第33話 参勤交代

寛永十二年(一六三五年)。

 天下は平和を取り戻しつつあったが、西の丸執政・松平秀親の目は、その「平和の裏」にある危険な兆候を見逃していなかった。

 戦がなくなり、領国経営に専念した大名たちの蔵には、再び金銀が唸り始めていたのである。

「……金は力だ。放っておけば、その金はやがて鉄砲と謀反心に変わる」

 秀親は、江戸城・西の丸に松平忠親を呼びつけた。

「忠親。新しい法度を作る。……全国の大名に、一年おきに江戸と領国を往復させよ。そして、正室と世継ぎは人質として江戸に常住させよ」

 忠親は耳を疑った。

「まさか、**『参勤交代』**を制度化すると? それも全大名にですか! そのような負担を強いれば、諸大名が一斉に蜂起しかねません!」

 秀親は冷ややかに言い放った。

「蜂起させる金を使わせるのだ。……街道を整備し、宿場を潤し、大名行列という無駄な儀式に莫大な金を浪費させる。……彼らが疲れ果て、徳川に牙を剥く気力を失うまでな」

***

 数日後、江戸城・大広間。

 将軍・家光臨席のもと、全国の主要大名が集められた。

 その中には、加賀百万石の前田利常、仙台の伊達政宗ら、一筋縄ではいかない大大名も顔を揃えていた。

 上座の脇、左大臣席に座る秀親が、新法度を読み上げた。

 『大名、一年おきに江戸へ参勤すべし。妻と子は江戸に住むべし』

 広間が殺気立った。

「なんと無体な! 妻子を人質に取り、我らに莫大な旅費を使えと申すか!」

 薩摩の島津家久が声を荒げると、他の大名たちも同調し、不穏な空気が充満した。

 家光が気圧されそうになったその時、秀親が扇子を一つ、パチリと鳴らした。

「……不服か。よろしい。不服な者は、今すぐ国へ帰り、戦支度をするがよい」

 秀親の眼光が、島津を、前田を、伊達を射抜く。

「ただし、相手はこの左大臣・松平秀親だ。……伏見100万石と幕府の全軍をもって、貴殿の領地を草一本残らず焼き尽くす」

 絶対的な暴力のチラつかせ。

 広間が凍りつく中、今度は伏見城主・忠親が進み出た。彼は父とは真逆の、理詰めの説得を始めた。

「……皆様方。左府様(秀親)は極端に申されましたが、これは将軍家への『忠誠』を示す儀式。……その代わり、江戸での滞在費や屋敷の普請については、幕府も相応の配慮をいたします」

 忠親は、秀親が振り上げた拳を、現実的な妥協案で着地させる「緩衝材」の役割を演じた。いや、演じざるを得なかった。

 前田利常は、秀親の殺気と、忠親の懸命な調整を見比べ、大きな溜息をついた。

「……やれやれ。左大臣殿には逆らえぬし、伏見の若殿の顔も立てねばならぬ。……加賀は、従いましょうぞ」

 最大の前田が折れたことで、他の大名も沈黙した。

***

 法度は成立した。

 これにより、日本の街道は大名行列で溢れかえり、江戸は空前の建設ラッシュで繁栄することになる。一方で大名たちの財政は火の車となり、謀反の力は完全に削がれた。

 その夜、西の丸。

 忠親は疲労困憊で秀親の元を訪れた。

「……父上。あれも計算ですか。ご自身が悪役となり、私に尻拭いをさせることで、大名たちを納得させる……」

 秀親は、江戸の街明かりを見下ろしながら、背中で答えた。

「計算などではない。私は本気で焼き尽くすつもりだった。……お前が止めただけだ」

「……父上!」

「だが、結果として法は通った。……忠親、お前も少しは『政治』というものが分かってきたようだな」

 秀親は初めて、息子にわずかな称賛めいた言葉を漏らした。

 だが、その直後には再び冷徹な仮面を被った。

「参勤交代で大名は弱る。だが、まだ足りぬ。……次は、この国の『血流』そのものを幕府が握る」

 秀親が指差したのは、地図上の「銅山」と「港」であった。

 政治の次は経済。秀親の支配欲は留まることを知らない。

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