第8話 レベルという幻想
深度マイナス3。
その表示を見た瞬間、待機室の空気が凍りついた。
「正気か……」
誰かが、はっきりと呟いた。
正式な調査対象外。
事故率が急増し、探索者の死亡例も出ている層。
そこへ、レベルゼロの人間を連れていく――普通なら、狂気だ。
「最終確認よ」
朝霧ミコトは、チーム全員を見渡した。
「撤退判断は私が出す。異論は?」
誰も答えなかった。
ユウトだけが、小さく息を吐く。
(……来た)
怖さはある。
だが、それ以上に、胸の奥が静かに高鳴っていた。
エレベーターが下降する。
マイナス2。
マイナス3。
数字が切り替わった瞬間、
ユウトの感覚が、完全に“下”に噛み合った。
音が、整理される。
空気が、読める。
足場の強度すら、感覚で分かる。
(……ここだ)
通路は、もはや人工的とは言えなかった。
壁は脈打つように歪み、床は生き物の背中のようにうねっている。
索敵役が、声を震わせた。
「反応……多い。数、分からない」
ユウトの背筋が冷える。
(……囲まれる)
言葉にする前に、事態は動いた。
四方の影から、同時にモンスターが現れる。
犬型、猿型、判別不能な異形。
「迎撃!」
ミコトの号令。
戦闘は、最初から崩れていた。
数が多すぎる。
地形が、味方を拒んでいる。
一人が弾かれ、壁に叩きつけられた。
「くっ……!」
瞬間、ユウトの身体が前に出る。
考えるより早い。
《深度適応》が、限界まで働く。
「右、崩れる!」
叫んだ直後、床が落ちる。
仲間が、間一髪で回避する。
「左、二体来る!」
ミコトが即座に対応する。
連携が、奇跡的につながる。
それでも、押し切れない。
上位探索者が、前に出た。
レベル40超。
レンのチームの一人だ。
「俺が道を――」
言い終わる前に、影が跳んだ。
動きが、読めない。
ユウトの視界が、研ぎ澄まされる。
(……違う)
その攻撃は、避けられない。
防御も、間に合わない。
ユウトは、無意識に手を伸ばした。
《深度侵蝕》
空間が、沈む。
モンスターの動きが、わずかに鈍る。
――その一瞬で、上位探索者は助かった。
「……今のは」
驚愕の声。
だが、余裕はない。
ユウトは前に出る。
ミコトの合図を待たずに。
「灰崎!」
「大丈夫です!」
嘘ではなかった。
痛みが来る。
それが、力に変わる。
《損傷転化》。
拳が、異様な重さを持つ。
一体、また一体。
周囲が、静かになっていく。
気づけば、敵は退いていた。
あるいは、消えていた。
静寂。
ユウトは、その場に立ったまま、呼吸を整えていた。
倒れていない。
意識も、はっきりしている。
測定器が、激しく点滅する。
【戦闘ログ更新】
【レベル……測定不能】
誰かが、震える声で言った。
「……ありえない」
レベル40の探索者が、ユウトを見る。
「君……何者だ?」
ユウトは、答えられなかった。
自分でも、分からない。
ただ、一つだけ確信していた。
(レベルは……結果でしかない)
強さの“原因”じゃない。
生き残った者に、後から貼られる札だ。
ミコトが、静かに言った。
「見たでしょう」
誰に向けた言葉か、分からない。
「数字は、世界を分かりやすくする。
でも――世界そのものじゃない」
エレベーターへ戻る途中、
誰も、ユウトを軽く扱わなかった。
恐れと、敬意が混ざった視線。
地上に戻った時、
掲示板がざわついていた。
――深度マイナス3、異常安定。
――レベル不明個体の関与、確認。
ユウトは、それを遠くから見つめる。
(……幻想だったんだ)
レベルという、分かりやすい指標。
それに、縛られていただけだ。
そして今、
その幻想が、
静かに崩れ始めていた。
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