第3話 現場の実態と混乱
提灯のような大きなライトはグラウンドから発生場所まで要所に置かれ、夜であるにも関わらず、周囲を異様な明るさで照らし出していた。
テントは既に設営されていた。ストーブがいくつもあった。
仮設トイレも設置されていた。
男女別になっていたかどうか。恐らく区別はされていただろうが、正直記憶がない。
このような事態は滅多に起こらないし、山奥だから供給が追いついていない。
さらに山奥への狭い道が追い打ちをかけているはずだ。
冷たいお茶と菓子パンがあるだけで、インスタント食品すらまだ届かない。
温かいモノを出せない。
しかし、ストーブはある。その上に鍋を乗せ、水を張り、熱燗でも拵えるかのように冷たいお茶を温める程度しかできなかった。
始まったばかりで、現場はまだまだ混乱していた。
私はとっさに「想像以上だ……これほどとは……」と眼を疑った。
今、ここで待機している防護服の連中は愚痴一つ言わない。
言うことは「寒い! 」だけ。恐らく彼らも内心思うところはあるだろう。
しかし、疲れと義務感、いや使命感でそれを封じている。私と同じだ。
寒風吹きすさぶ厳冬の夜。吹雪だった。一体何枚重ね着しただろう。
靴だって私物のトレッキングシューズだ。容赦なく寒さが肌に刺さった。
――待機していた作業員が現場に歩いて行った。
本部の現場管理担当に配置された職員が来た。
私の眼には、彼らは疲弊しきっているように映った。
もはや感情のスイッチが壊れ、ひきつった笑いを浮かべているようにさえ見えた。
彼らは「温かい食べ物を何か、早く持ってきてくれ! 」とか「灯油が足りない! 」とか「インスタント食品でいいから、早く! 」と必死に電話していた。
こんな山奥までそういうものを配達してくれる業者なんて、なかなか存在しないだろう。
仮に居たとして、後からとんでもない金額の請求書が来るだろう。
だけど、そんなことは二の次だ。
この実情を見たうえで「見積合わせを要する」とか言える職員は居ないだろう。
私の動員時間では、温かな食事は最後まで来なかった。
しかし、インスタント食品は届いた。
そうこうしているうちに、所定の作業時間を終え、防護服の群れが戻ってきた。
皆、ゴーグルとマスクを外し、顔が現れた。
誰もが上気した、同時に、とても疲れた顔をしていた。
性別無関係に容赦なく現場投入されていた。
皆、無表情だった。少し緩んだ表情があった。
「やれやれ、今作業している連中が戻ってくるまでは、休める……。熱燗のお茶でも飲むか……お~! カップ麺がある! いいね~待っていました。熱望していました」という感じ。
湯気すらも凍りそうな寒さの中で、即席料理の匂いだけが唯一、ここが人間界であることを思い出させてくれた、かのようだ。
たとえ、それがジャンクフードだとしても……。
彼らを内部から温めてくれる。その湯気が皆の家族の温もりを感じさせてくれるのなら、私も動員された甲斐があるというものだ。
ゴーグルとマスクを外した顔、顔、顔……その中に私の知った顔――かつての同僚の顔があった。三十メートルほどの距離を隔て、視線が合った。
彼が一瞬だけ、「? 」という表情をしたような気がした。しかし、彼は私を認識できなかった。
私と彼には仕事上の元同僚という関係しかない。だから、私は馴れ馴れしく話しかけようとは、そのときは思わなかった。
しかし、一緒に働いていたときのイメージ通りなら、彼はこう言ったはずだという無根拠な思い込みがあった。
思い込みというより連帯感、あるいは義務感、それとも使命感、でなければ自尊心なのか。私の感覚はこうであった。
彼は私を見て、「誰? 」という表情を浮かべ、「! 」と思い出し、不器用に、しかし誠実に笑うだろう。そして、こう言うだろう。
「……あー! お久しぶり! 動員されましたか! ……それにしても、限度を超えて、もうメチャクチャに寒いですね。え? 私も引きが強くて。でも、当然の義務です。そのためにもらっている給料ですよ」と。
私も心から賛同する。
私は疲労と吹雪の中、懸命に身体を揺すっている彼に気を使わせたくなかった。
だから、最後まで話しかけなかった。それに、デリカシーがないと思われたくなかった。
私が現場投入されたばかりで元気があり、ペルソナをまだ維持できていたから、馴れ馴れしく振る舞うことを拒んでいた。
しかし、動員時間の中盤以降になると、私のペルソナにはクラックが縦横に走り、すっかり剥がれ落ちようとしていた。
じっとしていることが耐えがたくなり、私は本来のルールを無視して、テントの前に待機している作業員に向かって、マスクを配布し始めた。
「こっちから配りに行った方が早いじゃん! 」
凍てつく闇に叫ぶ私の声に、同じローテーションの一人が「おーい、チーフ、変なテンションですよ」と声をかけてきた。
彼は笑っていた。けれど、その眼だけは一切笑わず、据わっていた。
冷たかった。それはユーモアというより、何か別のものに呑まれつつあることを示していた。吹雪が彼の許容範囲を埋め尽くしたかのようだった。
他の者たちは、そのやり取りに反応する余裕すらなかった。
誰一人としてこちらを見ず、石像のように固まり、ただ黙々と、あるいは虚無を見つめて余計な情報を遮断していた。
それに、みんな、レベルの差こそあれ、疲弊して自分を保つことが難しくなっていた。
そして相変わらず厳寒で、一切遠慮なく気温は下がっていく。
やがて、その「笑い」という名の異音すらも凍りつき、仕舞いには誰も声すら出さなくなった。
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