第42話 泰平の陰

正保元年(一六四四年)。

 左大臣・松平秀親が隠居し、将軍・徳川家光と松平忠親による親政が始まって一年が過ぎた。

 世は「寛永文化」の花盛り。戦国の殺伐とした気風は薄れ、江戸の町には華やかな着物を着た町人が溢れ、能や茶の湯、浮世絵などがもてはやされていた。

 江戸城・黒書院。

 家光は、松平信綱、阿部忠秋ら「六人衆」と呼ばれる若き能吏たちに囲まれ、穏やかな表情で政務を執っていた。

「……信綱。今年の検地(土地調査)は、民に無理のないようにせよ。左府(秀親)の時代は『厳しさ』が薬だったが、今は『慈しみ』が薬となる」

「はっ。上様のお心、隅々まで行き渡らせましょう」

 すべてが順調だった。秀親が強引に地ならしをした更地の上に、家光と忠親が美しい花を植えていく。それは理想的な統治の継承に見えた。

***

 しかし、伏見城主として江戸に滞在する忠親は、ある「異変」を感じ取っていた。

 ある日、忠親がお忍びで市中を歩いていると、裏通りの長屋で異臭がすることに気づいた。

 踏み込むと、そこには餓死した男の遺体があった。身なりはボロボロだが、大小の刀だけは綺麗に手入れされていた。

「……浪人か」

 忠親は顔をしかめた。

 秀忠・秀親の時代、幕府は大名を厳しく統制し、少しの過ちでも容赦なく改易(取り潰し)を行った。その結果、主家を失った侍――**「浪人」**が全国に四十万人とも五十万人とも言われる数に膨れ上がっていたのである。

 戦のない世で、再仕官の道は閉ざされ、彼らは社会の最底辺で野垂れ死ぬのを待つしかなかった。

「……これが、父上と私たちが作った『平和』の代償か」

 忠親は、華やかな大通りと、死臭漂う裏通りのギャップに戦慄した。

 父・秀親は「膿を出し切れ」と言った。だが、その膿とは、この国のために命を懸けるはずだった武士たちのことだったのか。

***

 その頃。

 牛込(うしごめ)にある軍学塾「張孔堂(ちょうこうどう)」。

 そこには、行き場を失った浪人たちが、熱気と共に集まっていた。

 彼らの視線の先には、一人の男がいた。

 軍学者・**由井正雪(ゆいしょうせつ)**である。

 正雪は、派手な着物を着こなし、白皙(はくせき)の美貌と、魔術的とも言える弁舌で浪人たちを魅了していた。

「……皆様。今の世を見て、何と思われますか」

 正雪の声は、優しく、そして哀しかった。

「町人たちは金儲けに走り、幕府の役人は書類仕事に明け暮れている。……かつて命を懸けて戦った武士(もののふ)たちは、ボロ雑巾のように捨てられた。……これが、徳川の言う『泰平』ですか?」

 「そうだ! 我々は悔しい!」

 浪人たちが涙ながらに叫ぶ。正雪は彼ら一人一人の肩を抱いた。

「嘆くことはありません。……幕府が貴方たちを見捨てるなら、この正雪が拾いましょう。……楠木正成公のような、真の忠義の世を取り戻すのです」

 その瞳の奥には、幕府への明確な敵意と、それを覆い隠すカリスマ性が宿っていた。

 塾生の中には、槍の名手・**丸橋忠弥(まるばしちゅうや)**の姿もあった。

***

 数日後。

 忠親は、家光に報告した。

「上様。……浪人の問題、深刻です。早急に救済策を講じなければ、彼らの不満はいずれ爆発します」

 家光もまた、苦渋の表情を浮かべた。

「分かっている。だが、改易した大名を戻すわけにもいかぬ。……どうすればよい」

 平和というシステムの綻び。

 忠親は、かつて父・秀親が言った「壁」の意味を、別の形で痛感していた。

 物理的な敵(一揆や大名)は倒せた。だが、「貧困」と「疎外感」という見えざる敵とは、どう戦えばいいのか。

 その夜、忠親の元に、隠居した秀親からの短い文が届いた。

 『光が強ければ、影も濃くなる。……影に足元をすくわれるな』

 忠親は、江戸の闇を見つめた。

 そこには、由井正雪という名の、新たな「怪」が育ち始めていた。

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