第4話 家路と精神的摩耗

 私の次の番のメンバーが来た。女性が多かった。

 比率的におかしくないか? という疑念が頭をかすめたが、すぐに消え去った。

 そういうことを問える状況ではないのだろう。


 彼らが乗ってきた借上げのワンボックスに乗って、家路に就く。

 今度は我々がドライバーを家まで導かねばならない。

 助手席に座った若者が、自身のスマホで案内を始めた。

「俺のスマホ、もうバッテリーが二十パーセント切ってます。ヤバイ」と声をひそめて、クスクス笑いながら言った。

 彼のすぐ後ろの若者が、彼のスマホを取り出した。

「俺のはまだ余裕。八十パーセント超ある。だったら俺がナビする」と、苦笑交じりの小声で応じた。

 二つのスマホの画面が宙に浮いて、現実感がなかった。

 小さな小さな浮遊物のようだった。


 私は運転席のすぐ後ろの右端の席に座った。真ん中に座った人とひそひそと話していた。

 話題はゴシップや誰かの陰口といった、本当に下らないものだった。

「アイツ、どう思いますか? 」

「私が仕事の相談に行ったら、『私は忙しい! 個別具体的に問題点を特定してから来い! 』だとさ。でも、班で一番若い女性に『教えて上げる』とか言って、頼まれてもいないのに自ら教えに行くんですよ」

「うわ、引くわ。それ。マジでキモい」

 そんな会話をしながら、私たちは自分たちの「醜さ」を共有することで、どうにか正気を保っていた


 異様に明るく照らされていた辺りから遠ざかる。

 山奥から抜け、夜空を隠す常緑樹の下を出たとき。

 ――眼前には一面の銀世界が展開していた。夜に青く沈んだ銀世界。

 描写が狂っているけれど、私には自然にそのように思われた。

 圧倒的に、恐ろしいほどに美しく、醜さを覆い尽くす雪の絨毯を見た。

 シミ一つ許さない荘厳さ。夜明けと同時に崩れ始める儚さとともに。


 窓ガラスには疲れ切った顔と充血した眼が、残酷なまでに写し出されていた。

 左奥には宙に浮く二つのスマホがフワフワと映っている。

 誰かが動くたびに、防寒着が乾いた音を立てていた。

 カサカサカサ……スーーッ、ズイッ……。助手席からかすれた声がした。

「……すっげえ景色っすね。星が、星がきれいだ……」

 あんたすげえな。まだ動けるのか……。もう尊敬するよ。

 俺はもう首を右に回すのが精一杯だよ……。でも、あんたの言うとおりだよ。

 語彙力が死にかけている私も呟いた。

「ふわふわの白い絨毯みたい。でもダイブしたら冷たくて硬い。……星もとっても綺麗だ。さっきまで空を見上げても、横に走る雪しか見えなかったのに……」

 隣の男が頷いた。

「なかなか見られるモンじゃないですよ」

 だけど、窓ガラスに映ったものは、その景色とは真逆だった。

 絶対に、人に見せたくない、心の奥に隠しておきたい醜悪さがすべてさらけ出されていた。

 ――まるで無数にヒビが入り、陶磁器から釉薬が剥がれ落ちるように、ペルソナは地に墜ちた。その下から、ドロりとした俺の人間性が覗いている……。

(次は俺に回ってくるな! 俺の前で終われ! この寒空の下に、もう立ちたくない! )

 エゴにまみれた黒い血の生き物……人間性をかなぐり捨てようとしながら、どうしても、それができない。

 その生ぬるさが余計に醜悪だ。

(我ながら、本当に、酷いツラだよ。見慣れた顔だけど、一番見たくない顔)

 映し出された眼に輝きなんてまったくなくて、ただ車内に浮いた二つの画面からの光を、無機質に反射しているだけ。


 静寂に包まれた雪の道路を「ゴロゴロゴロ」「ジャリジャリジャリ」と音を立て、男八人を乗せた車が慎重に下りていく。また上る……を数回繰り返すと、見慣れた光景が眼に飛び込んできた。

 街だ。いつもの街だ! 雪に覆われているけど、通勤で何度見たのか分からないくらい、すっかり見慣れた、ありふれた風景! 本当に何でもない只の日常の舞台。今は雪に覆われて眠っているだけだ。あと数時間もすれば目覚めて、雪を始末しながら始まるいつもの時間。懐かしさのような気持ちが胸にこみ上げてきた。

 しかし、次の瞬間、心が凍ってしまった。エゴにまみれ、充血した眼。

(……うわ、本当に、酷いツラ。こんな顔で出勤できない。特に眼が酷い。出発前に有給出しておいてよかったわ)


 ――左から男の声がした。わずかに弾んだような調子でこう言った。

「いよいよ娑婆に戻ってきましたね」

 まったく同感だった。


 ひとり、またひとりと車を下りていく。

 そのたびに、ズルズルと剥がれ落ちそうなペルソナを顔に無理やり貼り付け直し、機械のように「お疲れ様でした! 」を繰り返した。

 私は三番目に下車した。三度目の「お疲れ様でした! 」を、冷え切った喉の奥から絞り出すように吐き出し、遠ざかる車を見送った瞬間――私はようやくペルソナを剥ぎ取って、足元に棄てた。

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