第4話 猫の手を借りるのも、立派な戦術(タクティクス)だ

「……先輩。どうして僕たちは今、猫耳をつけているんでしょうか」


平日の放課後。僕が立っているのは、学校近くにある猫カフェ『肉球の隠れ家』のバックヤードだ。

目の前には、黒いエプロン姿に、これ以上ないほど不釣り合いな猫耳カチューシャを装着した氷川先輩がいる。


「いいか佐藤君。我が部の存続には、新入部員だけでなく『活動資金』が必要だ。遠征、グローブのメンテナンス、そして――」


「そして?」


「恋愛研究に必要な、新しい参考書の購入費だ」


先輩は真面目な顔で、猫耳をピコピコと揺らしながら言い切った。

なんでもこの店は、急な欠員が出て困っていたらしく、ボクシング部の部費を稼ぐための臨時バイトとして僕たちは雇われたのだ。


「いいかい、猫という生き物は究極の愛されキャラだ。奴らの動きをトレースすれば、自ずと私の女子力も向上し、恋愛におけるジャブの精度も上がるはずだ」


「猫から学ぶのは、女子力じゃなくて『猫パンチ』な気がしますけど……」


接客が始まると、先輩の不器用さが爆発した。


「いらっしゃいませ……だ。そこの客、ガードが甘いぞ。ほら、このスコティッシュフォールドの右フックを避けてみろ」


「先輩、接客です。スパーリングじゃないです」


「……む、そうだった。こちら、メニューだ。あ、コラ、そこの猫! 客の膝の上で寝るな。それは『ホールディング』で減点対象だぞ!」


先輩の厳しい指導(?)に、店内は妙な緊張感に包まれる。しかし、そんな彼女の空気を変えたのは、一匹の小さな三毛猫だった。


「ミャア」


先輩の足元に、その猫がすり寄る。

さっきまで野生を忘れるなと猫たちを叱咤していた先輩が、目に見えて硬直した。


「さ、佐藤君。敵の接近だ……。足元を狙われている。どうすればいい」

「どうすればって……しゃがんで撫でてあげればいいんですよ」


僕がお手本を見せると、三毛猫は喉をゴロゴロ鳴らして甘え始めた。それを見た先輩は、意を決したようにゆっくりと膝をつく。


「……こ、こうか? よし、よし。……ふむ、柔らかいな。この柔軟性、ボクサーに必要な広背筋のしなやかさを感じる……」


そう言いながら、先輩の表情がみるみるうちに緩んでいく。冷徹な女帝の仮面が剥がれ、そこにあるのは年相応の、ただの優しい少女の顔だった。


「……可愛いな」


ポツリと、先輩が呟いた。

その視線が不意に僕とぶつかる。先輩はハッとして立ち上がり、また猫耳を赤くして震わせた。


「な、なんだ佐藤君! 今のは猫の油断を誘うための演技だ! 私がこのような……このような軟弱な生き物に、心を揺さぶられるわけが……っ!」


「でも、先輩。今、すごく女の子って感じでしたよ」


僕が何気なく言うと、先輩はカッと目を見開いた。

そして、猫をも恐れぬ素早さで僕に接近し、僕の胸元をぐいと掴んだ。


「君は……時々、ノーモーションでとんでもない言葉を投げてくるな」


「えっ、あ、すみません」


「……いや、悪くない。今の不意打ち、私のノートにメモしておこう」


先輩は僕を解放すると、少しだけ落ち着かない様子で三毛猫の頭を再び撫で始めた。その手つきは、さっきよりもずっと優しく、丁寧だった。

部費を稼ぐためのバイトのはずが、僕の心拍数を削るための特訓になっている気がする。

ふと外を見ると、店の入り口でこちらを忌々しそうに睨んでいる、金髪の男――神宮寺の姿が見えた気がしたが、今は見なかったことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る