第35話 島原の予兆

寛永十四年(一六三七年)。

 江戸では、将軍・家光と左大臣・秀親による統制政治が行き渡り、表向きは「寛永の治」と呼ばれる平和が訪れていた。

 だが、遥か西国・九州の地から、不穏な風が吹き始めていた。

 肥前国・島原、そして肥後国・天草。

 この地では、かつてのキリシタン大名・小西行長らの遺臣や、改宗したはずの領民たちが、過酷な年貢の取り立てと飢饉に喘いでいた。

 領主である松倉勝家(島原)や寺沢堅高(天草)は、幕府への忠誠を示すため、そして参勤交代や江戸城普請の費用を捻出するため、領民に対し「蓑踊り(みのおどり)」などの残虐な拷問を用いてまで年貢を搾り取っていたのである。

***

 江戸城・西の丸。

 長崎奉行からの密書を読んだ松平秀親は、静かに目を閉じた。

「……南蛮(ポルトガル)の影か。九州のキリシタンども、根はまだ枯れておらぬようだな」

 そこへ、将軍・家光と忠親が訪れた。二人の顔色は優れない。

「左府(秀親)。島原の松倉が、領民を苛め抜いていると聞いた。……やり過ぎだ。あれでは一揆が起きるぞ。幕府から松倉に『慈悲を持て』と命じるべきではないか」

 家光の言葉はもっともであった。しかし、秀親は密書を火鉢に投げ込み、冷ややかに答えた。

「なりません。……松倉には、そのままやらせておくのです」

「なっ……! 父上、民を見殺しにする気ですか! キリシタンとて、徳川の民ですぞ!」

 忠親が食ってかかるが、秀親の眼光は氷点下の如く冷たかった。

「忠親。お前は分かっていない。……キリシタンは、ただの宗教ではない。あれは、神の名の下に君主(将軍)を否定し、異国と通じる『反逆の種』だ」

 秀親は立ち上がり、壁に掛けられた日本地図の九州を扇子で叩いた。

「今、我らが慈悲を見せれば、奴らは地下に潜り、見えぬところで根を広げる。……ならば、松倉に締め上げさせ、奴らを追い詰めるのだ」

「追い詰めて、どうなさるおつもりだ」

 家光が問うと、秀親は恐ろしいことを口にした。

「暴発させるのです。……膿は、出し切らねば治らぬ。奴らが武器を取り、牙を剥いて蜂起した時こそ……根絶やしにする好機」

***

 「狂っている……」

 西の丸を出た後、忠親は回廊の手すりを殴りつけた。

「父上は、わざと一揆を起こさせ、それを口実にキリシタンを虐殺するつもりだ。……それが天下の政(まつりごと)だと言うのか!」

 家光もまた、蒼白な顔で空を見上げた。

「……だが、左大臣の権限は絶対だ。余の手では止められぬ。……忠親、もし九州で火が上がれば……」

「……その時は、私が消します。父上の描いた残酷な絵図ごと、私が引き受けます」

 忠親の脳裏には、父・秀親の言葉が焼き付いていた。『お前が地獄を見ろ』。その意味を、忠親はまだ完全には理解していなかった。

***

 同年十月。

 島原・有馬村にて、ついに限界を超えた領民たちが代官を殺害。

 呼応するように天草でも一揆が勃発した。

 その中心には、わずか十六歳の美少年、天草四郎時貞がいた。

 「デウスの御加護ぞ! 今こそパライソ(天国)への扉が開かれる!」

 数万の群衆が十字架を掲げ、幕府への反旗を翻したのである。

 それは、徳川の世始まって以来、最大規模の内乱**「島原の乱」**の始まりであった。

 江戸城にて第一報を受けた秀親は、薄暗い部屋で一人、呟いた。

「……来たか。……忠親よ、準備はよいな。これが、お前が乗り越えるべき『修羅』の山だ」

 秀親は、あえて幕府軍の初動を遅らせ、事態を深刻化させる構えを見せた。すべては、徳川の脅威を完全に葬り去るために。

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