第3話 新入部員の勧誘(スカウティング)は、バックスタブにご用心
「……というわけで佐藤君。
今日から君は、我がボクシング部のマネージャー兼、専属スパーリング相手だ」
月曜日の放課後。案内されたボクシング部の部室は、汗と革、そしてなぜか微かにフローラルな芳香剤の匂いが混ざり合っていた。
「ちょっと待ってください。僕はまだ入部届なんて書いてませんよ」
「何を言う。一昨日、あれほど濃密なクリンチ(手繋ぎ)を交わした仲ではないか。あれは事実上の契約更改だ」
「解釈が強引すぎる!」
凛先輩は鼻を鳴らし、赤いグローブの紐を口で器用に締め直す。しかし、そんな彼女の背後の壁には、不穏な張り紙があった。
『部員不足により、今月末をもって廃部とする――生徒会』
「……先輩。これ、もしかして結構ピンチなんじゃ?」
「ふん、無能な生徒会め。
ボクシングの素晴らしさも、恋愛のフットワークも理解できない連中だ。だが安心しろ、部員が一人でも増えれば、廃部は免れる」
その時だった。
部室のドアが、バァン! と勢いよく開く。
「失礼するよ。氷川……いや、『リングの赤ずきん』さん?」
現れたのは、仕立ての良い制服を完璧に着こなした長身の男。生徒会副会長にして、空手部主将の神宮寺蓮(じんぐうじれん)。
校内の女子の悲鳴を独り占めする、自他ともに認める『王子様』だ。
「神宮寺……。また廃部の通告か? 執拗な追撃はボクサーに嫌われるぞ」
「いや。今日は勧告ではなく、提案に来た。氷川、君がボクシングなんて野蛮な競技を捨てて、空手部……いや、僕の隣に来てくれるなら、この部の存続を考えてもいい」
神宮寺は壁に手をつき、凛先輩を『壁ドン』の形に追い込んだ。その顔には、自信満々のスマイルが張り付いている。
「おい、そこの下級生。君も運がいい。今すぐこんな暴力女の相手はやめて、僕の雑用係に……」
その瞬間、部屋の温度が数度下がった。
「――神宮寺。今、佐藤君になんと言った?」
凛先輩の声が、低く、重く響く。
彼女の足元が、わずかに床を蹴った。
「彼は私のパートナーだ。私の拳を受け、私の迷いを知る、唯一の男だ。それを雑用係だと……?」
シュッ、と。
神宮寺の鼻先を一筋の風が通り過ぎた。
「なっ……!?」
神宮寺の顔の真横、壁に深く突き刺さったのは、凛先輩の拳。寸止めではない。彼女の放った一撃は、神宮寺の耳元を掠め、背後の廃部通告の紙を真っ二つに引き裂いていた。
「今の……見えたか? 佐藤君」
「え、あ、はい……」
「これは『独占欲』という名の踏み込みだ。
恋愛教本によれば、大切なものを汚された時に発動する、防御不能の感情らしい」
先輩はゆっくりと拳を引き抜くと、真っ赤になった顔を隠すように背を向けた。
「神宮寺。悪いが、私はこの少年とやり残したことがある。帰れ。さもなくば、次は私の感情が、君の薄っぺらな自信を粉砕するぞ」
「……くっ。覚えておけよ、氷川! その冴えない少年を選んだことを後悔させてやるからな!」
神宮寺は捨て台詞を残して、脱兎のごとく逃げ出していった。静まり返る部室。
凛先輩は肩で息をしながら、震える拳をぎゅっと握りしめている。
「……先輩。今、僕のこと『大切』って言いました?」
僕は恐る恐る尋ねた。
すると先輩は、ゆで上がったタコのような色になって僕に振り返る。
「……い、言っていない! あれは、その、心理戦だ!
相手の動揺を誘うための、高度なカウンターだ!」
「でも、顔、すっごく赤いですよ」
「うるさい! 練習だ、練習! ほら、ミットを構えろ佐藤君! 今すぐこの『ときめき』という名の心拍数をスタミナ訓練で消費しないと爆発する!」
こうして、僕のボクシング部(仮)生活が本格的にスタートした。廃部の危機と謎のライバル出現。
そして何より、先輩のあまりに不器用な愛情表現。
僕の高校生活を懸けた『特訓』は、まだ始まったばかりだ。
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