 俺は懐から、一通の羊皮紙を取り出した。

 そこには、将来『獣王』となるはずのバルドや、後に最強の騎士団を担う近隣の少年たちの名前が記されている。


「盤面は整った。さて、英雄候補たちを迎えに行こうか」


 復讐のチェス盤に、最初の駒を置く時が来た。


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