第11話 修正者への依頼
完璧な犯罪など存在しない。ただ、完璧に見える「仕様書」が存在するだけだ。
だが、その仕様書を読み解く者が、自分一人とは限らない。
土曜日の朝。織部悟は、都心の喧騒から離れた静かな喫茶店で、ブラックコーヒーを飲んでいた。 手元のタブレットには、今週起きた五つの「事故死」に関するニュースが並んでいる。
過労死、崩落事故、水没事故、火災、そして酸欠死。
警察はそれぞれの事件に関連性を見出せていない。
見かけ上の死因も、場所も、被害者の社会的地位もバラバラだからだ。
「……校正終了。誤字脱字なし」
織部はニュースアプリを閉じ、息をついた。
五つの「誤植」は正された。世界は少しだけマシになったはずだ。
今日は久しぶりの休日。このまま静かに過ごすつもりだった。
だが、彼の持つ業務用の暗号化端末が、短く振動した。
新たな依頼だ。
『件名:緊急設備点検のご依頼』
『場所:湾岸エリア第4地区、旧湾岸物流センタービル』
『対象:地下変電設備および防災システム全般』
『報酬:500万円(即日払い)』
織部の眉がわずかに動いた。
破格の報酬だ。
だが、それ以上に奇妙な点がある。
指定された場所は、来月には解体が決まっている廃ビルだ。
そんな場所に、なぜ今さら高額な点検が必要なのか?
(……誘い水(ハニーポット)ですね)
織部は直感した。
今週の連続死を不審に思った「誰か」が、その裏にいる実行犯――つまり自分をおびき出そうとしている。
五人のターゲットたちは、いずれも裏社会や政財界の深い闇と繋がっていた。
彼らを失ったことで損害を被った「組織」が動き出したのだ。
逃げることもできる。
だが、放置すれば彼らは執拗に追ってくるだろう。
織部は残りのコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
誤った依頼書には、赤ペンで修正を入れなければならない。
***
午後一時。
湾岸エリア。
指定された旧物流センタービルは、錆びついた鉄骨とコンクリートの塊として、埋立地に鎮座していた。
周囲に人気はない。
カモメの鳴き声だけが響く、荒涼とした場所だ。
織部は作業着姿で、通用口の錆びた扉を開けた。
内部は薄暗く、カビと埃の臭いが充満している。
だが、織部の観察眼は、床の埃に残された微かな足跡を見逃さなかった。
つい最近、ここを訪れた者がいる。それも、複数人。
織部は警戒を強めながら、指示された地下へと続く階段を降りた。
地下フロアは、かつて巨大なサーバーが置かれていたであろう、がらんどうの空間だった。
その中央に、ポツンと一台の業務用大型モニターが置かれている。
電源が入っており、青い待機画面が薄暗いコンクリートの壁を照らしていた。
織部がモニターの前に立った、その瞬間。
――ガォン!!
背後で、重い金属音が響いた。
彼が降りてきた階段の入り口が、分厚い防火シャッターによって完全に塞がれていた。
織部は振り返り、冷静にシャッターを観察した。
電動式。
制御盤は破壊されている。
人力での開放は不可能。
「……完全な密室。教科書通りの『罠』ですね」
織部が呟くと同時に、目の前のモニターが切り替わった。
ノイズが走り、一人の男の姿が映し出された。
完璧に仕立てられたダークスーツ。
隙のないオールバックの髪。
表情筋が凍りついたような、能面のような男だ。
『初めまして、織部悟君。いや、今は『設備点検業者』と呼ぶべきかな?』
男の声は、合成音声のように抑揚がなかった。
「……丁寧なご挨拶ですね。どちら様で?」
『私は組織のコンプライアンス担当。……まあ、『掃除屋』と呼ぶ者もいるがね。私の仕事は、組織の運営におけるルール違反を正すことだ』
男――通称「ミスター・ルール」は、手元の資料に目を落とした。
『今週、君は五つの重大な『違反』を犯した。
我々の貴重な資産を、君独自のルールで勝手に処分したね?』
「彼らは自らの傲慢さによって、既存の仕様(スペック)を満たせなくなっただけです。私はそれを確認したに過ぎません」
『言葉遊びは結構。君の手口は分析済みだ。現場の設備マニュアルや注意書きを微調整し、ターゲット自身の行動によって事故を誘発させる。……実に見事だ。感心したよ』
ミスター・ルールは、氷のような目で織部を見据えた。
『だが、残念ながら、ここは君の仕事場(フィールド)ではない』
モニターの中で、男が指を鳴らした。
とたん、地下室の天井にあるスプリンクラーヘッドが作動し、けたたましい警報ベルが鳴り響いた。 だが、水は出ない。
『安心してくれたまえ。このビルの設備は、すべて私が昨日、オリジナルの設計図面通りに再設定(リセット)しておいた』
「……何?」
織部の表情が、初めて強張った。
『スプリンクラーの配管は切断し、防火シャッターの安全装置は解除した。電気配線も、すべて回路図通りに引き直した。つまり――』
ミスター・ルールは冷酷に宣告した。
『このビルには、君がつけ込めるような『システム上のバグ』は一つも存在しない。ここは私の管理下にある、完璧な処刑場だ』
織部は周囲を見渡した。
武器はない。
書き換えるべきマニュアルもない。
あるのは、冷たいコンクリートの壁と、なにも表示されていない無機質なドアだけ。
だが、織部は眼鏡の位置を直しながら、小さく口の端を上げた。
(……なるほど。あなたは『図面』しか見ていないわけだ)
システムは正常。配線も図面通り。
だが、このビルが長い年月でどう「風化」したかという、アナログな現実は見ていない。
そして何より――。
(『表示』は何もない)
何も書かれていないということは、これから何でも書けるということだ。
白紙のページを与えられた校正者が、静かに反撃のペンを構えた。
(第12話へ続く)
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