第10話 最深部の入口


深度マイナス4。

その数字が表示された瞬間、エレベーター内の誰もが息を止めた。


これより下は、正式な地図が存在しない。

探索記録も、ほとんど残っていない。

生還例が、極端に少ない層。


それでも――

扉は、開いた。


空気は、重いというより静かだった。

圧迫感がない。

まるで、深海の底に沈んだような感覚。


ユウトは、一歩踏み出す。


(……拒まれない)


それが、はっきり分かった。


《深度適応》が、これまでになく穏やかに働いている。

無理やり身体を変えるのではなく、

最初から、ここに合わせて作られていたかのように。


「……異常、なし?」


管理局の研究員が、信じられないという声を出す。


「構造、安定。

 モンスター反応……ゼロ?」


あり得ない。

この深度で、完全な静寂。


ミコトは、ユウトの背中を見つめていた。


「……ここは、入口ね」


「入口?」


「最深部へ向かうための」


その言葉と同時に、

通路の奥で、ゆっくりと空間が開いた。


扉ではない。

壁が、左右に“譲る”ように動く。


その先にあったのは、

広大な空洞。


中心には、巨大な縦穴が口を開けている。

光はない。

底は、見えない。


ただ――

そこから、はっきりと“呼びかけ”を感じた。


(……来い)


音でも、言葉でもない。

存在そのものが、そう伝えてくる。


ユウトの胸が、静かに熱を帯びる。


「下は……どうなってる」


誰かが、震える声で尋ねた。


研究員が、端末を操作する。


「深度、測定不能。

 構造、未分類。

 ――既存のダンジョン階層ではありません」


ミコトが、短く息を吐いた。


「やっぱりね」


そして、ユウトを見る。


「ここから先は、探索じゃない」


「……はい」


「“選択”よ」


管理局の人間が、慌てて口を挟む。


「待ってください!

 これ以上は、完全に想定外です!」


「だから、彼がいる」


ミコトは、きっぱりと言った。


「ダンジョンが、彼を通して“次”に進もうとしてる」


視線が、ユウトに集まる。

期待。

恐れ。

責任。


重い。

だが、不思議と、嫌ではなかった。


(俺は……)


レベルゼロ。

数字だけ見れば、最底辺。


それでも、ここまで降りてきた。

生きて。

適応して。


《深層感知》が、告げている。

この先に、敵意はない。


《損傷転化》は、沈黙している。

戦う必要はない。


《深度侵蝕》は、準備されている。

――調和のために。


ユウトは、縦穴の縁に立った。


下から、風が吹き上がる。

冷たくも、暖かくもない。


「……行きます」


その声は、驚くほど落ち着いていた。


「戻れる保証はないわ」


ミコトの言葉。


「分かってます」


「それでも?」


ユウトは、ほんの少し考えてから答えた。


「ここは……俺の場所です」


嘘ではなかった。


一歩、踏み出す。


落下ではない。

身体が、ゆっくりと“導かれる”。


視界が、白に染まる。


最後に見えたのは、

縁からこちらを見送るミコトの姿だった。


――行け。


ダンジョンの意思が、はっきりと伝わる。


深度ゼロから始まった物語は、

ここで終わらない。


レベルという幻想を越え、

世界の底へ。


灰崎ユウトは、

最深部の入口を――

確かに、越えた。


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レベルゼロ適合者(アダプター) 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

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