第3話 初スキル


深度ゼロの通路は、昨日よりも静かだった。

静かすぎて、耳の奥がざわつく。


ユウトは歩調を落とし、呼吸を整えた。

足音がやけに大きく聞こえる。だが、身体は軽い。昨日の打撲は残っているはずなのに、動きに引っかかりがない。


(……気配が、違う)


視界の端で、空気が歪んだ気がした。

何も見えない。だが、確かに“ある”。


ユウトは立ち止まり、床にしゃがみ込んだ。

瓦礫の隙間。通路の影。天井の継ぎ目。

視線を走らせるうち、胸の奥がきゅっと締まる。


(来る。右)


考えた瞬間、床が弾けた。

昨日の黒い獣より小さい。だが、動きは速い。


ユウトは後ろに跳ぶ――はずだった。

だが、足が一瞬、遅れた。


噛みつかれる。

腕に走る鋭い痛み。


「っ……!」


反射的に振り払う。

獣は壁に叩きつけられ、再び跳ねた。


視界が、また遅くなる。

音が引き延ばされ、動きの“隙間”が見える。


(昨日より……はっきりしてる)


違う。

昨日は、偶然だった。

今は――分かる。


ユウトは一歩、前に出た。

獣の軌道に合わせ、肩を入れる。


衝撃。

転倒。

床を滑る感覚。


痛みが、遅れて押し寄せる。

腕から血が滲み、息が荒くなる。


(……まだ)


胸の奥が、熱を帯びた。

怖さが薄れ、代わりに集中が鋭くなる。


獣が、もう一度跳ぶ。

今度は真正面。


ユウトは、床に落ちていた短いパイプを掴んだ。

振りかぶる余裕はない。

ただ、突き出す。


鈍い音。

獣の動きが止まる。


数秒。

完全な静止。


ユウトはその場に座り込み、荒い呼吸を繰り返した。

腕が痛い。足も痛い。全身が悲鳴を上げている。


それなのに――


(……動ける)


立ち上がろうとすると、測定器が震えた。

昨日より、はっきりと。


 【スキル更新を確認】 


文字が、空中に浮かぶ。


 《深層感知》 


説明文が、短く表示される。


 危険を、違和感として感知する。

深度が高いほど、精度が上がる。 


「……ああ」


理解した。

昨日から感じていた、この“嫌な予感”の正体。


視覚でも聴覚でもない。

身体の奥が先に反応する感覚。


(俺が、察してたんじゃない)


(ここが、教えてたんだ)


腕の傷が、じんじんと熱を持つ。

同時に、頭が冴えていく。


ふらつきながら通路を進むと、遠くで足音がした。

作業員のチームだ。


「灰崎! また単独行動か!」


叱責の声。

だが、昨日ほど怖くない。


「……すみません。でも、問題ありません」


男はユウトの腕の血を見て、顔をしかめた。


「それで問題ないって言うか?」


「はい。……戻れます」


自分でも、不思議なほど確信があった。


地上へのエレベーター。

上昇するにつれ、胸の熱が引いていく。


(下にいる時だけ、だな)


医療ブースでの処置は、またしても軽傷扱いだった。

回復が早い、と同じ言葉を繰り返される。


帰り道。

夕焼けの街が、やけに遠く見えた。


(俺は……変わってきてる)


怖さが消えたわけじゃない。

むしろ、はっきりした。


それでも、あの場所では――

身体が、世界に追いつく。


アパートの部屋で、ユウトは天井を見上げた。

測定器は外しているのに、違和感だけが残る。


深度ゼロ。

まだ浅い。


それでも、確かに――

何かが、始まっていた。

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